第十話 龍の首
それから起こったことは、神と反逆者との和解だった。
神はいままで反逆者たる鬼室兄弟の片割れの事情を考えていなかったことを恥じ、鬼室も神に背いたことを恥じた。
俺はその様子をただ黙ってみていただけだった。
最後に鬼室兄弟の片割れは3人分のラーメンを作りみんなで食べようと提案した。
「まさにこれは大団円ですな」
俺は本日4杯目のラーメンをすすりながら、正しき道に回帰した鬼室さんにいった。
「うむ。俺は間違っていた。間違った決断をしてしまった。だが、それらな改めて正しい決断をすればいいのだ。それだけじゃないか」
鬼室さんは人が変わったような雰囲気で、店内の重苦しかった空気は浄化されていく。
だが、神は和解が成立するとそれから一切口を開かない。話しかけられても頷くくらいだ。
「神。どうでしょう、うちのラーメンは?」
鬼室さんの新しい質問にも新しい神である妹杏理は答えなかった。
もくもくと麺をすすっている。
しばらくして、杏理がこうして押し黙っているのは何か理由があるはずだと俺もうすうす感づいた。
鬼室さんのほうはそんなことお構いなしにさかんに感想を求めている。
「返事ができないほど気に入ったのだと思います」
神に代わってそう返事したがでたらめにすぎない。神は何か重大なことを考えているに違いないのだ。
そんな俺の言葉で鬼室さんは安心したようすで、それ以上の質問をやめた。
ちょうどいいことだし、俺たちの知りたいことを鬼室さんに聞いてみることにした。
「龍ノ宮学園についていくつか聞きたいことがあるんですけど?」
その言葉を俺が発した時、鬼室さんは首をプルっと震わせた。あまりにも気持ちの良い震えっぷりなので、俺は「ああ、鬼室さんもやっと改心して、神への忠誠を誓うようになったのか」、その忠誠心の表れが首のプルっとした振動なのだろう、そう思って、新しい神である妹杏理のこれからの輝かしい未来に思いを寄せた。
何千、何万、正確には15万人の神官たちが杏理を支え、俺たちの輝かしい神の国作りが順調に進んでいく。なんと素晴らしい未来であろう。
「実は俺たちもあの学園のことは詳しく知らないんだ。あそこはもともと廃墟だったはずだが、何時ごろからか生徒たちが集まってくるようになったらしい」
「それはいつごろからですか?」
「俺の兄弟が詳しく知ってるはずだ。実をいうと、俺は兄弟からメビウス球をもらっているだけで学園のことは詳しく知らんのだ」
鬼室さんの兄弟とは、今朝龍ノ宮学園前で俺たちを追っかけてきた人物のことだろう。
「詳しいことを聞きたいなら兄弟に聞くしかないだろうな」
「しかし、今朝ちょっとしたことがありまして……」
今朝あったことを聞いた鬼室さんは再び首をプルっと震わせた。
「そんな調子だと、兄弟も機嫌を損ねてるだろうし、何も教えてくれないだろうな」
「どうにか胡麻をする方法はないですかね?」
「難しいな。しかし、一つだけ方法がある……と言ったら?」
「それをやるしかないでしょうな。すべては神のために!」
「では、兄弟の最も喜ぶことを教えてやろう。それさえすれば知っている情報すべてを教えてくれるかもしれんぞ」
鬼室兄弟の片割れが喜ぶこと。なかなか隠微な響きの言葉だ。
俺はそれが一体どんな行為なのか、鬼室さんが語りだすのをかたずをのんで見守った。
「知ってるか?」
「何をですか?」
俺が聞き返すと、鬼室さんは人差し指を立ててそれを自らの鼻の中に入れた。鼻をほじっているようだ。これから大事なことを語る手前、いきなり鼻をほじりだす。一見非常識極まりない行為だが、その行為の非凡さこそが、これから語られる情報の重要さを物語っているような気がする。
「日本神話の話でヤマトタケルが女装したという話だ」
「もしかして」
「その通り。女装すべきだよ司祭殿は」
鬼室さんは人差し指で俺の体の隅々を指さした。
「兄弟は他人が女装している姿に非常に興味を持っている。特に君のような若い男子の女装については、多くの労力を費やしていろいろ情報を集めているようだ」
「それってつまり、俺が女装するってことですか?」
「そうだ。今までしたことあるか?」
「ないですけど」
考えたこともなかった。
「実はこの店の奥の部屋に、兄弟が蒐集した女装用の服がある。それを着て尋ねれば、兄弟から有用な情報が得られる。それだけじゃない、龍ノ宮学園に侵入する手助けをしてくれるだろう」
