30話 夜の少女刑事
ご主人は牧野の病院を出るとアトリエに向かった。部屋に入ると窓を開け、キャンパスを展開し、絵を描き始める。カーディガンからスマートフォンを取り出し、何か操作をしている。私はその様子を木の上から眺めていた。ご主人は私に視線を向くと、私は声を発する「ご主人はそのまま絵を描いていてくれ、後は私に任せろ」ご主人は少し微笑み頷いた。そして視線をキャンパスに戻す。私は自分に言い聞かせる。
この仕事は人間の頃からやって来きた事で、猫になった私にはうってつけだ。必ずご主人を――、春香を守り切ってみせる。
それにしても、まさか猫になった事が役に立つ日が来ようとは……そう思うと、口元から笑みが零れた。
結局、私の役目はずっと変わっていないのだ。その事実はあの妖しげな女神に感謝しなくてはならない。
そのまま時間が過ぎ、時間は夜になった。空を見上げると三日月が出ている。私の首元と同じ形はその輝きが私を照らす。
「いや、もう一人月光に照らされた人物がいたな!」
私は壁に隠れていた影を見落としはしなかった。
「今だご主人!」
ご主人は私の声を聞き、手を上げた。影はご主人の挙動に感づき、その場を離れようとする。
「動くな! 警察よ!」
逃げようとした影の前に現れたのは黒髪の少女――、の様な刑事であり、ご主人の実の姉、萌音冬香であった。
影の正体はやはり、私達が予想した人物で、あのホームレス風の男だった。男は冬香を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……おやおや、こんな夜更けにどうしたの、お嬢ちゃん?」
冬香は不敵に笑った。
「私は25歳で刑事よ。……撃たれたいの?」
冬香は腰のホルダーに手を掛ける。彼女の物騒な発言に、私は驚く。冬香は以前からご主人の事になると、性格が変わる気がする。
男は不敵に笑った。丸眼鏡の奥の眼光は、鋭い。
「冗談だ。あんたの事は知っている。萌音冬香さんだろ?」
「そ。どうして私の名前を知っているのかは今はどうだっていいわ。問題は妹のアトリエで何をしようとしていたのかだけ。ちょっと話を聞かせてくれるかしら?」
男は冬香に誘導されアトリエの中に入っていく。
窓を見ると、ご主人がホッと胸をなで下ろしてこっちを見つめていた。私は尻尾を振り、冬香はウインクをした。
まずは男を捕まえる事には成功したが、まだ、油断は出来ない。
人を疑わない彼女の代わりに最後まで疑い続ける事も、昔からの私の役目だった。




