ep4
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「たっちゃーん、どこぉー?」
「ゆいちゃん、かくれんぼなんだから呼んでも出てこないと思うよ」
「もう!こーくんは静かにしてて!たっちゃんは優しいから出てきてくれるもん!」
柚井?、それに幸助だ。二人とも幼い頃の姿だ。これは確か俺の家で遊んでいた時の記憶だろうか。
「たぁっちゃーん、出てきてよぉー。」
あぁ、今行く。待ってろ。そう思い、体を動かそうとするが、動かない。
「おい、柚井!俺はここだ!ここにいるぞ!」
思わずそう叫ぶ。が、柚井たちにはその声は届いていない。
「クソ!どうなってやがんだ!」
悪態を吐き、騒いで存在を示そうとするも彼女らが気づく気配はない。
無理はない。今の虎太郎には肉体がないのだ。今の彼の状態は思念体のようなもの。武立家の者が見れば、鬼火のような人魂と表すだろう。
そもそもこれは虎太郎の記憶を再現した夢、ここに出てくる人物の行動はすでに確定されている。ひとしきり騒ぎ、頭の熱も引いた頃、すでに場面は変わり、一回り大きくなった彼女らが映し出された。
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「たっちゃん、中学も一緒だね!」
「当たり前だろ。ここは幼稚舎からずっと一貫制だぜ。中学が違うわけないだろ。」
「そうは言いつつ、お顔はだらしないことになってますなぁ」
「うっせーぞ孝雄!またボコられたいか!」
「ふぇぇーん!柚井ちゃーんヘルプ~」
「こら!たっちゃん、暴力はダメ!」
「ゥッ!」
「ふっ、大魔王虎太郎も聖女柚井の前では形無しでござるなぁ」
「孝雄、てめぇ覚えてろよ」
今度は俺もいる。忌々しいことに孝雄もだ。これは中学の入学式の帰り道だろうか。あの時は久々に三人だけで帰ったんだっけ────。
懐かしい記憶。輝いていた日々。これらはもう今は送ることができない。
このころから柚井は"なにか"からの侵食を受け始めていたのだろうか。
そして再び、場面は切り替わる。
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「たっちゃん、たっちゃん」
高熱にうなされる柚井。うわ言で俺の名を呼んでいる。
間違いない。これはあの日だ。
柚井が柚井でなくなる日。
今でもそのときにできた傷は癒えない。
「柚井…」
映像の中の俺は、柚井の手を握りしめるが、握り返されることはなかった。
そして、また切り替わる。
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「じゃあ、約束だね」
「あぁ、約束だ。だからいくな。頼む、いかないでくれ」
「もう、そんな顔しないでよ。たっちゃんらしくない。たっちゃんはこういうときでもふてぶてしくしないと。」
「バカかお前は!こんな時にそんな「私はそんなに悲しくないかな」
「えっ…?」
「だって、たっちゃんと約束したもん」
「でも、それだって絶対できるわけじゃ「たっちゃんならできるよ」
「なんでっ…そうっ…」
「だって私、たっちゃんのこと信じてるから。……………そろそろ限界みたい、じゃあね、たっちゃん、元気でね。私、待って、る、から、ね………………」
「柚井…?おい、柚井、柚井!」
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「柚井!」
自分の叫び声で目が覚める。思考はまだ、夢から覚めていない。
俺は頭の熱を下げるために、自室の冷蔵庫からペットボトルを取り出す。水を飲むと、少しずつ思考が明瞭になっていくのが感じられた。
「またあの夢か…」
虎太郎はこの夢を定期的に見ており、決まって彼女の名を叫び、目を覚ます。虎太郎はこれを戒めだと思い、夢を見るたびに己を奮い立たせている。
そうして、あの日からもう2年が過ぎようとしている。
※
「おはようございます、虎太郎様」
「あぁ、おはよう、麻比呂さん」
結局、俺はあれから寝付けず、結果、朝食の時間までゴロゴロしていた。
そして、麻比呂さんが朝食が出来たと伝えにきたので食卓へむかう。
「あ、おはよう、虎太郎」
「おはよう、父さん」
食卓にはすでに父の姿があった。母の姿はない。
「虎太郎、また母さんと喧嘩したのかい?」
「……………。」
ちっ。告げ口したのか、あいつ。
「いいかい?父さんは無理に仲直りしろなんて言わないよ。でもただ、虎太郎にも分かって欲しいんだ。あの人が虎太郎のために頑張っていることを、虎太郎のことを知りたいって思ってることを」
「そんなの─「確かに、今更だね。仕方ない、なんて理由で納得できないって分かってる。でもね、必死なんだ、母さんも、《取り戻そう》ってね」
「……………。」
「虎太郎にもその"気持ち"、痛いほど分かるはずだ。だから全部納得して受け入れろとは言わない、ただほんの少しでいいから理解してあげて欲しいんだ、母さんの気持ち」
「………はぁ。やっぱ父さんには敵わないなぁ…。」
「じゃあ─「でもやだ、俺はあいつのことを知りたくないし、知られたくもない」
「虎太郎…」
「父さんの意見は正論だ。確かに納得できる。でも、それでも俺は受け入れられない。あのとき、あいつは俺を信じなかった、だから俺もあいつを信じることはない」
