ep37
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「クク、アハ、アハハ!」
抑えきれぬ笑い声が部屋に漏れる。
「随分と楽しそうですね。姉様」
「えぇ、ルシィ。こんなにも上手く事が運ぶとは思っていなかったものですから、少々はしたないところを見せました」
「どういうことですか?」
「虎太郎が平井源助と接触、そして親交を深めました」
「は?今、何て言いました?」
「彼の命は私たちの手のひらの上に転がって来たのです」
そう言い終えた後、マリィは再び口元を抑える。
「今の彼は空っぽの器。今すぐにでも始末したいところですが、それでは振り出しに戻るだけ。その間に彼らには信頼関係を築き上げてもらいましょう」
「驚いたな。あの人間がジョーカーになりえるものとは思いもよりませんでした」
「やはり、私たちが正しいのです。この聖戦は私たちの勝利によって締め括られる!」
二人が騒いでいるのを横目に玉藻はつまらなそうに煙管を吹かしていた。
※
「は?」
虎太郎が家に帰ると、部屋に玉藻が寝転がっていた。
「おお、やっと帰ってきたか」
「どうやって入った?何しに来たんだ?」
「用がないと来てはいけないのか?」
尻尾がゆらゆらと揺れるたびに、乗り物酔いのような感覚に襲われる。
「あっても来て欲しくないがな。それに質問に答えろ」
「まぁ、今回は用があって来たんだがの」
玉藻が座り直すと、懐から煙管を取り出した。
「どうやって入ってきたのかも答えろ。敷地には森羅結界が張られてるんだぞ?例え、神でも─「ピンきりという言葉だったか?」
「なんだと?」
「森羅結界、大いに結構。晴明や道満、いやそうでなくとも賀茂家当主程の者が張ればさすがに我でも入ることはできぬ。だが、この結界は形だけ。ほんの少し"気"を誤魔化せばすんなり入れたわ」
「そんなことで」
「我を何と心得る。生ける伝説、玉藻前ぞ」
ふぅ、と煙が部屋に揺れる。
「我らの目的、お前の耳にも入れてやらねば可哀想だと思ってな」
「それはどうも。可哀想だと思うならまずお前の骨を取り除いてくれ」
「ハハハ!それは出来ぬ相談だ!」
玉藻は愉しそうに笑うが、虎太郎としては全然愉快ではない。
「さて、本題に入るか。我らの狙いは平井源助の命と女神アリアの失墜というものだ」
「なんであいつとその女神さまの失墜が関係あるんだよ」
平井源助の命という言葉を聞いた瞬間、虎太郎の心中を動揺が満たした。しかし、それを悟られてはいけないと思い、できる限りの冷静に言葉を発する。
「ほぅ、思った以上に冷静だな。もっと取り乱すかと思ったが」
「それで事態が善くなるなら嫌になるほど喚いてやる」
「ふぅむ、その剛胆さ。いつか砕いてやりたいものだぁ」
玉藻は艶やかに自身の頬を撫でる。
「質問に答えろ!」
「そう急くな。まぁ、理由は我も知らぬ。そもそも、奴らとは利害が一致していたから共にいただけだからな。そこまで詮索する必要もなかった」
「なぜ、目的とやらを俺に教えた。俺が知らない方が都合がいいんじゃないか」
「そうだな。お前の言う通り、その方が断然によい。だが、それでは面白くない。それに、あ奴らより、お主の方が好みだ♥️」
妖艶な笑みとともに玉藻の"気"が虎太郎の部屋を満たす。
「その気色の悪い"気"を振り撒くのをやめろ!」
「我の妖気にも慣れてきたか。良き良き」
それにしても、と玉藻は続ける。
「お主の従者どもは無能ばかりだのう。こんなに我の妖気を垂れ流しているのに誰一人として気づきやしない。それとも、気づいていても放っておかれているのか。ククケ、なんにしても哀れ極まりなきことだこと」
「くだらん戯れ言はそれだけか? なら早く帰れ」
「待て待て。日はまだ落ちたばかりだ。今宵は存分に親睦を深めようぞ」
※
なぜかこやつは私の気を引く。あの時感じたほどの魅力、そう、あの安倍晴明ほどに奴は私を魅いるのだ。
安倍晴明。この我が堕とすことが出来なかった唯一の男。彼奴は我と出会う度に、小汚ない式神どもで気を散らさせ、結界を展開し、封印しようと試みてきた。結果的に我は封印されずに済んだが、それは運も絡んでいたことだろう。また彼奴も我に絆されることなく、その寿命を終えた。それほどまで、彼奴は強くまた魅力的であった。彼奴の訃報を聞いたとき、その口惜しさにどれほど己の喉を掻き毟り、全身が煮えくり返ったことか。
故に、平井源助の存在を知ったとき、我はある期待を覚えた。その男は晴明になりえるのではないかと。だが、実際に目にした時、その期待は崩れ去った。その姿を一目見たとき、すぐに理解した。
神聖すぎる
と。我は神やら聖人やらには毛ほども興味が湧かぬ。いわゆる人間臭さというものが無ければ食指は伸びん。良心と本音で揺れる葛藤があるからこそ、人間は儚く醜く面白く美しいのだ。蚤ほどの劣情を引き出し、堕とすことに価値があるのだ。まだ今の奴の方が昔の奴よりましだ。だが、いずれ記憶と力が戻れば我の脅威となりうる。(それ故、可能ならば始末しておきたかった。不可能だったとしても奴が寿命を終えるまで逃げ続ければよい話だがな)
その点、あの小僧は良い。実に程よい。霊力はまだまだ発展途上と言えるが精神力はまさに最盛期の任役に並ぶ。そして、あの若さ。これでまだ青い果実なのだ。故、故に、未だ我慢だ。育てて、育てて、熟しきったところで狩る。堕とす。
そのためには、あの女のくだらん計画で死なせるわけにはいかぬ。最悪、敵対してでもあの小僧だけは手中に納めよう。どうせ、あ奴らにしても我だけに構わぬわけにはいかぬからな。奴らが騒いでいるところを、雲隠れしてしまえばよい。
あぁ、なんと待ち遠しきことよ!一日千秋とはまさにこのことなり!