6話 平和主義の黒猫
歩いている内に海沿いの堤防にたどり着いた。ここは景色がいいので人間と動物の憩いの場になっている。
夕焼けが沈もうとしている。いつもは好きな景色だが、今日は眺める気になれない。学生服やランニングウェアを着た人間が時々横切る。
空を見上げていると先ほどの灰色の野良猫を思い出す。
あの目……燃えるような憎悪だった。それはそうだ。彼らからすれば、いつも贅沢をしている奴が来る必要の無い所に来たのだ。彼らは見下されたと思ったのだろう。
……昨日の海人少年、それに昨日のご主人が見せた苦い表情といい、最近嫌な顔を見すぎた。
「はぁ……」
ため息を吐く。今日はもう帰りたい気分だが、まだご主人は家に帰ってはいない。
「なんだか浮かない顔ですわね、ナハト。何かあったの?」
気がつくと目の前にはリードに繋がれたアデール。そしてリードを手にしていたのは彼女の主人、柊だった。ご主人も高身長だが、彼は以上だった。真っ直ぐな背筋は、若々しい印象で、老人を感じさせない。
「おや、その黒い毛に白い三日月模様は春香さんの所のナハトだね?」
柊は穏やかな笑みを浮かべた。彼と私が会ったのは一度だけだと言うのに良く覚えている。ご主人と動物が好きな者同士、ペットの話をよくするのかもしれない。
「アデールと仲良くしてくれてありがとう。この子、他の動物を寄せ付けないからねぇ」
柊は言葉が通じないはずの私にそう言ってお辞儀をした。私もとりあえず頭を下げた。
「素敵な殿方でしょ?」
突然アデールに訪ねられたので「ああ。そうだな」と答えた。
アデールは私の顔をじっと見つめると、クスリと笑った。
「貴方が落ち込むなんて……きっと野良猫達と喧嘩でもしたのでしょう?」
驚いた。「喧嘩というよりは……どうして分かるんだ?」
「飼い猫と野良猫は中が悪いって有名ですからね。それに貴方って平和主義だから」
平和主義。初めて言われたが、とてもしっくりくる言葉だ。
そうだ。私は争いが嫌いなのだ。
今よりずっと若かった時、他の猫と喧嘩をして、傷だらけで帰った事があった。ご主人は私の姿を見て、大泣きしてしまった。理由を聞くと、爪で引っかかれて、血が出ていた為だった。
「ご主人、猫の世界じゃこんな事日常茶飯事だぞ。この程度大した傷じゃ無い」そう言っても
「もう喧嘩は止めて。ナハトに何かあったら、私……」彼女は震える指で私に手当をした。
あの時の、何かに酷く怯えていたご主人の顔は忘れられない。だから私は争いを嫌う。ご主人が悲しむから。
「犬の君とも、トラとだって仲良くなれたのだ。いつかはあの猫たちも……アデール、これは夢物語に聞こえるかな?」
アデールは私の頬をそっと舐めた。
「きっと出来ますわ。貴方ほど勉強熱心な猫はいないですもの」
「……アデール、そろそろ行こうか」
柊の言葉にアデールはウォンと鳴いた。
私は彼女の背中に礼を言う。
「ありがとうアデール。君と話せたおかげで少し元気が出たよ」