「………そうか。」
「ごめんよ父さん。」
「いや、いいんだ。でも少しでもいい、母さんのことを許して、受け入れてあげて欲しい、これが父さんの思いだ」
「善処するよ」
俺は牛乳を飲み干し、登校の支度をするため、自室へ向かう。
「虎太郎、」
「ん、なに?」
「頑張れよ」
「うん、ありがとう、父さん」
※
そう言って出ていった息子の顔は少しだけ子どもっぽい笑みを浮かべていたような気がする。
「未だに傷は癒えず、か」
虎太郎の様子が急変したのはちょうど2年前の秋頃だ、正確に言うと10月と11月の境目だろうか。婚約者の柚井ちゃんが高熱で倒れてからだ。
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あの日、虎太郎は珍しく僕に泣きついてきた、僕らの前でいつも強がってた、あの虎太郎がだ。落ち着かせ、理由を聞くと、
「柚井が、柚井が"なにか"に取り憑かれて、それで、柚井が、"なにか"に、負けて、取り込まれて、それで、」
正直、何を言っているか、要領が掴めなかった。
「でも俺、母さんに言ったんだ、柚井は、"なにか"に取り憑かれてるって、でも、母さん、柚井には何も取り憑いてないって、言って、」
「虎太郎、一度、深呼吸しよう」
スーハー、スーハーと息を整える息子。僕は背中を撫でながらゆっくりと話すよう促す。
「ありがとう、父さん」
「続き、話してごらん」
「柚井に取り憑いた、"なにか"は"気"を、持っていなかったんだ」
元来、人には一つの肉体に一つの魂を宿すと言われる。そしてその中に"気"というものが含まれて産まれてくる。"気"というのは例えば、霊気であったり、妖気や巫力、西洋では魔力や祓力と呼ばれるものもある。
伝説上では、神の気を持った人間も居たそうだ。どんな物質にも"気"はあり、僕にも少量だがある。つまり、この世に"気"を持たない存在などないのだ。
「"気"を持っていない、か」
「父さんも、信じられない?母さんも、"気"を持ってないものなんていないから、そんなのありえない、って言ったんだ」
確かに、信じ難い。だが、こんなに取り乱す息子を見て、嘘だと断定することもできなかった。
「虎太郎は、なぜそう思ったんだい?」
「それは、────────」
「………なるほどね」
正直、息子の語っていることは支離滅裂で、突拍子もないことだった。しかし、
「ありえなくはないね」
「本当!」
言われてみれば、最近の柚井ちゃんの様子は変だった。そして、先ほどの虎太郎の推論に当てはめれば確かにピースははまる。それに、
「あぁ、僕は虎太郎の言ってること、信じるよ」
真剣で、必死に話す息子のことを信じてあげられないというならば、一体誰が親になれるというのだ。
「ありがとう、父さん、ありがとうぅ…」
そう言って息子はまた僕の胸の中で泣き、そして眠った。
──────
「あなた…」
「あぁ、おかえり、龍美さん」
「虎太郎、帰ってたのね」
「龍美さん、なんで君は虎太郎のこと、信じてあげなかったんだい?」
「信じてって、もしかしてあの無茶苦茶なこと!?」
「あぁ、そうだよ」
「信じられるわけないじゃない!だって─「だとしてもね、それを信じてあげるのが親なんじゃないかな」
「───っ」
「今まで弱さを見せてこなかった虎太郎が、初めて、僕らを頼ったんだ、弱さを見せたんだ、あんなに取り乱してね。その異常さに君は何も思わなかったのかい?何も感じなかったのかい?」
「それはっ!」
「確かに虎太郎の言ってることは無茶苦茶だ。でも固定観念に縛られて、頭ごなしに否定するのも違うんじゃないかな」
「…………」
「虎太郎はそんな嘘をつく子だったかい?よりにもよって柚井ちゃんのことでね。」
「あの子は、そんなこと、しないわ」
「そうだろう?あの子はどんなときでも大人であろうとした、僕らに心配かけまいとね。必死に頑張ってたんだ」
「えぇ…そうね…」
「でも、さっきは違った。自分ではどうにもできなくて、どうしようもなくて、僕ら、いや、君に頼ったんだ。」
「…………」
「でも、君はそれを否定した。それは、息子、虎太郎のことを拒絶したと相違ないことだよ」
「違─「違わない。正直、僕は君に少し失望しているんだ。君はいつもあれほど虎太郎のことを心配していたのに、実際に虎太郎が弱さを見せればこれだ。虎太郎のことを信じずに拒絶した。君の親心とやらはパフォーマンスだったのかい?」
「ううっ…くふぅ…」
「泣いたってしょうがないだろ。今一番辛いのは虎太郎なんだ。一番頼りにしてた君に信じてもらえなかった虎太郎なんだよ?」
「ごめん…ごめんねぇ…虎太郎…」
「僕は君に虎太郎が言ったことを信じろとは言わない。ただ、言っている虎太郎のことを信じてあげてほしかったんだ」
「ごめんねぇ…ごめんねぇ…虎太郎…」
その後も妻はずっと虎太郎に対して謝り続けていた。僕が伝えたかったことは妻に届いているだろうか。
今もなお妻と息子の確執は和らいでいない。妻は必死に虎太郎とコミュニケーションを取ろうとするが、当の本人がそれを拒絶している。それぐらい彼女が与えた傷は深いということだろう。
今の私にできることは二人の間を取り持つぐらいだ。少しでも早く、親子らしい関係になるように願う他ない。