盲目
例えば英語の時間に「俺は日本から出ないんだよ!」とか言っちゃう系の同性とは、大体友達だと思ってる。まぁ今は国語の授業中で、なおかつ漢文とかいう中国四千年の歴史的な単元なんだけどさ。英語であぁ言っちゃうなら漢文も古文も必要ない。だって使わないし。とか、元も子もない。
生活の上で使うものって案外少ない。連立方程式とか使わないでしょ普通。初代アメリカの大統領が言えたところで、得もないし損もない。そう思うのって俺だけなのかな。部活に出るためだけに学校に来ている。この時間が終われば、あとは部活。カウントダウンはしない。どこから始めればいいか分からないから。
俺はバカだけどバカじゃなくて、学力そこそこ、その他もそこそこ。気楽に生きてますとかは言えなくて、ブルースプリングを部活に捧げた男子中学生。最近彼女ができました。ので、日々を楽しく生きてる。これは幸せな事実だ。恋に部活にって、充実してしまっている。
でも残念ながらそんな俺にも漢字の文字列に興味はなくて、隣りに座る澤村愛は寝ていた。国語の時間は睡眠の時間らしくて、起きている方が珍しい。今日は寝ているから平常で、そんな澤村愛が彼女。可愛くて愛おしくてたまらない。これは健全な恋という病である。
熱でうなされていた澤村愛にうっかり口を滑らせた。それが告白。覚悟を決めてっていうか、口に出したら妙に楽になっちゃって、吹っ切れてしまった。澤村愛の中で男は俺だけ。あ、勝機ある。とか、思っちゃって。どうしても澤村愛が欲しかった。理屈抜き。むしろ、どうして好きにならないんだって思うくらいには。二重の意味で愛に溺れている。
浮かれているわけじゃなくて、いや確かに浮かれてるし宙に浮いちゃってるけど、澤村愛の異変くらいには気付いてしまう。愛の力ってややこしいけど感情の方の愛だから。その力かなんかで気付いちゃう。伊達に年子の妹を持ってないんで。何で悩んでるかって、分かっちゃうんだこれも。俺のことだけど俺のことじゃない。澤村愛が澤村愛でいるための、根底のこと。俺のことじゃない。でも多分、俺のため。これは自惚れ。否定しないし肯定するしかない雰囲気。澤村愛は自分のために考える。真実が自分を傷つけようが、俺や朝日を傷つけようが関係がない。ただ知りたいという知識欲、好奇心が猫だけでなく自分を殺す。いつかきっと。必ず。恋人でなくても、澤村愛が死なないような、ストッパー役でもなんでもよかった。澤村愛の中での役割が、欲しかったのかもしれない。恋は盲目である。
細くて、小さくて、紛れもなく少女の澤村愛。まだ目を覚まさない。授業は終わらない。白くなめらかなやわい肌。頬に水滴が伝っていた。目は覚まさない。ノートが濡れる。少女は、
「……おとうさん」
俺は待つしかなくて、ただひたすらに少女の幸せを祈るってキレイ言を平然と吐く、大切な目が使えない思春期の少年です。