38話 甘噛み
「それで、貴方は今日街を出て行くのね」
アデールは寂しそうに言った。空は驚くほど青く、 どこか非日常的に感じる。
「ああ、私とご主人は、使命が出来たんだ。しばらくこの街の夕日とも、君ともお別れしなければならない」
私は静かな口調で答える。
この街の青空が帰ってきたのだと感じた。
私の今の心境がそう見せてるのかもしれない。
とても清々しい気分だった。
「そう……」
「アデール、君には本当に世話になった。柊にもよろ しく言っておいてくれ」
私は答える。
この街で過ごした日々は、静かで、美しかった。
するとアデールは、クスクスと徐々に笑い声を上げた。令嬢が喜劇を見たような、上品な笑い方だった。
「? 私は何か面白い事を言ったのか?」
「ええ、なんだか貴方、少し見ない内にずいぶんと素敵な殿方になったと思うとなんだか可笑しくて」
「な、」顔が一気に熱くなる。アデールはすました顔で続ける。
「でもすぐに表情が崩れる貴方もチャーミングでしてよ」
「か、からかわないでくれ……」私は彼女の視線から目を逸らす。やっぱり私は猫になってからも女性が苦手なようだ。
するとアデールは突然、私の後ろ首に噛み付いた。
ぎょっとしたが、痛みは全く無かった。
「……私は食べれないと思うぞ」
「私達流の愛情表現よ。旅ゆく者に幸あれ。そう願いを掛けて甘噛みするの」
「––ありがとう。君も達者でな」
前に私は、自分が人間だったら良かったのにと思っていた。
しかし今は猫にしてもらえたら事をアゲハに感謝したい。
素晴らしい友人と、こうして出会えたのだから。




