閑話・筋肉祭り
◎カツミ……拙作『銀と金』に登場。
◎カツトシ……拙作『底辺の誇り』に登場。
カツミは、ゆっくりと目を開けた。
ここは、どこだろう。
ぼんやりとする頭を振りながら、カツミは周囲を見回した。どうやら、どこかの町にいるらしい。
道は広く、石が敷き詰められている。その道路沿いには、レンガ造りの大きな建物が並んでいた。さらには街灯らしき物さえ設置されているのだ。馬車も行き交い、交通整理の役目を果たす兵士たちや清掃員のような者たちまでいる。
道行く人たちは、中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジー作品に出てきそうな服装の者ばかりである。以前に、カツミがいた場所と同じ……。
そうだ。
俺は、死んだんだ。
カツミの脳裏に、死ぬ直前の記憶が甦る。日本から中世ヨーロッパ風の異世界へと転移した自分は、仲間を助けるため恐ろしい力を持つ魔女と必死で戦ったのだ。弾丸切れになるまでショットガンを撃ち込み、日本刀で切りつけ、最後には頭突きを叩き込んだ。
しかし、魔女には敵わなかった。カツミは首をへし折られ、死んだ……はずだった。
思わず、その場に座り込むカツミ。まさか、死んだ後もこんな奇妙な世界に転生しようとは。
その時にふと気づいたのだが、自分は服を着ていなかった。白いふんどしのような下着を身に付けているだけだ。道行く人が、奇妙なものでも見るような視線を向けている。
まあ、こんな格好では変態に間違われても仕方ないが……。
ここは、地獄なのか。
だとしたら、ギンジさんやタカシも来ているのだろうか。
「おいコボルト! 調子くれてんじゃねえぞ!」
座り込んでいるカツミの耳に、不快な声が聞こえてきた。カツミがそちらを見ると、大柄な男が小男の襟首を掴んでいる。ただし、その小男には犬の頭が付いていた。
そういえば、前にいた世界にもあんなのがいた。確か、コボルト族とかいったな……そんなことを思いながら、カツミはゆっくりと近づいて行った。
「この、くそコボルトがぁ! てめえがぶつかったせいで、俺の服に犬の毛が付いちまっただろうが!」
喚きながら、大男はコボルトを睨みつける。コボルトは耳を伏せ、ペコペコ頭を下げた。
「す、すみません」
「すみませんで済んだらなあ、警察はいらねえんだよ!」
大男は、なおも怒鳴りつける。だが、そこに乱入した者がいた。
「いい加減にしねえか。みっともねえだろうが」
「んだとぉ!」
大男は振り返る。だが、カツミの肉体を見たとたんに後ずさった。
百九十センチで百二十キロのカツミの体は、分厚い筋肉に覆われている。しかも、その体には様々な傷痕があった。刀傷や火傷、弾痕など……カツミが歴然の強者であることを雄弁に語っている。
「し、失礼しましたあぁぁぁ!」
叫ぶと同時に、大男は逃げ去って行った。一方、コボルトは嬉しそうにカツミの顔を見上げる。
「あ、ありがとうございます。僕は、写影技師見習いのバロンです。あの、お名前は……」
「俺の名はカツミだ。お前に、ちょっと頼みがある」
ぶっきらぼうな口調のカツミに、バロンは目を輝かせた。
「な、何ですか!? 僕に出来ることなら、何でもしますよ!」
「すまねえが、俺に合う服をくれ」
黒い革の上下を着て、ベンチに座り込むカツミ。隣にはバロンも座っている。
「カツミさん、これ食べませんか?」
言いながら、バロンはサンドイッチを差し出した。カツミは素直に受け取り、むしゃむしゃ食べる。その時になって、自分が空腹であることに気づいた。
「まだ、たくさんありますから……食べてください」
そう言って、バロンはケースを差し出した。カツミは飢えに任せ、あっという間に平らげる。
「すまないな。腹が減ってたもんで、全部食っちまったよ」
そう言うと、カツミは立ち上がった。
「なあバロン、世話になりっぱなしで申し訳ないが、俺に出来そうな仕事はないか? あったら教えてもらえると助かる」
「仕事?」
バロンは首を捻り考えた。だが、すぐに閃く。
