33話 カルテス・リヒト
信じられない光景だ。あの北見海人少年が銃で人を殺した。いつも笑顔を絶やさない少年がだ。
足下には倒れて動かない木下と呼ばれた男。ご主人の説得で自分の行いを悔み、罪を償おうと決意した、写真に映った少女の父親が、
私達の目の前で命を落とした。
私の猫の鼻は、硝煙と、血の匂いを感じていた。私達は、悪夢を見ている。
「木下さんは貴方を殺せなかった。残念だ。せっかく美しいテーマを持たせたのに、これじゃ駄作もいいところですよ」少年はいつもの様に笑った。いや、嗤ったのだ。
「春香!、ソイツから離れなさい!」
冬香が腰のホルダーから拳銃を引き抜くのが見えた。その動作は相手が子供であることに全く躊躇しない、冷静な動作だった。
だが、彼女が引き金を引こうとした瞬間、奴は既に冬香の背後に回っていた。そのままハンカチの様な布を取り出し、冬香の口に押し当てる。冬香は一瞬驚きの表情を見せ、眠るように倒れる。奴は彼女を紳士的に抱きかかえ、床にそっと寝かした。まるでおとぎ話に出てくる王子の様だった。
私は戦慄する。
この少年は、人を簡単に殺せる技術がある。彼は暗殺者だ。
「お姉ちゃん!?」
ご主人が叫ぶ。海人少年は嬉しそうに頬笑んだ。
「安心してください。ちょっと薬で眠って貰うだけです。貴方達、萌音姉妹は美しい。傷つけたら僕のモチーフから外れてしまう」
「どういう、事なの……?」
ご主人の発した声は、震えていたが、冷静だった。冷静を装うとしているのが分かった。
「うん、先生と会うのも今日で最後ですし、僕の事を話しましょう。」
「まず、僕の名前は北見海人なんかじゃありません。本当の名はブルーグラス、そう名付けられました。」
「ブルーグラス? ……それは確か熱帯魚の名前……」
「そう、僕は秘密結社、エンゼルフィッシュの一員なんです。今回は萌音春香を殺す命を受けました。本当は足が付かない為に、自殺に見せかけるのが理想でしたがね」
「自殺……?」
「そう、貴方が両親を亡くした事にトラウマになっていることは分かっていました。たとえば、野良猫達の死体を見て、フラッシュバックを起こした貴方は毒を服用し、自殺した。というストーリーなんて素敵じゃないですか」
ニッコリと少年は嗤う。
「貴方については、ネオンテトラとスマトラから聞いています。ほら、6年前くらい前に会ったと思いますよ」
「6年……前。あの仮面の二人組……。」
ご主人の瞳は大きく揺れた。6年前は、ご主人が両親の死を前に倒れた時ではないか。
「貴方達が……、私のママとパパを殺したの?」
北見海人は目を伏せた。どこか芝居じみている。彼はまるで、自分が小説の登場人物である事を理解しているような、不気味な動作だった。
「ええ。僕たちに狙われた事については、同情しますよ。でも心配しないで下さい。貴方はすぐにご両親と再会出来ますよ。僕は信仰深くて、そう信じているんです」
海人はご主人にゆっくりと歩み寄る。
「ご主人! 貴方は逃げろ!」私は叫び、彼女の前に立つ。
海人は喜劇を目にした観客の様に嘲笑う。
「ふぅん……、ナハト。君はこの状況が分かっているみたいだね。思っていたより賢く主人思いの猫なのかもしれない。例えるなら、姫君を守る騎士って所かな。これは面白いモチーフだね」海人はまるで、アイデアが振ってきた芸術家のように喜びの表情を浮かべた。
ご主人は俯いてその場を動かない。冬香は倒れたままだ。
……私は頭の中を廻る数々の思いを、迷いを切り捨てる事にした。
