ep17
※
二人が次に向かった場所は除霊をしてほしいと依頼した家だ。
「除霊ってわりかし優先的に処理されそうだけどここに回されたってことはそれほどって感じかな?」
「さぁな。まぁなんにせよ書類落ちだ。大したことないだろ」
「ここかな?」
そこには極々普通な一軒家だった。
─ピンポーン─
孝雄はためらいなくインターホンを鳴らした。
─はい─
「人外組合から除霊にきましたー。」
孝雄がそういうとすぐさま玄関が開いた。
「ようこそいらっしゃいました。中へどうぞ」
虎太郎たちは家の中へと案内され、客間にてお茶を出された。
「今回、除霊と伺ったのですが」
「はい。除霊です」
「先ほどから霊を探知しているんですが、全くそのような気配はないですよ」
そう。虎太郎はこの家に着いてから今までずっと霊の気配を探っていたのだ。しかし、悪霊どころか浮遊霊ひとつの気配も感じ取れなかった。
「そうなんです。以前、依頼した霊能力者の方や祓い屋の方も皆そう言ってるのです。けど、実際にこの家に霊はいるんです。だからこうやって組合さんの方にも依頼したんです」
二人はこの女性が嘘を言っているようには思えなかった。
「なにか、心当たりは?」
「…ありません」
「実際に被害は?」
「それも、ないです」
「なぜ霊がいると?その根拠は?」
「ありません!でも、確かにいるんです!感じるんですよ!霊の気配が!」
「うーん…」
虎太郎は困り果てた。
いくら名家の倅だろうといない霊は祓えない。
いない、いないのだ。この家に霊は。
だが、この世にそんなことは起こりうる。
虎太郎自身、それを経験したのだから─
「とりあえず、その霊を感じた場所を見させてもらっていいですか?」
「引き受けてもらえるんですか?」
「もちろんですよ。貴女だって嘘をついてるわけじゃないんでしょうから」
「ありがとうございます!」
依頼者の女性は深々と頭を下げて礼を言い、そしてその場所へと案内した。
「ここは私の自室です。ここで霊の気配を感じました」
「ふーむぅ。こたっちゃん、なにか分かった?」
「まだ何も。詳しく見てからじゃないと判断がつかん」
その自室にも霊の気配は感じられない。
「具体的にはこの部屋のどの辺でそう感じましたか?」
「ええっと、例えば、ここ、ですかね」
女性は机付近を指差した。
「そこですか。ちょっと見てみますね」
虎太郎がそこへ向かおうとした時、ガクンッ と膝が折れた。
えっ?
そこで虎太郎の意識は闇へと消えた。
「こたっちゃん!?おい、てめ─」
孝雄は女性の方へ振り向こうとしたが、その前に意識を失った。
「また、馬鹿が罠に嵌まりおったわ。このガキ共、若い癖に質がいい。久々の馳走じゃ」
何処にでもいそうな凡麗な女性の顔はみるみる異形のモノへと変わっていった。
※
─たっちゃん─
懐かしい声。柔らかに俺を包み込んでくれる優しい声。
─たっちゃん、起きて─
彼女が俺を呼んでいる。幾日も待ち望んでいた呼び声。
─起きて、一緒に遊ぼう?─
あぁ。でもその前に約束を果たさないと。
─もう、そんなことはいいよ。だから、遊ぼう?─
駄目だ。あの日、必ず約束は果たすと誓ったんだ。
─遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう─
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
幾度そんなやり取りを繰り返したか、遂に彼女の姿が崩れた。
あぁ、いくな、待ってくれ。頼む。
その願いもむなしく、完全に塵となって消えた。
あ、あぁ、亜亞唖堊錏鐚椏襾!
