6話.そして、物語は終わりへと向かう
丸一日寝込んでいた、とは彼女の言葉だ。目を開けると此方の様子を伺う彼女の姿があって、何故か安心した。彼女を庇うなんて僕の自己満足でしか無いと思っていたのだが、彼女の助けになったのならば素直に嬉しい。
目覚めてからの一日は、とても忙しかった。もう一度彼女と狩に行き、今度は二人で獲物を食べた。何だかんだいって、前は結局食事が出来なかったので実に――何日ぶりなんだ? 良く分からないが、兎に角久しぶりの食事だ。それはもうガッついた。理由は分からないが俺の食べる姿を見て、彼女は笑っていたので良かったと思う。人間が沢山食べる事がそんなにおかしかったのだろうか。でも本当に久しぶりの食事だったのだ。……食べ過ぎたとは自分でも思うが。
食後は彼女――ドラゴンの姿の上に乗らせて貰った。初めて空を飛んだのだが、あれはいい物だ。小さくなっていく大地と、その中にポツンと佇む僕の村。その全てを見渡し、風を感じるというのは心地が良い。何よりも彼女の見ている世界を、人間である僕も同様に見る事が出来たのが最高に嬉しかった。僕達人間は、ドラゴンが飛ぶ姿を地上から眺める事しか出来ない。……ここまで考えて、村の皆が焦っている姿を想像して笑ってしまった。生贄を差し出した数日後にドラゴンが飛んでいるのだ。村の皆は戦々恐々としているだろう。
思えば随分と彼女との距離も縮まったように感じる。単純に会話が増えたのだ。中身の無いグダグダとした会話や、もしくは互いの事に関する会話。僕は彼女に聞きたい事は沢山あったし、彼女に話したい事もそれに負けないくらいあった。数日前と違い、今の彼女は表情がコロコロ変わる。突然怒ったりとか得意な顔をしたりだとか、見ていて飽きないしとても楽しかった。
まあ、なんだ。だからこそ忘れていたというのもある。正確には覚えていたけど、見て見ぬふりをしていた。たとえ何処か壊れていたとしても、この暖かで穏やかな日常に浸かっていたかったのだ。
「明日、妾の火焔病は完治する。……その時がお前の最後じゃぞ? 人間」
僕に告げた彼女はいつも通り綺麗で、悲しい程にいつも通りだった。彼女は笑っていた、気負う事無く平然と言葉を吐いた。彼女が笑っている事は僕にとっては嬉しい事の筈で、少なくとも数日前までの僕はそれだけで舞い上がってしまっていただろう。でも何故なのだろうか。
その言葉を聞いた時、僕は泣きそうになってしまったのである。
心が弱っているのが自分でも分かった。彼女の顔が見れなかった。こんな僕を彼女に見せたくなかった。だからなのだろう、気付いた時には洞窟の外へ出てしまっていた。まるで彼女から逃げるかのように。
「僕は……どうしたいんだろう?」
呟いた言葉に反応は帰ってこない。当然の事なのだが、それがどことなく寂しい。まだ生きていたい――訳では無いと思う。死への恐怖は無い、でも恐怖が無い訳では無い。方向性が違うだけで、それは僕の中に確かに存在していた。だけれども、何に対して恐怖しているのかが分からない。それが何なのか、頭の中の自分に問いかけてみても、残念ながら反応が返ってくることは無かった。
彼女と共に飛んだ空を見上げてみる。透き通る程の青空だった。僕が死んでも、この空はきっと変わらない。世界の時間は進み続けるし、彼女の時間も……。
ああ、そうか。僕は――。
「あれ?」
結論を打ち出そうとした思考が、急に停止する。雲一つない青空の奥、そこに一つの影があったのだ。しかもその影は徐々に拡大を続けている。このままだと数秒後には僕のいる場所の近くに落ちてきそうだ。こうしているうちにも、影はドンドンと大きくなっている。そして――驚くほど静かに、その影は着地した。
「姉さまはどこ!?」
