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3話.このようにして、彼と彼女の物語は始まった

「――という事があったんですよ」


「そうかそうか! 大変良い話なのじゃ!」


 人間、その気になれば何でも出来る物である。最初は、僕なんかの話で彼女が喜んでくれるのか不安だったのだが、どうやらその心配は杞憂だったらしい。


「ふむ、次の話を頼むぞ人間!」


 目の前の彼女の機嫌は大変良い。寂しさを内包した瞳が、僕の話によって喜色に染まっていく。僕はそれがたまらなく嬉しかった。気付けば、もう何時間もこうして話をしていた。料理の話、戦いの話、農業の話。もしくはもっと小規模な、僕の日常の話。脳内では、彼女に話したい言葉が次々に浮かんできて、それが尽きる様子は無い。


 そして、それらは例外なく彼女を笑顔に変える。僕の話を聞いて彼女は時折頷き、質問をし、また笑顔になる。緩やかで、そして幸せな時間だった。


「……もう無いのかの?」


 けれども、所詮僕は一般的な生活を送って来た普通の村人に過ぎない。波乱万丈な人生を送って来た人達に比べて、話のストックには限界がある。話に詰まった僕を見た彼女は、残念そうに呟いた。


 やめてほしい。その表情を見てしまうと、僕は辛い。


 彼女を笑顔に変えたいのだが、僕にはもうその術はない。それが僕の心を締め付ける。脳内では、未だに彼女に伝えたい出来事が湧き出てきて、留まる所をしらない。でも、それが彼女を笑顔に変える未来が見えないのだ。僕に残されたストックは、所謂つまらない話だけだった。


「本当に無いのか……」


 下を向き、心底残念そうに溜め息を入れる彼女。此方から表情は見えない。それが、不安でもあり怖くもあった。彼女が僕に失望するなら、きっとそれは今だろうから。


 僕は、彼女が僕に失望する瞬間を見たくない。そんな顔は見たくないのだ。例え、彼女が僕に失望したとしても、僕はそれに気付く事無く死んでいきたい。失望したなら、せめてそれに気付く事無く、一瞬で死にたい。


「……ご苦労であった、人間。永久を生きる妾の記憶の一部になった事を誇りに思うがいい。言い残す事はあるかの?」


 幸いにも、顔をあげた彼女の表情は失望に染まってはいなかった。それは絶対者に相応しいモノだった。ドラゴンであるという自負と、それに伴う自信。僕に向けて放たれるプレッシャーは、僕と彼女の実力差を明確に表していた。


 今から、僕は死ぬ。


 否応なしにそれを理解してしまう。僕に残された時間は本当に後僅かなのだろう。死への恐怖は、最早塵ほども無い。だから、僕は今すぐに死んでも後悔はない。それでも、ほんの少しだけ気になった事がある。それを聞いたなら、僕は人生に少しの悔いも残らず逝く事が出来るだろう。


「少しだけ、質問してもいいですか?」


「いいぞ、人間。妾に答えられる事なら答えてやろうでは無いか」


 怖い、怖いなんて言っておいて反吐が出る。結局の所、僕は知りたいのだ。僕の話した物語は、彼女を楽しませるに値したのか。彼女は僕に、失望していないのか。


「僕の話は、面白かったですか?」


「そうじゃのう――」


 彼女が、僕の話を評価する。それは何処までも無機質で、先程までの笑顔とは程遠い表情で、そして彼女は言葉を続けていく。


 ――怖い。今から下される評価は、僕にとって一番重要な物だ。この一言で、僕の人生が幸せだったのか、不幸だったのか決まると言っても過言では無い。


 心臓がビクンと跳ねた。かつて、これほどまでに緊張した瞬間があっただろうか。少なくとも僕が覚えている範囲では、こんなに緊張した出来事は無かった。今から僕を殺す存在に、こんなくだらない問いを投げるこの瞬間が、人生で一番緊張したなんて笑ってしまう。


「そなたの話は面白かったぞ、人間。それ故に、お前はまだ生きている。そして、だからこそ妾に一言残す権利があるのじゃ。そなたの記憶は、その言葉と共に妾の記憶に刻まれる事じゃろう、それはとても名誉な事じゃ」


 言葉を言い終わると同時に、彼女は光に包まれた。彼女の記憶の一部に成れる嬉しさや、面白かったと言ってもらえた安堵を置き去りに、只々僕は困惑した。それもそうだろう。突然、目の前の少女が輝き出したのだ。誰だって困惑する。