「そうだ! 今夜は筋肉祭りがあるんですよ! 参加してみてはどうです?」
「筋肉祭り……なんだそれは?」
そして、夜になった。
街の中央にある広場には、大勢の住人が集まっていた。人間のみならず、エルフやドワーフといった亜人たちもいる。
さらに中央には、木製の巨大な見世物小屋のごとき建物があった。建物には舞台も造られており、魔法による明かりで照らされている。
「アンタたち、よく集まってくれたわね。今夜、素晴らしい漢たちの祭典! 筋肉祭りの始まりよ!」
紫色のドレスを着た、超巨体の女装家が、魔法の拡声器で叫ぶ。彼女、いや彼こそはダゴンの街のオネエ業界を仕切る大物・ロシモフである。何とかシティのアンドレに似ているが、単なる他人の空似だ。
ロシモフは観客に向かい、さらに叫ぶ。
「本日のゲストは、何と異世界から! 筋肉を愛してやまない、この男……カツトシ・キタハラちゃんよ! みんな拍手!」
その声とともに、肩幅の広くガッチリした体格の男が、ニコニコしながら現れる。精悍な顔つきと筋肉質の体の持ち主だが、少年のような瞳が印象的だ。
しかも、カツトシが着ているのはタンクトップなのだ。限界まで鍛え上げられ、かつ絞り込まれた筋肉を皆に見せびらかすかのように、ポージングをしながら審査員席に座る。
「わざわざ異世界の俺を、読んでくれてありがとう! けどな、審査はきっちりするからな!」
カツトシが叫ぶと、場内から歓声が上がる。
と同時に、筋肉祭りがスタートした。
「まずは、エントリーナンバー1番! フジタ・テツオちゃんよ!」
ロシモフの紹介とともに現れたのは、三十歳くらいの男である。なかなかいい体をしているが、こちらの世界に少し戸惑っているようにも見えた。ポージングにも、今ひとつやる気が感じられない。
すると、カツトシの容赦ない言葉が飛ぶ。
「お前! 覇気が無さすぎだ! それに、まだまだ筋肉量が足りない! 七点だ!」
「次はエントリーナンバー2番! テツ・ネンブーツさんよ! 今回の優勝候補の一人よ!」
続いてステージに登場したのはテツだ。いかつい顔に頭はスキンヘッド、筋肉の量も凄まじい。黒い着流しを脱ぎ捨て、右手をボキボキ鳴らしながら、自信に満ちた表情でステージ上を歩く。
その筋肉は分厚く、太い。また綺麗に脂肪を落としている。これは優勝候補筆頭、と言われても納得だ。
「いや、これは凄いわねえ。優勝かしら」
呟くロシモフ。だが、カツトシの判定はシビアである。
「甘い! 六点!」
「ええっ? ちょっとアンタ、それ低すぎない?」
ロシモフのツッコミが入る。さらに、ステージ上のテツも怒り出した。
「俺が六点だと! ふざけるなぁ! てめえの骨外すぞ!」
だが、カツトシは怯まなかった。
「テツ、あんたはさっきまで女を抱いてたな!」
「な、何故それを……」
「あのな、あんたの筋肉見れば分かるんだよ! あんた、筋肉よりも女が好きなんだろう! こっちは全部お見通しだ!」
「う、ううう」
顔をしかめるテツ。しかし、カツトシの攻撃は止まらない。
「筋肉への愛情、それも採点の重要なポイントだ! お前は筋肉への愛情が足りない! 女を愛するのと同じくらい筋肉を愛せ! 出直しだ!」
「そ、そんな……」
「次はエントリーナンバー3番、マリアちゃん! 今大会における唯一の、女の子のエントリーよ!」
ステージに登場したのは、紐ビキニを身に付けた若い女の子だ。切れ味の悪いハサミでデタラメにカットしたような短い銀髪、白い肌、可愛らしい顔……だが、その肉体は見事に鍛え上げられていた。腕は細いが上腕二頭筋は盛り上がっており、肩や太もも周りも筋肉に覆われている。
「フンガー! マリアの筋肉を見ろである!」
気合いと共に、ポージングをするマリア。しかし着ている水着が細すぎて、動くたびに色んな部分がはみ出そうだ。観客の男たちは、ポロリに期待し歓声を上げた。
しかし、カツトシは冷静に筋肉だけを見ている。
「うむ、七・三点だ」
「えっ? テツさんやフジタより高得点なの?」
不思議そうに尋ねるロシモフ。すると、カツトシは頷いた。
