少年の幸せ 1
その少年は、山の中の古い家で暮らしていた。両親は病気で亡くなっており、幼くしてたった一人で生活している。
そして……少年は毎日、山にある家から三時間ほどかけて、ダゴンの街にやって来るのだ。
街に到着すると、バロンは仕事を探すために冒険者ギルドや職業安定所などを回る……もっとも、彼に紹介される仕事などほとんどない。
何故なら、彼は人間ではないからだ。見た目は、二足歩行する犬そのもの……そう、彼はコボルト族なのである。
「悪いなあ、バロン。お前に廻せる仕事は、ないんだよ。今日のところは帰ってくれ」
受付にいる男に冷たい口調で言われ、バロンは仕方なく頷いた。
「はい、わかりました……また今度、お願いします」
そう言って、バロンは冒険者ギルドの事務所を後にする。今日も仕事がなかった……ここ数日間、一度も仕事を貰えていないのだ。
バロンはうなだれた様子で、とぼとぼと街中を歩いていく……住んでいるのは山の中だけに、食べるだけならば金が無くても困らない。木の実や野草や魚などを獲れば、何とか暮らしては行ける。
でも、バロンはパンが食べたいのだ。大好きな、焼きたてのパン……それだけではなく、甘いお菓子も食べてみたい。そう、彼には欲しい物がたくさんある。だからこそ、わざわざ街まで働きに来ているのだ。
街で働いて賃金を貰い、そのお金で美味しい焼きたてパンを買って食べる……それこそがバロンにとっての、ささやかな楽しみであった。
しかし、今日もパンが食べられない。
尻尾と耳をだらんと下げて、とぼとぼと歩いていくバロン。やがて、おもちゃを売る店の前を通りかかった。
ふと立ち止まり、ガラス越しに店の中を覗く。色んな物が並べられている。人形、おもちゃの剣、ガラスのアクセサリーなどなど……それらを、バロンはじっと見つめる。
街には色んな物がある。バロンは、それらを眺めるのが大好きだった。綺麗な物、愉快な物、美味しい物……山にいたら目にすることが出来ない物が、ダゴンの街には溢れている。
しかし、街の人間はバロンに優しくはなかった。
「おい、あいつコボルトだぜ」
後ろから聞こえてきた声……バロンが振り向くと、少年たちの一団がニヤニヤ笑っている。
バロンは目を逸らし、その場を立ち去って行った。この街では、コボルト族は差別されているのだ。亜人などと呼ばれ、蔑まれている。ドワーフやエルフたちとは、まるで違う扱いなのだ。
そして、この年頃の少年たちは……言動に一切の容赦がない。
「おいコボルト、お前は毛むくじゃらなのに服を着てるんだな」
後ろから投げ掛けられる、心ない言葉……だが、バロンは黙ったまま歩いた。人間を相手に喧嘩してはいけない。ここは人間の治める場所なのだから。
「あいつ、乞食だな」
「乞食コボルトだよ」
「生意気に服なんか着てるぜ」
子供たちは次々と、心ない言葉を投げ掛ける。バロンは黙ったまま、とぼとぼと歩いて行った。仕方ない……今日は、山に帰るとしよう。
帰りもまた、三時間かけて歩くバロン。彼は時計は持っていないが、大体の時刻は分かる。今はまだ昼間だ。帰るには、少し早い時間である。本当なら、もっと街のあちこちを歩いて仕事を探すのだが……今日はそうもいかない。あの少年たちが、いったい何をしてくるか分からなかった。
そう、バロンは知っている……ああいう人間は、相手にしないでいると怒りだす事がある。かといって返事をすると、さらに図に乗る。特に、自分のような立場の者には容赦がない。弱者を相手に、うさを晴らす……それが人間なのだ。
帰り道、食べられる野草を摘んでいくバロン。野草をたっぷり摘んで、家に入って行く。
荷物を置き、今度は釣竿を手にした。
バロンは川に行き、釣り糸を垂らす。魚が獲れなければ、今日のご飯は野草だけだ。彼は慎重に、水面を見つめる。
水面を見つめながら、バロンは思った。明日こそは、仕事があればいいなあ……と。
バロンは、基本的に仕事は選ばない。どんな仕事であろうと引き受ける。死体置き場の掃除だろうと、害虫の駆除だろうと何でもやる。彼は体が小さく、腕力はない。しかも読み書きも出来ない。だからこそ、貰える仕事は限られてくる。それでも、バロンは働きたかった。働けば、お金を得られる。お金があれば、美味しいパンが買える。それに、他にも欲しい物がいっぱいあるのだ。甘いお菓子も食べてみたいし、便利な道具も欲しい。カッコいい服も着てみたい……。
街に出て来たことにより、バロンは様々な物の存在を知ることができた。もちろん、心無い人々から嫌な言葉を投げつけられるようなこともある。悲しい思いをすることもある。
でも、バロンは街が好きだった。ダゴンの街にいれば、寂しい思いをしなくてもすむから。一人で過ごすのは、やはり寂しかった……。
夕方まで釣りを続けたバロン。その結果、五匹の魚を獲ることが出来た。彼はそれを家に持ち帰り、野草と一緒に調理して食べる。
そして毛布にくるまり、目を閉じた。
明日こそ、仕事があって欲しいなあ……そんな事を考えながら、バロンは眠りに落ちていった。