 数秒後、僕の疑問は見事に氷解する事になるのだが。


「では、そろそろお別れといこうかの」


 光が消えると、そこには一匹のドラゴンがいた。忘れていたが、彼女はドラゴンなのだ。困惑は一瞬で無くなった。その代わりに胸に去来したのは、純粋な感動だった。この世の中に、これほどまでに美しい存在がいたのだろうか。


 純白の翼に、白銀の鱗。神聖な雰囲気を纏うその姿に、僕は言葉を失った。現実離れした姿は、僕の居る場所すら錯覚させる。僕は今、天界にいると言われれば容易に信じるだろう。


 彼女の口の中で、轟々と燃え上がる火炎。その熱だけが、かろうじて僕を現実に繋ぎとめていた。僕のいる場所が、現実だと教えてくれていた。


「最後に、言い残す事はあるかの?」


 もう一度、彼女は僕に問いかける。ドラゴンは絶対に嘘をつかない生き物だ。それ故に、生贄を捧げる代わりに村を豊かにする契約が今日まで続いている。つまり先程の言葉の通り、次に僕が発した言葉を彼女が忘れる事は無いだろう。これから僕が口にする言葉は、僕という存在を残すためのたった一つの言葉だ。


 ……考えていた訳では無い。不思議な事に僕の口は勝手に動き、言葉を発した。


 ただし彼女に残す言葉では無く、彼女に向けたお願いを。


「貴方に出来る最大の攻撃で、僕を殺して欲しい」


 僕は、彼女が片手間に殺せるような存在だ。それこそ、その鋭利な爪で引き裂かれるだけで僕は死ぬ。でもだからこそ、僕は彼女の全力を受け止めたい。彼女の全力を受け止めて、そして死んで行きたいのだ。


 僕の言葉を受けた彼女はしかし、意味が分からないと言うかように数秒硬直し、そして笑い始めた。


「人間の分際で、妾の最大攻撃を受けて死にたいだと……? 面白い!」


 嚙み殺した笑い声が、しかし耐えられずに僕の耳へと届く。気付けば、僕に向けて放たれていたプレッシャーは霧散していた。そして左程間を空けず、彼女は元の姿に戻っていた。彼女的にはドラゴンの姿が主なんだろうけど、僕にとってはこの姿の方がしっくりとくる。


「人間、身の程を知らず妾へと乞うたその願い。聞き届けてやろう。しかし、妾は今火焔病を患っているため、満足にブレスを吐く事が出来ぬ。だが経験上、これは後一週間ほどで終わる筈じゃ。その時、最大の火炎で殺す事を約束しよう」


 楽しくてたまらないと言った風に、彼女は告げる。僕にとっての余命宣告を。それは僕の命が、後一週間しか無いという事実に他ならない。ドラゴンは決して約束を破らない。つまり、この宣言は未来予知に等しい。


 僕は一週間後、彼女に殺される。彼女の放つ劫火によって。


「そういえば、そなたの名を聞いていなかったな、人間。喜べ、妾に名を名乗る権利を与える」


 彼女の視線は、真っ直ぐに僕を射貫いている。人間、生贄という括りでは無く僕自身を見てくれている。根拠は無いが、それを理解する事が出来た。矮小な自分に、彼女の意識が集まっている。歓喜に打ち震える身体を全力で制御し、それでも制御しきれずに、震える声で僕は名を告げた。


「僕の名前はサルクです」


 ――貴方の名前は何ですか?


 続く言葉は、必死の思いで飲み込んだ。そこまで望むのは、流石に贅沢が過ぎる。僕の望みはもう十分な程に叶えられている。だから、もうこれ以上は望まない。僕はあくまでも人間で、そして彼女はドラゴンだから。


「覚えておくのじゃ、人間」


 だから、きっとこれは幸せな話になるだろう。名乗ったのに名前で呼ばれない不満だとか、死ぬのが確定しているのに幸せだなんておかしいだとか。そんなくだらない考えは全く浮かんでこない。


 彼女と一週間も過ごせるという事実が、僕が死ぬその瞬間まで、彼女のそばに居られる事実が純粋に嬉しかった。


 今日は良い日だ。


 そして、明日もきっと良い日になるだろう。


 僕は、幸せだ。


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