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2話.そして、彼と彼女は邂逅を果たす

 ――呼吸が止まった。


 勘違いしないで欲しいのだが、僕の身体が生命活動を停止した訳では無い。いや、寧ろその逆だ。かつてこれ程までに生を実感した事があっただろうか。心臓が、煩いほどに脈を刻んでいるのが自分でも分かる。不安も使命感も、その全てを忘れて、自分が何故ここにいるのかすらさえも忘れて、僕は彼女に見入っていた。


 腰まで伸びた鮮やかな銀髪に真っ白い肌。それらが黒を基調としたドレスとの対比で美しく輝いている。常ならば、強気な印象を与えるであろう大きな目も、今は何故か弱々しい印象を受ける。強さと弱さ、美しさと愛らしさ。僕の目の前には、相反する二つの要素を併せ持った美少女がいた。


「そなたは、誰じゃ?」


 心臓を鷲掴みにされたかと思った。勿論、物理的にではない。目の前の彼女は言葉を発しただけだ。ただそれだけの筈なのに、たったそれだけの筈なのに、僕は彼女から目を離す事が出来ない。彼女は大きな目で僕を見つめている。その瞳の中に、自分がいる事が分かって少しだけ嬉しい。


 邂逅からそれ程の時間は経っていないが、本能的な部分で彼女が自分とは違う存在で有る事を理解してしまっていた。それこそ彼女からすれば、僕は視界にすら映らないであろうちっぽけな存在である事も理解してしまった。だから、今だけだとしても、彼女が僕に意識を割いてくれているのが分かって何と言うか、むずかゆい気分になる。


「……ああ、今日はあの日か」


 見惚れていて、言葉を発する事が出来ない。そんな僕を見て、彼女は続ける。彼女の声は天上の神々がまるで彼女の為だけに誂えたような、そんな声だ。今までに聞いたどんな歌よりも、どんな音よりも美しい。耳から入った音が僕の体内で反響し、脳を揺さぶる。それは、言葉では言い表せない程の幸福感を僕に与えた。


 だけど、分かっていた。いや、分かっている。彼女は人ならざる者だ。どんなに人に近い容姿をしていても、彼女は圧倒的な力を持つ人外なのだ。そして、僕がここに来た理由その物でもある。


「ドラゴン……」


 僕の呟いた言葉が、広い洞窟内で反響する。小さな、本当に小さな声だったのだが、彼女には僕の声が聞こえたらしい。その身体に見合わない、絶大なプレッシャーを放ちながら、彼女はその端正な唇を動かす。


「ドラゴン様、な。……人間」


 二度目は無いぞ、と暗に言われている気がした。不満をありありと表したその表情が、途轍もなく可愛い。彼女の機嫌一つで、僕達の村の運命は決まる。恐ろしい力を持つ存在の筈なのに、自分でも驚くほど恐怖は無い。寧ろ彼女に殺されるなら、僕の人生は悪い物じゃ無かった。まだ数分しか話していないのにそう思える程、僕の中で彼女の存在は大きい物になっていた。


「すぐに殺す訳では無い。……そうビビるな。妾は退屈なのじゃ。何か話でもするとよいぞ」


 生贄としてこの場に来たのだが、どうやら直ぐに殺される訳では無いらしい。ホッとすると同時に、それを残念に思った自分もいる。もしかしたら、僕はもう何処か壊れてしまったのかもしれない。まあ、それもいいか。もうすぐに死ぬ身だ。壊れてしまっても構わないだろう。


「話……でしょうか?」


 何故、という意味を込めて聞き返す。不興を買うリスクが高い行為だと自分でも理解している。次に彼女を怒らせたら何が起こるか分からない。最悪の場合、僕の村が滅びる恐れすらある。でも、何故なのだろうか。理屈と切り離した、本能的な部分で僕は聞き返してしまった。そして、その事を後悔していない。


村の事も、自分の事も、全てを棚に上げた最低な行為だと理屈では理解している。それでも、僕は彼女の事が知りたかった。どんな生活をして、何を考えているのか。どんな些細な事でもいい。僕は目の前にいる彼女の事が知りたかったのだ。


「そうじゃ。妾は絶大な力を持つが、それ故にしがらみも多い。自由とは、最も妾から遠い言葉じゃ。それ故に、そなたは妾に話をする義務がある。……妾が外界に出ずとも、この長い退屈を紛らわせられるような、そんな話をな」


 そう言葉を紡ぐ彼女の顔は、少しだけ寂しそうだった。それは絶対的な力を持つドラゴンには決して似合わない行為で、無礼な事を承知で言えばまるで一人の少女のように感じた。……だからなのだろうか。


「分かりました。僕が知っている一番面白い話をしましょう。ドラゴン様」


「良い返事じゃ、期待しているぞ。人間」


 ――つまらない話をしたら、その瞬間殺す。


 彼女が僕に向けた視線は、言葉より雄弁にそれを物語っていて、きっとそれは嘘では無くて。つまり、僕は彼女に遅かれ早かれ殺される事は確定していて。それでも、例え僕が彼女に殺されるとしても、彼女には悲しい顔をして欲しくない。自分でも、どうしてこんな考えになるのか分からない。でも敢えて理由をあげるならば、きっとそれは下らない理由なのだろう。

 

 僕に向けた視線の中に、期待感が混ざっているように感じたんだ。未知の話を聞く事への、大いなる期待が。

 

 だからこれは、きっとそんな陳腐な理由。絶対者である筈のドラゴンが、矮小な存在である筈の自身に向けた確かな期待。普段なら気にも留めないであろう自分へと向けた期待感。


 別に死ぬのは怖くはない。僕はもう生きる事は諦めている。死ぬのが確定している我が身だ。今更、欲も願望も抱くことは無いのだろうと思っていた。でも、それはどうやら違うらしい。


 きっと僕は、彼女が僕に向ける視線が、そこら辺の石ころでも眺める眼になった時、本当の意味で死ぬ。


 怖い。彼女が僕に向ける視線が失望を含んだ物になるのが、何よりも怖いのだ。きっとそれは、僕にとって死ぬより恐ろしい事だ。だから、僕はこの残された命を彼女の為に使おう。長い、長い永劫を生きる彼女の、記憶の一部になろうじゃないか。きっとそれは、何より幸福なことだから。


「では話させて頂きます。そうですね、あれは数年前の事でした――」


 彼女を楽しませる為に口を開く。僕の話を興味深そうな表情で聞く彼女。殺し、殺される関係。その関係に変わりはないし、決して変わる事は無い。


 でも今だけは、そんな殺伐とした関係に似合わない程、緩やかな時間が流れている様な、そんな気がした――。

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