表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

7話.彼と彼女と邪竜

 高い所に昇っていた太陽はいつの間にか沈み、気付けば月が空に浮かんでいた。


 洞窟の入口付近に腰を下ろし、息を吐く。静寂が一瞬だけ途切れ、再び辺りは静かになった。呆れるほどの静けさだった。邪竜が何処かで暴れているだなんて、想像も出来ないくらいに。


 ――お主らはこの場所で待っていろ。洞窟内は安全じゃろうて。


 そう言い残して、彼女は東の空へ飛び立った。邪竜と戦いに行ったのだろう。彼女のプレッシャーは途切れることなく僕に注がれていた。余計な事をするな、とでも言うかのように。冷たい、背筋が凍る程の視線を注いでいた。


 結局僕は、彼女に言葉を掛けることが出来なかった。情けない、本当に情けない。


 彼女が飛び立つ瞬間に僕に見せた表情は、今までに見た事が無い種類のモノで。それが脳裏に焼き付いて離れない。話したかった言葉も、伝えたかった思いも、全ては彼女が飛んでしまった後で分かった。彼女に聞いて欲しい言葉がようやく見つかった。


 東の空には、無数の星々が煌いている。そして時折、星とは違った輝きが不規則に点滅する。おそらくだが、あの場所に彼女はいるのだろう。


「ねえ、お前」


 静寂を破ったのは、僕ではない。左を見るとそこには金髪幼女、いや、エルがいた。


「……何ですか?」


 自分の世界に閉じこもりたい気分だった。不安で、不安でどうしようも無い。過去の自分自身に後悔するばかりだ。彼女のことが心配だった。何も出来ない、力の無い自分が悔しかった。言葉一つ、満足に伝えられなくて泣きそうになった。


 だから、せめて彼女の勝利を願う。非力な自分にはそれしか出来ないのだから。


「姉さまは洞窟内で待ってろって言ったんだよ? そんな簡単な言いつけも守れないの?」


「分かってるよ」


 東の空から視線を外さずにエルの質問に答えた。空が不規則に輝き、そして再び暗黒に包まれる。戦闘音こそ聞こえてこないが、激戦になっているのは予想が出来た。


「……大丈夫かな」


 僕の口から零れた呟きを、隣の幼竜は聞き逃さなかったらしい。


「バカなの? 姉さまが負ける訳ないじゃない」


 自信満々にエルは断言する。胸に渦巻いていた不安感が、自信に溢れた彼女の言葉で少しだけ軽減され――続く言葉で絶望する。


「姉さまのブレスは凄いのよ! 前に邪竜を倒した時も、そのまた前の時も……って、どこ行くの!?」


 気付けば、走り出していた。目的地は彼女が戦っている戦場。胸騒ぎがする。彼女が負ける未来なんて信じられないのに、彼女の言葉が何度も脳内で再生される。


 ――満足にブレスを吐く事が出来ぬ。


 もしかしたら、ブレスを吐かなくても彼女は勝てるのかもしれない。邪竜が実は滅茶苦茶弱くて、彼女が本気を出すまでも無く勝利出来るのかもしれない。それに今は夜だ。もしかしたら、火焔病が既に完治している可能性もある。


 脳内に浮かんできた希望的観測を、しかし自分自身で否定する。胸騒ぎがするんだ。そんな都合の良い話がある訳が無い。息が切れて、心臓が痛くなって、吐き気がしてくる。それでも、走る事は止めない。彼女の元へ行きたい、彼女の力に成りたい。僕は、彼女を――。















 走って、走って、走って。ようやく、目的の場所へ辿り着いた。


「なんなんだよ……!」


 そこには地に伏す白銀のドラゴンと、それを空から見下ろす暗黒のドラゴンがいた。数日前に見た姿とは全く異なり、白銀のドラゴンはその輝きを失っている。


 彼女の全身にはおびただしい程の血が付着し、赤黒く変色していた。翼の傷は遠くからでも分かる程に痛々しい。周囲にあった木々は、戦いの余波で吹き飛んだのだろう。倒れている木がそこらかしこに見て取れる。


「……ん? 人間か。どうしたんだ? こんな場所に来て」


 彼女を倒して気分が良かったのだろう。もしくは、単純にこの場所に来た人間に興味があったのかもしれない。邪竜の関心が自分に向いたのを感じた。


 ――ッ!