私が飛びかかればご主人が冬香を連れて逃げれる時間が稼げるかもしれない。
……あの時と同じだ。私の物語は今ここで幕を閉じる。
本当の事を言えば、死にたく無い。
また彼女に別れを告げなければいけないのか。
別れた後の、私のいない世界で生きる彼女の事を考えると胸が張り裂けそうになる。
奇跡の様な出会いだったというのに。
「仕方が無いか……」少しだけ笑みがこぼれた。自分の程度が理解出来た気がするからだ。
私はただの黒猫で、ご主人の人生に出てくる登場人物だ。
彼女、萌音春香は女神によると、世界を変える業を背負った女性だ。
そんな彼女を一時期でも救えるなら、私の生にも意味は確かにあったのだ。
そう思い込もうとする自分が、可笑しく思えるだけ、良しとしようか。
私はご主人の前に立つ。――その時、
「……ねぇ、海人君」
ご主人は静かに彼の名を呼んだ。この状況で、驚くほど落ち着いた声で、慈愛すら感じる。
「貴方はどうしてそんな仕事をしているの?」
「さぁ? 物心つく前には殺し屋をしてましたからね」
「――可愛そう」
「……はい?」ずっと笑顔を貼り付けていた海人の顔が引きつる。ご主人は真っ直ぐ
「絵を描いている海人君は楽しそうだった。あれが嘘の顔とは思えない……私には思えないよ。」
ご主人は真っ直ぐ少年を見つめる。
「ご主人……」
私はこの瞳を知っている。王女の瞳だ。誰よりも気高く、敵国ですら慈しみを持つ、猫の王女と呼ばれた瞳だった。
「……うるさい。」
先程までの海斗の余裕の表情が消えた。少年は獲物を襲う狼の様な顔に豹変する。
「海斗君、私はねーー」
ご主人は怯まずに答える。
「君と絵を描けて、一緒に幻想を見て、嬉しかったよ」
「黙れ!!」
海斗は叫んだ。私には、苦しみから逃れたい様に見えた。
「あの人……姉さんの様に振る舞うな! 僕はもう過去を忘れたんだ。僕が姉さんを幸せにするんだ。姉さんの……姉さんの顔で僕を哀れるな!」
海斗は頭を掻き毟る。
酷く取り乱しているのだった。
少年は懐からナイフを取り出した。銀色のナイフは怪しく輝く。
「もうお前を美術品と思う事は辞めだ。殺してやる。滅多刺しだ。姉さんを語る偽者め! 二度と姉さんと同じ顔を出来ない様にしてやる!」
「ご主人!逃げろ!そいつは危険だ!
「ナハト……ごめん、私はこの子を助けなきゃ。だって私は……この子の先生だから」
ご主人は悲しく微笑み、海斗に寄っていく。彼女の表情は不思議なほど穏やかだった。
「贋作め! 消えろぉ!」
少年の姿をした獣は狂ったようにご主人に真っ直ぐ突っ込む。
その瞬間私は彼女の名前を叫んでいた。猫の四つ足は、宙を駆ける。頼りない牙がある口を命一杯開く。
心臓は彼女を守る使命で動き出した。僕は叫ぶ。
「――僕は、貴方を絶対に失いたくは無いんだ!」
――ねぇ、そろそろプレゼントの紐を解く時じゃない?
突然女の声――アゲハの声が聞こえた。
プレゼント? 浮かんだ疑問はすぐに解消される。
私の中に、確かに感じる何かがある。
――私はつまらない幕締めほど嫌いな物は無いの。さぁ、カルテス・リヒト。存分に踊りなさい!
カルテス・リヒト。
それは王女だった彼女が名前が無い私に名付けてくれた名前だ。冷たい灯りを意味する言葉。
「――君は私の月になって欲しい。その冷たい灯りで、私を照らして欲しいの。そしたら私、何だって出来るわ」
王女の声を思い出す。
「言われなくともっ!」
僕は叫ぶ。彼女が傍にいてくれるのなら、私はいつまでも明かりを灯そう。
僕はあの時、そう誓ったんだ。




