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24話 Grau(グラウ)

「お前、また来たのか」

 古びているが高級そうな椅子に陣取る灰猫は、厳威ある王の様だった。窓から入り込む光が重みのある空間を作り出している。

 私はつい、前世の癖で跪きたくなる。なんせ、あの時代は頭を下げる相手が多すぎる。

 ご主人は微笑み、スカートを持ち上げ頭を下げる。

 カーテシ―という女性が行う、ヨーロッパ伝統の挨拶だ。私が生きた時代とは違い、おそらくこの青空の街で彼女だけが行う作法だろう。やはり、ご主人の中の王女時代の記憶が確かにあるのだなと確信する。

 

 あの夜咆哮し、猫達に語りかけた姿は、正に女王と呼べるにふさわしかったからだ。

 ……彼女は、いつか人間だった私の事を思い出すのだろうか。もしそんな時があればその時は私も猫になりたかったと言うのだろうな。可笑しい気持ちと同時に、思い出して欲しいと願望も浮き出る。

 ご主人が人間の私を覚えていないことに少し、寂しく思ってしまう。


「話すのは初めてだよね。私は萌音春香、ナハトの飼い主です」

「知っている……そいつや仲間から聞いてはいたが、本当に猫と喋れるみたいだな」

 灰猫はフッと笑う。

「あの時の事、教えてくれませんか? 私達、この事件を解決したいんです」

「……以前トラや仲間達が世話になったそうだな。いいだろう。野良猫で事件の当事者は俺しかいないのだから」

「ありがとう」 ご主人はぱぁっと顔をほころばせる。



「いつもあの日は、公園に集まる予定だったんだ。この街は整備されすぎていて、獲物がなかなか捕れない。俺たち野良猫の生活は苦しいもんだ。最近餌をくれる人間が増えたという事をトラから聞いていた。俺は裏があるんじゃ無いかと怪しんでいたが、トラは人間を信じていてな。遅れて公園に着くと、あいつらは死んでいた。そこにはキャットフードも落ちていて、すぐに人間の仕業だと思った」

 

 ご主人は指で唇で覆い、考え込む仕草をする。

「つまり灰猫さんは犯人を見ていないんですね。犯人に検討はありますか?」

 ご主人に尋ねられた彼は首を横に振った。

「飯をくれる人間は子供から老人まで様々だ。とてもじゃ無いが、絞りきれない」

「私が以前見かけた、ホームレス風の男はどうだろう? 彼の事をご主人は知らない」私は二人に意見する。

「確かに、ナハトの言うとおり、奴が現れたのはここ1週間前だ。消去法でそいつが怪しい事になる」

 灰猫は鋭い口調で答える。

「そう……だね。もう少し聞き回ってみる必要があるみたい」ご主人は何か考え込んでいる様子だった。

「ありがとう灰猫さん。お礼と言ってはなんだけど、キャットフードを持ってきました。みんなにあげて下さい」そう言って鞄から差し出されたキャットフードを灰猫は受け取ろうとはせず、じっと見つめて言った。


「なぁ教えてくれ、人間はなんで楽しそうに殺すんだ?」

「えっ……?」ご主人は不意を突かれたような顔をした。灰猫は話し続ける。

「俺は……前は飼い猫だったんだ。だがそこのお坊ちゃんと違って生活は酷い物だった……ずいぶん痛みつけられたもんだ」そう言って彼は尻尾を見せる。遠くからは体毛で見えなかったが、よく見ると彼の尻尾にはいくつもの傷跡が刻まれていた。

「酷い……」ご主人は絶句する。彼女の瞳は、大きく揺らめく。


「傷が見えにくいから尻尾を選んだんだろうな。――お嬢さん、俺たち猫は鼠や小鳥を殺すが、それは全て生きる為だ。だがあんた達は違う。あんた達は娯楽で殺す。俺たちだけでは無く、同じ人間だって殺すのだろう? ……何故だ?」

 灰猫はご主人を睨む。瞳は怒りの色に彩られていた。彼にとって、人間は全て敵だと言う意味が込められている。私は声を上げる。


「おい! ご主人はそんな事をする人では無い! 」

「そう言える根拠はどこにあるんだ?」

「ナハト、いいの」彼女は静かに制す。そして灰猫に近づき、いたわる様に彼の尻尾に触れた。

「痛かったでしょう……私もね、同じ人間にパパとママを殺されたんだ」

 私は驚く。彼女が酔いつぶれたあの夜に語った話だ。彼女を壊した、忌まわしい惨劇。


 ご主人は悲しそうに、しかし強い眼差しで話し続ける。

「理由は今でも分からない。誰がやったのかも分からない。私はその事実を知るのが怖くてずっと逃げていたの。だけど、今は真実を知らなきゃいけないと思う……。だから、答えが分かるまで、もう少しだけ待って貰えないかな」

 彼女は戦おうとしている。途方も無く巨大な、渦巻く悪意に。

 「……強くなられた。本当に」私は胸をなで下ろし呟く。

 怯え、震えながら私を抱きしめた女性は、もういない。


 目の前にいるのは、堂々とした、猫の王女の姿だった。

「――そうか、あんたは少しだけ他の人間とは違うみたいだ。答えは保留としよう、分かったら聴かせてくれ」

「ありがとう――そうだっ!」ご主人は閃いた様に手を合わせる。

「灰猫さん、貴方の名前は?」

「そんな物は無い。名無しとでも呼んでくれ」

「それじゃ寂しいよ。グラウ(Grau)! グラウがいいわ! ドイツ語で灰色と言うの」

「人間の言葉の名前など……」露骨に嫌そうな顔をする灰猫に、彼女は途端にシュンとする。

「駄目……かな」


 それを見た灰猫はそっぽを向き答える。

「……好きにしろ」

「嬉しい! ありがとグラウさん!」ご主人ははにかみ、灰猫を抱き上げる。灰猫は珍しく驚いた顔をする。

「お、降ろせ。ベタベタするな!」

「にゃあ! グラウさんも暖かくてふわふわする~。可愛い~」彼女は彼の言葉に耳を貸さずに頬ずりをし、頭を撫でる。

「頭を撫でるな! おいナハト、このお嬢さんはいつもこうなのか?」

 私は少し笑って答える。

「そうなんだ。彼女と一緒だと気苦労が絶えないんだよ」

 今回は彼、グラウに同情しよう。

 彼女は我々猫を惑わす、色魔なのかもしれない。

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