プロローグ
私は猫である。
名前はナハト。年は3歳、人間で言うと丁度28歳くらいだろうか。
ナハトとはドイツという国の言葉で夜という意味らしい。私は黒猫だが、首の1箇所だけに白い模様がある。人間はこの模様をエンジェルマークと呼び、それがどうやら三日月に見える様でこの名前を付けたそうだ。
以前、世界中を旅をしていたというご主人らしいネーミングでとても気に入っている。
現在、私は高層マンションの窓から海に沈む夕日を眺めている。スカイブルータウンとの別名を持つこの街は海と空どれもが美しい。毎日この景色を眺めるのが、私の至福の時間なのだ。
――突然、私の身体は宙に浮く。……やれやれ。
「なーにしてるの、ナハト」
平均的な人間の雌より背の高い人物が私を抱きかかえ、頬ずりをする。
「ん~やっぱナハトはふわふわだね」
この方こそが私のご主人、萌音春香である。
年齢は人間の年で22歳、この街に私と住んでいる。
職業は画家。彼女が描く幻想的な絵画は猫の私から見ても素晴らしい。
私に食と住処を提供してくれる、とても素晴らしいお方なのだが、抱きつき、持ち上げるのは時と場合を考えて欲しい。楽しみにしていた沈む夕日を見過ごしてしまうではないか。
苦言の意味を込めて鳴くと、「あ、夕日を見ていたんだね、ごめんごめん」
ご主人は軽く謝りながら私を窓に戻す。
――さすがだ。これが他の人間なら、あと5分は抱えられていたままだったのだろう。
ご主人は猫の言葉が分かるのだ。ある時、マンションのベランダで二人で月見をしていた時、彼女は赤ワインを一気にあおり上機嫌で語った。
「ねーぇナハト、私はねぇ、猫が前世だったの。だから君の考えてる事が分かるし、君みたいな生活を送ってるんだよぉ」
普通は酔っ払いの戯言かと思うだろうが、私が物心ついたときから自然と会話をしているので、あながち冗談では無いと思っている。
それに彼女は絵を書く以外は、ベッドで丸まって眠ったり、ぶらぶらと散歩に出かけたり、自由気ままに過ごしている。――なるほど、確かに彼女は人間より猫に近い。
そんな風変わりなご主人と私は平凡ながら平穏に暮らしていた。しかし後に、このささやかな日常は猫殺しによって まるでこの時見た太陽の様に消え去ってしまう。
この物語は、猫の私と元猫のご主人。そして、この空色の街に住む野良猫たちにとっての悲劇の物語である。