言葉にならぬ叫び。
空間は軋み、歪み、裂け、崩れた。
「ぁぁあ!」
目を覚ますとそこは知らない場所だった。体は縛られている。
ジメジメとしながらも乾いたような異様な空気。
そこには妖気とも霊気とも言えぬ気味の悪い"気"が漂っていた。
「ほぉ。まさかあたしの術を破るなんて…。若い癖に大したもんだよ」
「なんだ、お前は?」
「まだわからないのかい?こいつさ」
そう言うとたちまちその顔は依頼者の顔へと変化していった。
「騙したのか」
「そうさ!人間は馬鹿でいいねぇ!ちょっとか弱く見せりゃほいほい騙されてくれる」
「なるほど。道理でこの依頼が割がいいのに余ってるわけだ。粗方お前が工作してたんだろ?」
「ふぅん、中々頭が回るガキだね。そうとも、この大妖怪である忌蛇螺様にたかが人間の一役所の操作ぐらい造作もないよ。この依頼を受けた馬鹿共が帰って来ないことに気づかない馬鹿な職員共が何も知らずにあたしに餌を供給してくれる。これが笑わずにいられるかい?」
アヒャハハハ と忌蛇螺は笑う。
「あぁ、ほんとに馬鹿だ。情けねぇよ」
「ウヒヒ、あんたらはじっくりといたぶって旨味を引き出してから喰らうことにするよ」
「もしかして、同じじゃないか、って思ってた。俺と同じで誰にも信じてもらえず、一人で苦しんでいるんじゃないか、って」
「アハッ、そりゃ傑作だね!そうやってもっと絶望しておくれ。そうすれば旨味がどんどん出てくる!」
「本当にお笑いもんだ。なぁ、孝雄?」
「無駄無駄。そのガキはまだ夢の中さ。ま、戻ってこれるかどうか─「悔しいよな。こたっちゃん」
「今日、久々にこたっちゃんが笑った顔を見たんだ。いつも仏頂面してるこたっちゃんがあの頃みたいに優しい顔してた」
孝雄の体が筋張る。
「だから、今日のこたっちゃんは何だか優しかった。あまりにも他人に親身だった。少しずつでも傷が癒えてると思った」
そして拘束していた術式を破壊した。
「なっ!?このあたしの術式が!」
「なぁ、楽しいか?さっきからゲラゲラ笑ってさ。俺は不愉快だよ。頼むから消えてくれ」
《虞邪滅式》
瞬間、忌蛇螺の視界から孝雄が消えた。
「どこ─」
何も分からぬまま、忌蛇螺の顔面に強烈な殴打が入る。
「ぐぇっ!」
間髪入れず、凄まじい連擊を打ち込む。
「ぐぅぅぅ!ガキがぁぁぁぁ!」
忌蛇螺はその連撃の僅かな隙間を縫い、孝雄を振り払った。
「チッ!さすがにワンコンじゃ死なないか」
振り払われた時にかすったのか孝雄の頬から血が流れる。
「糞ガキがぁぁぁぁ!貴様は死よりも恐ろしい苦しみを味わわせてやるぅ!」
「それはこっちのセリフだ。蛇野郎が」
二人が火花を散らす中、虎太郎は静かに、ただ静かにそこに居座っていた。未だ拘束を解かずに。
「孝雄。一人でやれるか?」
「もち!こたっちゃんに期待されちゃ勝つしかねぇよなぁ!」
「舐めるなぁぁぁぁ!」
忌蛇螺は不規則に体を這わせながら孝雄に襲いかかる。
「精神系はお手のものだったが、肉弾戦はどうかな?」
孝雄もそれに応じる。
「キシャャャャァァァ!」
忌蛇螺は牙を立て、まるで惑星のごとき動きで孝雄に噛みつく。
「ふっ!」
それを孝雄は受け流す。
「ラァッ!」
孝雄はカウンターを打ち込もうとするが、忌蛇螺は体をくねらせ、躱す。
「もはや貴様の動きは見切ったわ!」
「そりゃお互い様でしょ!」
「甘い。余りにも甘すぎる考えだ。誰が本気を出したと言った」
「へぇ。なら、本気出してみてよ」