「でも、勝手に服を借りたりしたらまずいでしょ」
「いや、サプライズだよ」
この間も新しい神である妹杏理は一言も喋らなかった。
俺が女装することになりそうな手前、誰よりも活発に饒舌をふるいそうな彼女が無言を貫くのはいささか奇妙でもあった。何かを警戒しているに違いない。しかし杏理が何を警戒しているのかまではわからない。
とにかく俺は店の奥の奇妙な部屋に通された。
そこでやっと杏理は口を開いた。
「うわ、すごい量ですね」
杏理はさっきまでの鋭い目つきから一転、目を輝かせながら部屋を見渡した。所狭しと女性ものの服が置かれていて、服だらけの不思議な世界に迷い込んだみたいだ。
神官から聞いた話だが、新しい神である妹杏理はアパレルショップのような服の沢山ある場所に行くと必ずと言ってかくれんぼうを試みるのだという。今もこの部屋でかくれんぼうをはじめはしないか内心ひやひやする。
「兄弟最大の趣味だからな。このコレクションは。好きなものを選んできてみればいい。それと、約束がある」
鬼室さんは部屋の奥を指さした。
「あの赤い扉を開けないでくれ。それさえ守ってくれれば、どの服を選んでもいい」
確かに衣裳部屋の奥には禍々しいほど真っ赤な扉があった。この部屋に似つかわしくない物だ。
「くれぐれもその奥の部屋に入ってくれるな。さて、俺は外で待ってるからな、どんな服を着たいかじっくり時間をかけて考えなさい」
バタンと扉が閉ざされた。この衣裳部屋に俺は新しい神である妹杏理と二人きり。
すぐに神の目つきが真剣なものに変わった。
「兄さん、話があります」
新しい神である妹杏理の口ぶりはこれから怪談話を始める風の、妙に雰囲気があるものだった。
「かの鬼室氏が語った○○○○というプロ野球チームのことです」
これから重大な事実を告げることになる杏理の姿は厳かだった。まるでこれから神託を下すのではないかと錯覚させるほどだ。部屋の照明が俺には後光に見えたほどだった。
「かの鬼室氏が語った○○○○というプロ野球チームは、実はですね、兄さん……」
新しい神である妹杏理は両手で双眼鏡を作って、部屋を部屋を見渡した。
俺は杏理が何をやっているのか一瞬分からなかったが、すぐにその意味を思い出して、偉大なる妹杏理の特殊能力をど忘れしていた不甲斐なさを感じた。
新しい神である妹杏理は今、千里眼で千里のかなたを見通しているに違いないのだった。
杏理が何を見ているかは予想すらできないが、俺にできることは待つことだけだ。
「やっぱりそうです。かのかの鬼室氏が語った○○○○というプロ野球チームは、とっくの昔に別の名称になってるはずなんです」
「昔の名称にこだわってるとかそういう話じゃないのか」
「その可能性もあるけど、とにかく私はかの鬼室氏のことをあまり信用できません。彼は私たちに何か隠し事をしてるかもしれない」
これといった証拠はないが神が疑っているのだ。あながち間違っていないかもしれない。
「もし鬼室さんが俺たちを騙していたとしたら、それって……」
「私たちは騙されていたということになります。兄さん、どうします?」
俺は唐突に焼肉が食べたくなった。カルビ、ロース、ハラミにタン、レバー。ああ焼肉が食べたい。
東京に帰ったら新しい神である妹杏理と一緒に焼肉を食べに行くことにしよう。
今は目の前の事件を地道に取り組むしかない。
「それが正しいとしたら、俺たちは今、この部屋に軟禁されているとも言えなくもないな」
「ここに長時間とどまるのは、ここから出れなくなる可能性が増えるばかり。危険よね。それより、私気になることがあります」
新しい神である妹杏理は衣装をかき分け部屋の奥へとつかつかと進んで、深紅の扉の前で立ち止まった。
「開けてみましょう」
俺の返事を待たず、杏理は扉を押し開けた。
コンクリート打ち放しの無機質な空間が広がっている。闇の向こうに何かがあるのがかすかに見えた。どうやら檻のようだ。
人が入るくらい大きい檻の中に、どうやら生き物が入れられているようだ。
「まさかこれは……」
「信じられない……」
檻に入れられているソレを見て、俺たちは絶句してしまった。檻の中には人間くらいの大きさの龍がぐったりとうなだれていたのだ。龍には、まるで船にフジツボがびっしりとくっ付いているみたいに、メビウス球が龍の皮膚を覆うように蠢いていたのだった。