余りにも常識外れな現象だった。訳が分からない、いや脳が理解する事を拒否している。それでも起こった事実を並べるだけなら今の僕でも出来そうだ。
……空から金髪幼女が降って来た。そして地面すれすれで急停止。今も宙に浮いている。
やはり、訳が分からない。透き通るような、青空の日の出来事であった。
少し考えれば分かる事であった。金髪幼女は人外の存在であるなど。だがあの時の僕は精神的に参っていたのと、予想外の出来事が起こりすぎたせいで冷静さを失っていたらしい。再起動までは暫しの時間を必要とした。
「姉さま! 会いたかったです!」
人外の存在であると当たりを付け、姉さまという単語が彼女の事をさしていると気付いたのがつい先程。この幼女、固まっている僕に対してブレスを吐きやがったのだ。当てる気は無かったと言っているし、事実としてブレスは僕の横を掠めただけだったのだが、それはそれ。本当に危ない、死ぬかと思った。皮肉にも、命の危機に瀕した事で冷静さを取り戻す事が出来たのだが。
そして金髪幼女を彼女の元へ連れて行ったのがたった今。彼女に有った瞬間物凄い速度で突っ込んでいく幼女。そしてそれを受け止める彼女。見た目だけならどちらもかなりの物なので、大変絵になる光景だ。……あの中に入った人間はミンチになる未来しか見えないけど。
「エル、突然どうしたのじゃ!?」
そしてここ数日で見慣れてしまった困惑を浮かべる彼女。どうやら金髪幼女の名前はエルというらしい。ドラゴンは幼体でも種族格差にうるさいと聞いた。僕はあの子をエル様と呼ぶべきなのだろう。……尤も金髪幼女の視界に僕はもう既に映っていないのが、何となく伝わってくるのだが。
それに憤る事はしない。本来ドラゴンとはそういうモノだからだ。こういう言い方は良くないのだが、僕なんかを真っ直ぐに見てくれている彼女がおかしいのだ。彼女は絶対的な力を持つにも関わらず、僕をしっかりと見てくれる。僕にとってそれは嬉しい事なので、感謝しているけれど。
まあ、ドラゴンの会話に人間が加わるなんて事は出来ない。そんな勇気は僕には無いし、癇癪かなんかで殺されては堪らない。おとなしく、隅っこで話を聞いておくべきだろう。
「助けて欲しいのです! 姉さま!」
――助けて欲しい? どういう事だ?
聞く体勢が整った瞬間、僕は再び困惑した。エルの口から有り得ない言葉が飛び出して来たからだ。何回も言っているが、ドラゴンは絶大な力を持つ。そしてそれは、幼いドラゴンでも例外では無い。ただの幼女にしか見えないが、エルも膨大な力を持っている筈なのだ。
そんな存在が助けて、だって? おかしい、何があったんだ。
「……どうしたのじゃ?」
僕の不安をよそに彼女たちの会話は進行していく。おかしい、だってドラゴンを脅かす存在はそれこそ歴史に名を遺す傑物か、もしくは同種の、まさか――。
「邪竜が攻めて来たのです! このままだとこの場所も……!」
「……分かったのじゃ」
ドラゴンの会話に、人間が口を挟むなどあってはならない事だ。でも、それでも何か言わないといけないと思った。エルの言葉を聞いて、覚悟を決めた表情になる彼女に、何か言葉を掛けてあげたいと思った。でも喉元まで出かかった言葉は、何故か声にはならなくて。それでも、その何かを彼女に伝えたくて。
胸に渦巻く不安感は、徐々にその影を増して来ていて。
彼女に伝えたい、でも言葉にはならない。だから使えない口に頼るのを止めて、せめて彼女の元に駆け寄ろうと足を動かし――。
「……ッ!」
凍てつくような、彼女の視線に射貫かれて足を止める。それは初めて彼女から向けられた、明確な拒絶の意思だった。
――彼女との約束の日まで、後一日。
後2話で完結(予定)です