「フフハ、その自身の愚かさを死の恐怖を味わいながら後悔せい!」
《蛇瘰怨業》
辺りに漂っていた気味の悪い"気"が忌蛇螺の体へと取り込まれていく。
「こうなったら、楽には死ねんぞ?」
忌蛇螺は虚空に腕を振るった。ただそれだけだが、
「ッ!」
孝雄はとっさに防御態勢を取った。
─ミキミキミキミキ─
孝雄は自身の骨が軋む音をはっきりと耳にした。
「ぐっ!」
腕を振るった衝撃波だけでこの威力。まずいな…。
「行けるか?孝雄」
虎太郎はなおも微動だにせず、孝雄に尋ねる。
「あぁ、行けるよ。心配いらないさ」
「孝雄、お前があれを使ったとしても、俺はお前を─「それ、何度も聞いた」
孝雄は苦笑する。
「分かってる。でも、それでも、俺はこたっちゃんにそんな姿を見せたくない」
「…なら、余裕で勝ってこいよ。そんな面見せるな」
「ごめん。こたっちゃん」
あぁ。俺も馬鹿だったよ、こたっちゃん。自分のことで精一杯だったはずなのに、俺のことも心配させちゃった。
「お別れの言葉はそれくらいでいいかい?」
「あぁ、来なよ。ツチノコ」
「ほう、なら、死ねぇぇぇぇぇ!」
音速を遥かに超えた速度で忌蛇螺は孝雄に飛びかかった。
しかし、孝雄は動かない。
「もはや反応すら出来ぬか!」
忌蛇螺は孝雄に巻き付く。
「さて、このまま内臓ぶちまけさせて殺してやる!」
─ミシミシミシ─
孝雄の体が悲鳴をあげる。
「ぃ…」
「んん~?なんだい?小さ過ぎて聞こえないねぇ~?」
「戒!」
「は?遂に血迷ったか?つまらないね、ぇっ!」
忌蛇螺は自身の体の異変に気づいた。
「があっ、っ、あっ、ぁっ、か、乾く、熱い!」
まるで内側から太陽に灼かれているような苦しみが襲った。
「仏敵滅せよ」
「ギィヤァァァァァァ!」
たちまち、忌蛇螺は朱い炎に包まれた。孝雄を巻き込んで
「孝雄!」
「これは…自分への、戒めだ…。これ、くらい、しない、と」
やがて忌蛇螺は灰となり、風に消えた。
それと同時にこの空間も消え、いつの間にか元の家の場所であろう空き地にいた。
「おい、馬鹿雄!死ぬ気か!」
孝雄は全身に酷い火傷を負っていた。
「さすがに、死ぬ気は、ない、かな?」
「待ってろ。今治してやる」
「駄目!だ…その力は…」
「俺の力をどう使おうと俺の勝手だ。お前は黙って受けてろ」
「でも…」
孝雄の返事を待たず、虎太郎は治療術を始めた。
「ごめん。ごめんよ。こたっちゃんの足、引っ張っちゃった」
「元はと言えば俺の油断のせいだ。気にすんな」
数分後、孝雄の火傷は完全に治った。
「よし。元より肌が綺麗になったんじゃないか?」
「はは、そうかも。ッ!」
孝雄は起き上がろうとして腕を押さえる。
「おい!お前腕も─「やめろ!」
虎太郎が再び治療術を展開しようとしたが孝雄は声を荒げて止めた。
「これくらい、数日もしたら治るさ」
「そうかよ」
虎太郎はそれ以上何も言わなかった。
微笑ましかった一件目から一変、なんとも重苦しい最後となった。
虎太郎は孝雄の体調を考慮し、今日は終わるか と提案したが孝雄は断固として拒否したため、三件目まで行うこととなった。
この除霊騒ぎの一件より忌蛇螺の被害者となった者たちの存在が認識されるが肝心の忌蛇螺は既に祓われ、その祓った人物も明るみに出なかったため、世間一般では怪事件として扱われた。
ただ一部の人たちはそれが鵬明の生徒二人が関わっていることを知っている。(組合は第三者秘密保護の観点よりその事実を公表していない)