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29話 白猫と煙草


 ご主人は目を見開き驚いた。「監視? ……私を?」

 私も驚きつつ、記憶を思い出す。 そういえば、あのホームレスはあれだけご主人の行動付近で出没していたのに、ご主人は奴を知らない。こうも考えられる。

 奴はご主人に見つからない様に行動していたのでは?

 そしてあの凄惨な光景は彼女に見せつける為の殺戮だったら――。

 あの男は、トラ達に信頼されていて、食料を提供していた。グラウ達野良猫だって馬鹿じゃない。彼らは基本人間を信頼しないのだ。

 そう考えるとゾッとする。黒い体毛が逆立つのを感じた。

 猫になった今だからこそ思う。人間は、獣よりも残酷だ。

 私が人間だった頃は、沢山の死があった。戦争に革命に断罪の為の処刑具……。命の価値は今よりもずっと安く、人が人を殺す時代だった。 

 当時私の様な召使いだって、人を殺す手段を身に付けていて、王女の命で殺しはしないが人を斬った事もある。


 それでも私は猫殺しの犯人とは絶対的に違う。私は目の前に映った彼女を守る為の手段として剣を取った。

 今回の犯人は違う。

 本来、猫達を殺す必要が無いのだ。命を奪うことの必要性は、殺しにおいてなによりも最重視されるべき物なのだ。

 ご主人は私を見た。強い眼差しだ、彼女は王女の頃から命を大切に扱ってきた。それは萌音春香となった今でも、変わらないのだと思うと、頼もしく感じた。

「そう……ですか。その人が猫を殺したのかは分からないですが、私と関わりがあるんですね。次はその人を探してみようと思います。ありがとう、沙綾さん」ご主人は頭を深く下げ、立ち上がった。

「猫女、最後にあたしの話も聞いてくれるかい?」

 

 牧野は新しい煙草に火を付けて口を開いた。

「前にあんたに話したけど、あたしは猫に救われた事がある。あたしは子供の頃、難病を患っていてね、医者にも治療は難しいって難しいって見放されてたんだ」

 牧野は煙を吐く。その瞳はどこかご主人や私の様な、猫を連想させる瞳だった。

「あたしも生きるのを諦めていた。死にたくは無かったけど、生きる理由も見つからなくてね。それで毎日庭に出てベンチに座って空をぼーっと眺めていたら、隣に白い猫がやってきた」

「どんな、猫なんですか?」ご主人は優しい口調で聞く。


「賢そうな猫だったよ。聡明って言葉が似合う。そこにいるナハトよりね」そう言って牧野は私を見て笑った。私は比べられる事が不満で、苦言を込めて一言鳴いた。

「するとその猫がしゃべり出したの、天気が良いのにずいぶん浮かない顔だねって」牧野は笑った。

 ご主人は目を丸くする。

「牧野さんも、猫と話せるんですか?」

 「いんや、そんときだけ。だからあたしにとってその出来事は夢か薬の副作用での幻覚だったんじゃ無いかなって。あたしはその猫にどうやったらもうすぐ死ぬのに浮かれる事が出来るってわけ? ってね」

「それで、その白猫は何て言ったのですか?」

「それならもし生きる事が出来たらの事を考えようって。そう考えられることが幸せだって、あたしはそんなポジティブじゃないから、それは無理だよってその公園から立ち去った。それで、その日の夜に手術する事になったんだけど、麻酔で意識が遠くなる寸前、その猫に言われた事を思い出してね。私が生きてやりたい事……やりたい事は無いけれど、あの気休めを言ってくれた猫にはお礼を言いたいな。ふと、思ったんだ」


 不思議な話だ。私はそう思った。ご主人は優しい表情で牧野の話を聞き続ける。

「結果、奇跡的に手術は成功し、あたしは生きる事になった。すぐに公園に向かったけどあの白い猫はどこにもいなかった。私は――」

 牧野は私に近づき、頭を撫でる。少し手荒いが、その手のひらには慈愛が込められていた。

「あんた達猫全員に恩を返そうって思ってね。だから今のあたしがある」

 ご主人は微笑み答えた。

「牧野さんも、前世は猫だったのかもしれませんね」

 牧野は私の頭から手を離すと、白衣のポケットから小さな紙袋を取り出しご主人に手渡した。

「これは……」

「あいつらの骨を灰にした物だ。猫女、あんたはそれを受け取る権利がある。どうしようと自由だ」

 牧野はご主人をまっすぐ見つめ、こう言った。

「その代わり、この悲劇を終わらせてくれ。あたしはもう、あいつらが死ぬのを見たくない」

 ご主人は無言で頷き、ゆっくりと紙袋を受け取った。そして目を瞑り小さな紙袋を大切そうに胸に抱えた。

 私には、彼女が祈るようにも見える。――トラ達の冥福を。


「沙綾さん、煙草、一本貰っても良いですか?」

「あんた吸わないだろ」

「今だけ吸いたいんです」

「……分かった。だけどあたしのやつは強いよ」

 牧野は煙草を一本手渡す。ご主人は口に咥え火を付けたが、すぐに咽せてしまった。それでもすぐに煙草を咥え直す。

「だから言ったろ」

「……沙綾さんが煙草を吸う理由が、何となく分かりました」

 ご主人は涙目で口を開いた。少し、苦しそうな声で。

「どうしてもやりきれない時に、貴方はこうやって煙草を吸うんですね」

 牧野は無言で、もう一本取り出し、口に咥えた。

「そう……よく分かったね」

 動物病院の中で、カチンとオイルライターの音が鈍く鳴り響いた。


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