20話 Cat Princess&Happiness Symbol(中編)
遠くでは、まだ、歌が聞こえる。私は辺りをキョロキョロと見渡してみた。
周りには男の子も、誰もいない。いるのは目の前の子猫だけだった。
私はおそるおそる黒い子猫に聞いてみる。
「今の言葉……君が話したの?」
黒猫は私の言葉に答えるように口を開く。
「そうだ。ここには僕達以外いないだろう?」
「私、とうとうおかしくなったのかな」私は涙を拭う。不思議と、海を作る勢いの涙はピタリと止まってた。
「どうして?」黒猫は首をかしげる。子猫には似つかない、落ち着いた仕草だった。
「だって猫が喋るなんて、おかしいよ。まるで……そう、不思議の国のアリスみたい」
私は不思議の国に迷い込んだのかな。目の前の黒猫は冷静で、チェシャ猫の様に、にやにやと笑わないけれど。
「その話は僕は知らないが……話せてるのは貴方の方だよ」
「私?」
「そう、私はただの猫だ。多分、生まれてから三ヶ月くらいしか経っていない。猫の言葉を話せる貴方が特別なんだ」
子猫は目を瞑って見せて、耳をピンと立てて何故か得意げに語る。……なんだろう、この子を見てると少し、からかいたくなった。少しわざとらしく、こう言ってみた。
「なーんだ、結局、私がおかしいんじゃない」
黒猫は急に焦り、しどろもどろに首を振る。尻尾はあっちこっちに振られてる。
「あ、いやその、違うんだ。決して君がおかしいって意味で言ったわけじゃ無くて……」
「このまま狂ったお茶会に参加しよっかな」
「く、狂ったお茶会!? 貴方はそんないかがわしい物に関わっちゃ駄目だ!」
顔色を変えた黒猫を見て、可笑しく思った。この子、とても愛らしいな。
「やっと、笑った」
黒猫が頬笑んだ。今の私には、猫の表情もよく分かる。
「……え?」
私は自分の頬に手を当てる。バックの中の手鏡を取り出と、驚いた。
私が戻ってきた。
15歳の女の子だった私と、猫だった私。あと1つは――。
「やっぱり君は、笑った方がいいな」
「やっぱり?」
「いや、君にとても似ている人がいてね」黒猫は昔を思い出すように笑う。
少し顔が熱い。なんだか変だ。男の子じゃなく、子猫に言われた言葉なのに。
3つ目の記憶は、はっきりしないけれど、1つだけ分かることがある。
世界で一番、好きな人がいた。好きと言うよりは、私の半分、と言った方が正確かも知れない。
ずっと私は片方だった
「その人は飼い主さん?」
「そんなところだ。今はいないけど」
どうやら猫の行進は終わってしまったらしく、町は静まりかえっている。
「どうしてこの町に来たんだ?」黒猫は金色の瞳で私を見つめた。
私は少し考えて、それからこう答えた。
「前に、一歩踏み出す為」
「そうか、君にピッタリの言葉だ」
「さっきは心が折れて、泣いちゃったけど」私はとても弱いなと思い、少し笑う。
「僕を、君の傍に置いてくれ」
黒猫の言葉は、強い意志が篭もっていた。私の心臓がドクンと脈を打つ。
どうしてだろう。その言葉をずっと待っていた。
「僕は君を守りたい。……僕は君の騎士になりたいんだ」
今考えてみれば、それはとんでもなくキザな言葉だった。そんな言葉を子猫が話していると事は、可笑しい事なのかも知れない。
だけど私にとっては、ずっと待ち望んでいた、この世で一番言欲しい言葉だった。
私は手を差し出す。
「――口づけを」
自然と唇がそう答える。騎士との契約の儀式。私はずっと前から知っていた。
黒猫は静かに頷き、手の甲にキスをした。
「……私は萌音春香。君は?」
「名前は無い。貴方が名付けてくれ」
この子を最初見たときから実は名前は考えていた。漆黒の毛並み。三日月模様のエンジェルマーク。
騎士。
夜。
「ナハト。今日から君の名前だよ」
「君らしいネーミングセンスだ」黒猫は笑った。私も笑った。笑えることが、本当に嬉しかった。
それが私が体験した、アリスのような不思議なお話。




