ep39
※
「なるほど、概要は把握しました」
先ほどの威圧感から一転、娜弥の"気"は驚くほど静かだ。
「なぜ相談相手が私であるのか、ということは一度置いておきましょう。聞きたいのは、私にこれからどうして欲しいのか、ということです」
「それは、もちろん協力して欲しいです」
「協力とは?具体的にどのようなことを?それに付き合う道理はあるのですか?」
「う」
源助の鼻が挫かれる。
「依頼という形だったとしても、受けかねる案件です。これは組織ぐるみで動かなければならないほど難解なものです。いかに私が十天界銘だとしても、一人で動くには限界がある」
「なら、娜弥さんは業界に声を掛けていただくだけでいい。さすがに奴らも、まだそこまで根を張っているようには見えない」
「それこそ、貴方の母親にでも頼めばいいのではありませんか?武立の子よ」
「それができたらとっくにそうしてるよ。できなかったから今ここで貴女に頼んでるんだ」
「ふっ、子の心親知らず、ですか」
「生憎ですけどね」
「自分の息子を蔑ろにしているとはよく陰で噂になっていましたが、それが根も葉もない中傷ではなく真実だとは失敬ながら失笑です」
「ええ、貴女をみているとこちらもそう思わざるを得ませんね。ただ、貴女と母は任役が違う。なら、需要と供給も変わる。俺の母はそれだけ需要があるというだけです」
「貴方の母親は無駄が多いと私を含めた十天界銘は皆思っています。適任でない仕事まで取って世界中を飛び回っている。それこそ、丙が簡単にこなせる仕事まで。貴方は今まで母親の忙しさは十天界銘だからと考えていましたか?それは、違います。十天界銘と呼ばれる者ならば不要不急の依頼を退け、国内の甲種乙種案件に注力すべきなのですよ」
「いいや、母が世界中を飛び回っているのは母しかできない依頼があるからです」
虎太郎はさらに反論した。眉を歪ませて、声に重みを持たせて、否定を強めた。
「依頼人の死んだ母親を霊媒して依頼人と再会させることが可及的速やかに行われるべき依頼ですか?海外のテレビ番組で祓霊を披露することが、取材を受けることが必要なことですか?ほら、見てください。彼女のSNS、おんすたでしたっけ?とても楽しそうですよ」
オンステージ、通称オンスタという世界で大人気のSNSアプリ。娜弥が見せた画面には母が依頼人とピースしながらのツーショット写真が挙げられていた。アカウント名はたつみん、フォロワーは一億人ほど。投稿日時は
昨日の14:00だった。
「いい加減にしてください!」
そう声を荒げたのは源助だった。
「貴女が僕たちに協力してくれないということは解りました!僕らもそれで納得して引き下がります!だから、これ以上、虎太郎君のお母さんの悪口を言うな!」
「源助......」
「へぇ、度胸のない男だと思いましたがこれは。でも、人並み以下の貴方に凄まれても蚊ほども怖くありませんよ」
「母様、私も、これ以上は看過できません」
部屋の制空圏が一気に塗り替えられる。場の支配者は娜弥から梨佳へと一瞬で移った。神降ろしかと思うほどの重厚な"気"。
さすがの娜弥も驚いたのか少し目を見開いた。そして、観念したかのように苦笑いをしながら息を吐いた。
「......そうですね。少し意地悪しすぎました。彼女が気に入らない。そんな私怨をよりにもよって息子の貴方にぶつけるのはお門違いにも程がありますね」
「構いませんよ。母とは何か確執でも?」
虎太郎の表情に怒りは見えない。乾いた笑みだけが貼り付いている。
「いいえ、私が勝手に嫌っているだけです。性格はもとより合わぬこと、さらに事あるごとに家族への惚気を聞かされれば煩わしいこと限りなし。しかし、絵に描いた滑稽話が現実であると知れば憐れみすら感じます。そして、その息子である貴方を心の底から気の毒に思います」
「この!」
未だ止まぬ嫌味に堪えきれなくなったのか、源助は立ち上がって拳を振り上げる。
「いいんだ、源助。ありがとな、俺の代わりに怒ってくれて」
虎太郎はいつの間にか源助の後ろに回り込み、その腕を掴んで制止していた。
「何となく察してたことだ。それに、娜弥さんが言ってることは正しい」
母に対する不信感と嫌悪感。それは、虎太郎にとって新鮮な感覚ではなかった。むしろ、デジャヴ。きっと、記憶を失う前の自分もこんな感覚だったのだろうと思いを廻らす。
「虎太郎君......」
当の本人がこんな風にしおらしければ、源助も自然に萎えてくる。
「かなりお邪魔したし、今日はもう帰ろうぜ」
「そうだね」
余っている茶を飲み干し、男たちは帰り支度をする。
「じゃあな、鹿島」
「さよなら、鹿島さん。また学校で」
「うん。今日は、色々とごめん」
別れの挨拶を済ませ、虎太郎たちは部屋を出る。
「表立って協力はしませんが、お茶くらいならいつでも出しますよ」
閉じられた襖の向こう側で、娜弥がそう言った。
帰り道、虎太郎は母親のオンスタ投稿を流し見る。
《急用で息子の学校へ!会えなかったけど、あの子は強強だから心配無用!またお正月休みに会おうね!》
この投稿が虎太郎の目に留まった。この日の投稿日はおそらく自分の記憶が失くなった日。その日、母親は自分の近くにいた。
でも、会うことはなかった。それは会いに来なかったのか、それとも自分が避けていたのかどうか分からない。ただ、何も知らぬ虎太郎は湧き上がる悪感情を抑えきれない。
吐き気がする
反吐が喉を駆け上がる
鹿島の母は娘を案じて仕事切り上げた
あの冷酷だのロボットだの無感情だの愛を知らぬ巫女だの世間に揶揄される女ですら、娘の事を優先した。
俺の母は?
俺の父は?
今どこで何をしてるんだ?
なんでそんなに楽しそうなんだよ
なにがそんなに面白いんだ
なにが俺は強いだ
知らないくせに
あぁ、そうだ。この感覚もデジャヴだ。
そうか、これだ。この感覚だ。
頼ろうと思えば、いつでも母を無理矢理呼び戻せたはずだ。
それがたとえ使用人に嫌われていたとしてもだ。
でも、それは為せなかった。為さなかった。
俺の潜在意識が母に頼ることを拒絶した。
「う」
意識がぼやける。先ほどのまで耳に入ってきた電車が駆ける音は消え、代わりに少年の泣き声が聞こえる。
“■■が!■■がぁ!”
聞いたことある言葉、しかしその言葉は頭をすり抜ける。何かの名前だろうか。
「大丈夫ですか?」
近くにいたOLが虎太郎の揺れる体を支える。虎太郎はいつの間にか駅のホームに降り立ち、改札も通らぬまま、辺りをフラフラしていた。
「なんじゃ、お主。ナルコレプシーでも患っておるのか?」
OL...ではなく、その姿に化けた玉藻が虎太郎の耳元で囁く。
「家族ごっこは、楽しいかよ」
虎太郎の返事は噛み合わない。
「まぁだ夢を見ておるのか。初奴め、仕方なしに我が家まで送ってやろう」
玉藻に支えられながら、虎太郎は駅から姿を消した。