 彼女とは全く別種のプレッシャーに、呼吸が止まる。純粋な悪意が僕の肌を刺した。それは今までに経験した事がない程の恐怖で、この場所を逃げ出してしまいたいのに、足は縫い付けられたかのように動かない。


 ……死にたくない。死にたくない!


 薄れていた、納得していた筈の死への恐怖が湧き出してくる。あの存在は駄目だ。アイツには、アイツだけには殺されたくない。そうだ、逃げなきゃ。


 震えて使い物にならない足に喝を入れる。ここから一刻も早く逃げなければ、こんな場所で僕は死にたくない。まだ生きていたい。だがしかし僕の意思に反して、この足はちっとも動かない。自分の意思で身体を動かす事が出来ない。


 そして、邪竜と目が合った。


「うわあああああっ!」


 拒否反応を起こした身体は、無様に地面に倒れ伏す。両手に力が入らない。このままだと、立ち上がることすら無理そうだ。


 ――嫌だ、嫌だ、嫌だ!


 大声を出して、みっとも無く醜態を晒して、地面を這いつくばってでも進もうとする。しかし、一寸たりとも前進する事は無い。瞳は涙で溢れて、心臓は張り裂けそうだ。


「……ははは、人間では我の放つ圧力すら耐えられんか。そうだ、人間。お前にいい物を見せてやろう。折角ここまで来たんだしな」


 耳に入って来た音声を、勝手に遮断する。早く逃げないと、殺されてしまう。僕はまだ死にたくないんだ。ここがヤバい場所なのは薄々理解していた筈だろう? なんで僕はこんな場所に来てしまったんだ。……なんで。


 ――後ろを見ろ。


 誰かが、そう言った気がした。バカかよ。今は少しでもあの怪物と距離を取らないと、ここで死んでしまうのは僕になる。……死んでしまうのは、僕になる?


 なら本来は、いったい誰が……。


 満足に動かすことも出来ない身体を、それでも必死に動かす。後ろを見なければいけない気がした。あの恐ろしい、邪竜のいる方向を見なければいけない気がした。


 ――怖い、怖い怖い怖い! でもそれでも、僕は見なければいけない。そうしろと、そうしなければいけないと叫んでいる。他でもない僕自身がそう叫んでいた。


 全神経を首に集中させ、なんとか振り向く。


 僕を真っ直ぐに見つめる、白銀のドラゴンと目があった。常とは違い、弱弱しい瞳をした彼女と。


 ……熱かった脳が、スっと冷えた。


 気づけば恐怖心は消えていた。手足に感じていた震えも今は感じない。


 試しに足に力を込めてみる。驚くほど簡単に、僕の身体は立ち上がった。……驚きに染まった彼女の目を見て、こんな状況なのに笑ってしまった。


 ――任せて下さいよ。助けに来ました。


 伝わるかは分からない。声に出したわけではない。でも、僕の気持ちは彼女まで届いた。そう確信が持てた。


 もう怖いものは、たった一つしか無い。だから、それを護る為に僕は戦おう。僕に出来る戦いを、彼女の為に捧げようじゃ無いか。


「真っ黒い雑魚ドラゴンがいる!」


「……人間風情が、今なんと言った?」


 僕の叫び声が、邪竜に届く。邪竜は怒りに染まった表情で、僕の方を向いた。


 僕に向けて放たれる悪意、憎悪。負の感情が僕を飲み込もうと侵食してくる。対峙した事によって、邪竜との力の差も明確に分かった。僕が何をしたところで邪竜にダメージは与えられない。しかも、邪竜が攻撃した瞬間に僕は死んでしまうだろう。


 勝ち目なんてある筈も無い。


 それでも、不思議と勇気が湧いてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