「ああ。マリアは、左右の筋肉のバランスがいい。しかもキレてる。さらに、筋肉を愛する気持ちが素晴らしいな。ただ、いかんせん筋肉の大きさという点では厳しいな。まあ、次回に期待だ」
「エントリーナンバー4番と5番、スカイ・ロドリゲスとグラン・ロドリゲスのロドリゲス兄弟! 大人の事情により、二人同時に審査よ!」
続いて現れたのは、お馴染みのロドリゲス兄弟だ。肩まで伸びた髪と間の抜けた顔、広い肩幅と鍛えぬかれた筋肉、さらに浅黒い肌はどちらも同じである。この双子を見分けるのは、常人には困難であろう。
しかし、カツトシは冷静な目で二人をジャッジしていたのである。
「兄弟は……兄が八・一点! 弟が八・二点だ!」
カツトシの声に、膝を着く兄。一方、弟はガッツポーズだ。
「やった! 兄ちゃんに勝ったぞ!」
喜ぶグラン・ロドリゲス……しかし、そこで立ち上がった者がいた。この作品の、本来の主人公であるザック・シモンズだ。
「待てい! そのジャッジはおかしいではないか! なぜ、我が部下のロドリゲス兄弟が、こうまで点数が低いのだ? 十点満点だとしても、おかしくはないだろうが!?」
しかし、カツトシは怯まない。主人公であるはずのザックにも、容赦なく言い返す。
「バカ野郎! その二人は、確かに素晴らしい筋肉の持ち主だ。しかし、最近はお菓子を食べ過ぎてるな……そうだろ、兄弟!?」
カツトシに言われて、ロドリゲス兄弟は面目なさそうに頷いた。
「うん」
「うん」
その返事を聞いたカツトシの表情は、さらに険しくなった。
「お前ら! もっと筋肉にいいものを食え! 鶏のささみと卵の白身を食べて出直しだ!」
「さて、最後は……カツミちゃん! 飛び入りで参加してくれた新人なのよ!」
ロシモフの声とともに、カツミがステージに登場する。
分厚い胸板、太い二の腕、広い背中。肩は丸みを帯びており、太ももは丸太のような大きさだ。それでいて、腹は見事なまでに割れている。
すると、カツトシの目の色が変わった。
「おおお……見事な筋肉だ。久しぶりに見るぜ。八・五点だ!」
「八・五? てことは……優勝は、飛び入り参加のカツミちゃんよ!」
その後、カツトシがステージに上がった。カツミにトロフィーを手渡す。
「あんた、なかなかいい筋肉の持ち主だな。しかし、あんたにはまだ迷いがある。あんたの迷いが、せっかくの筋肉を曇らせているんだ」
「迷い?」
訝しげな表情をするカツミ。すると、カツトシは大きく頷いた。
「そうだ。迷いがなくなれば、あんたの筋肉はもっと凄くなる。まずは無心になって、この町で生きてみるんだ」
「やりましたね!」
ニコニコしながら、こちらに駆けてきたバロン。その後ろには、背の高い金髪の少女がいる。ツナギのような服を着て、カツミを珍しそうにじろじろ見ている。その首からは、奇妙な道具がぶら下がっていた。まるで、カメラのような形をしている……。
「あ、僕の師匠のペリーヌさんです」
バロンが紹介すると、ペリーヌと呼ばれた少女はずんずん近寄って来た。強面のカツミを怖がる様子はまるでない。
むしろ歴戦の強者であるカツミの方が圧倒され、怯んでいたのだ。
ペリーヌは、ふんどし姿のカツミの体を、上から下までじろじろ見つめる。カツミは何故か恥ずかしくなり、思わず目を逸らした。
やがてペリーヌは、こんな言葉を吐いた。
「あんた、モデルになってくれない?」
「えっ? モデル?」
カツミが聞き返すと、ペリーヌはニッコリと微笑んだ。
「そ。あたし、あんたみたいな戦士の肉体を写してみたかったんだよね。いいでしょ?」
言いながら、カメラらしきものを手にするペリーヌ。カツミは苦笑するしかなかった。いったい、この世界は何なのだろう。訳が分からない。
だが、この世界なら……自分も、受け入れてもらえそうだ。
そして、普通に生きられるのかもしれない。
バロンやペリーヌと一緒に、公園で仲むつまじくサンドイッチを食べるような、そんなささやかな幸せを……。
次回、いつ更新するかは不明です。申し訳ありません………。




