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お侍様とか弱い鬼  作者: ありまくとりま
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身丈山の鬼その四

 若い侍は鬼の血が放つ甘い香りに強い欲求を覚えた。この赤い甘露を飲み干したい、鬼を踏みつけた体勢のままでは遠すぎる。自然と若い侍は膝を折る、もっと近くでそれを感じたい。頭は下がり鬼の口元へと吸い寄せられる、まるで餌に近づく犬の様だ。気付かぬうちに口が開く、だらしなく舌が出る。浅く短い呼吸を繰り返す。若い侍は鬼に覆いかぶさるように体を地に伏せる。手を鬼の顔のすぐ横に着ける、近づくほどに痺れる様な甘い香りが脳を支配する。食ってしまえ、貪れ、啜れ。頭の中で不快なほど絶叫する己がいる。

 息をするたびに、喉の奥に淡い甘さを感じる。鬼の血を口に含めば己はどうなってしまうのだろうか、絶叫する欲求は抗いがたく、僅かに残る理性では歯止めが利かぬ。

 若い侍はもう魔に落ちる定めにある、他者を理解せぬ無知と肥大した傲慢さと、驕り高ぶったその滑稽さ。若い侍は経験が足りなかった、無知であったこと、己の欲望の醜さに気付かなかった事。身の丈に合わぬ異能さが、若い侍を堕落させた。そう、若い侍は所詮は力ばかり有り余った幼子だった。体ばかりが大人に近づき、脆く弱い魂は強い毒に、簡単に犯される。

 僅かに残る理性のなせる業か、突き出した舌は未だ鬼には触れていない。

 やめてくれ、こんなことはしたくない、侍としての吟じはどうした。理性が叫ぶ、まるで懇願するかのようで情けない。

 何を言っている、もうすぐで満たされるぞ、お前には感じないのか。体が求めている、魂がその鬼の血を求めているぞ。血だけではない、肉を、鬼の叫びを、悲しみを。

 思考は二つわかれて鬩ぎ合っている。若い侍は動けぬままだ、身勝手な自問自答に独り善がりに嘆いて見せている。内面で葛藤したところで外面は狂った獣にしか見えぬ。

 傷ついた幼子押さえつけ、今にも食わんとする様は鬼と侍ではなく、餌と獣だ。若い侍は内心悲しみと後悔、絶望を感じている。だがそれは所詮、悲しんでいるふりでしかない。そうだろう、無邪気と言えば聞こえは良いが、そこにある美味しい餌が我慢できない。それほど嫌なら侍らしく命を絶て、侍は鬼に落ちるぐらいなら、自ら死を選ぶのに。

 許しを請うかの様に頭を下げ、その実甘い蜜を啜らんと顔を隠す。重圧に潰されそうに見せて、本当は離れたくないから歩みを忘れたふりをする。子供の我儘でしかなく、賢明な態度のつもりでもその愚かさは隠せぬ。

 「や、やだぁ・・・。」

 小さくかすれた声が耳に届く、血の泡を吐きながら鬼が声を出したのだ。ただ、その声には諦めと絶望の色が濃い。もはや助からぬと鬼は理解しているのだろう。その声は、ただびとならば哀れみと慈悲を呼び起こすには十分なものだった。だが、若い侍には哀れみと慈悲の感情は呼び起こされなかった、生来の性か今まで積み重ねた業ゆえか。若い侍はその声に感じてしまった、胸の高鳴りと理性を歪め叩き壊し、踏み砕き消失させてしまうほどの愉悦を。

 若い侍は瞬きさえ忘れ鬼の顔を凝視する、端正な顔を苦痛に歪め血にまみれた口元は薄く開いたまま。都の女でさえこれほどまでに蠱惑的だと感じたことはない。弱い命を蹂躙する快感、若い侍はもはや理性の枷が弾け飛ぶ。

 我慢などいらない、これは鬼だ人ではない。人を襲えばそれは罪だ、だが鬼ではどうか、鬼は人の敵であり害悪だ。それを殺めたところで誰が自分を責めるだろうか。ここへ来た目的を果たすだけだ。鬼を倒す、そこに変わりはない。自らの欲望を満たした後に、何食わぬ顔であの村長に鬼を倒したのだと言えばいい。鬼の首を持って都へと帰れば私はまた、皇に仕える侍として皆に認められる。

 若い侍は気付かぬようだったが、愉悦に歪み欲望に喚起する表情は、人と呼ぶには余りに醜悪で悍ましいものだった。肉を貪る畜生が、醜悪な知性を持てばこのよな表情となるだろうか。若い侍の魂は、徐々に魔へと変異していく。それは若い侍の肉体にも影響を及ぼし、人から獣へと落ちていく。

 若い侍の瞳に僅かに金が混じる。黒い瞳孔に滲み出る様に金の色が浮かび、溶け濁る様に広がる。まずは目が、若い侍の見る全てが人のものから変わり始める。

 鬼の肌は日に焼けているが、子供の見た目通りに張りがあり滑らかで美しい。恐怖と痛みで汗に濡れ、光を受け艶めかしく輝いている。口から零れる赤い血が、筋となって顎先まで鮮やかに彩っている。

 頭の中に浮かぶのはただ、喰いたいという衝動。だらしなく口からこぼれる舌がゆっくりとその柔らかな肌へと降りていく。興奮が、欲望が期待を呼び起こし緊張となって体を縛る。まだ舌先だけ、それも触れてすらいないというのに、これ程の興奮を与える。ただ息をする、それだけでこれ程力がこもるのか。あと少し、もう少しで届く、舌先へ近づく血が恋しい。

 若い侍に舌先を濡らす感覚が届く、そのまま舌を進めれば優しく舌先を跳ね返す鬼の肌を感じる。舌先は鬼の血へと到達した。届いてしまった、禁忌を犯す様な背徳が若い侍を襲う。そして次に感じるものがその全てを攫っていった。

 それは頭へと突き抜ける衝撃、脳髄から尾てい骨まで駆け巡る快感。甘い、美味しい、言葉にすれば簡単だがそれに体のすべてを支配される感覚は想像を絶する。

 もっと、もっと、一度感じた快感と絶頂に、若い侍は囚われた。鬼の吐いた血を求め、下品に鬼を舐め尽くす。舌先で感じるよりも、した全体で感じる味と口内を満たす香りで思考は単純化していく。舐めとるだけでは足りないと。血を、鬼をもっと感じたい。溢れる血肉に溺れたい。この身全てで鬼を感じたい。若い侍は鬼の鼓動を触れた舌で感じる、この柔らかな肌を噛み歯で突き破ればどれ程感じるだろう。叫び声を鬼は上げてくれるだろうか。溢れ出る血に咽返るほど私を満たしてくれるだろうか。

 脳は甘い香りに痺れ、熱を持ちただ快感だけを求める。鬼に触れる肌が、舌が、指が次の快楽を求める。鬼のその細い首筋を嚙み千切れば私は今以上の快感を得られるだろうか。

 大きく口を開き、人とは思えぬ牙を若い侍は晒す。口内はただ赤く染まり、獣の如く鬼に喰らいついた。

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