殺し人走る 七
「あら、いらっしゃい。ザック……久しぶりじゃないの。どこで浮気してたのかしら?」
カウンターに座ったザックに対し、岩のように厳つい巨大な顔を寄せてくるロシモフ。ザックは顔をひきつらせながらも、愛想笑いでごまかした。何と言っても、ロシモフはここいらでは一番の情報通なのだ。機嫌を損ねるようなことがあってはならない。
「は、はははは……浮気なんかする訳なかろう。ロシモフ……久しぶりだな。私も忙しくてな……ところで、お前……何か妙な噂を聞いたことはないか? 例えば……その……私が――」
「命を狙われてる、って噂でしょ。とっくに聞いてるわよ。ねえ、アンタどうする気? なんか面倒くさいのと関わっちゃったんじゃないの?」
厳つい顔を、さらに近づけてくるロシモフ。けばけばしい化粧ではあるが、この顔を笑ったために病院送りにされた男は数知れないのだ。ザックはあまりのおぞましさに震えながらも、必死で平静な顔を作る。
「う、うむ……そうなのだよ。今、私の仲間に調べてもらっているのだが――」
「テツさんでしょ」
「なに? お前、そこまで知っているのか?」
さすがのザックもぶったまげた。唖然とした顔でロシモフを見つめる。するとロシモフは――
「もう……そんなに見つめちゃ……イヤ」
その恥じらいを含んだ声と、誘うかのような目付きを見た瞬間、ザックの背筋に電流が走る。あまりの恐ろしさに、悲鳴を上げて走り去りたかった。だが、必死で堪える。ザックは目を逸らし、心の中で自分に言い聞かせた。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ――
「なに一人でブツブツ言ってんのよ……大丈夫?」
ロシモフの声。同時に、グローブのような掌が両側から、ザックの顔を挟み込む。同時に――
「スキあり」
その言葉と同時に、巨大な顔が接近する……ザックは避けようとしたが避けられない。そして、ザックの唇に迫るロシモフ……ザックは必死の力と必死の心を振り絞る。そして、
「お前! いい加減にしろおおおお!」
叫ぶと同時に、強引に顔を引き離す。と同時に、素早く立ち上がった。そして後ろに飛び退き、荒い息をつく。
「何よ……つれない男ね……」
残念そうに呟くロシモフ……さすがのザックも、これ以上は付き合いきれないものを感じた……。
「私は帰る!」
「ああ! もう冗談よ! 冗談だから! いいこと教えてあげるから、ここに座りなさい!」
言いながら、カウンターをバンバン叩くロシモフ。ザックは迷ったが、仕方なく元の席に着いた。
「ハングドマンてのは……最近この辺りにできたグループなのよ。聞いた話じゃあ、ゴッドタイガーって名前のボスが仕切ってるらしいわ」
「ゴッドタイガーだと……聞いたこともない。いったいどこのバカ者だというのだ。そんなバカ者が率いる組織に狙われるとは、嘆かわしい話だな」
ザックは呆れた様子で、首を大げさに振る。すると……頭にキャッチャーミットのような巨大な手が降ってくる。ザックは脳震盪を起こしそうになった。
「アンタねえ! ゴッドタイガー怒らせたら! 取り返しのつかないことになるのよ! あいつにはね、死神のジョーって恐ろしい用心棒がいて……聞いてんのかコノ!」
怒鳴りつけるロシモフ。ザックは頭をさすりながら頷く。本人は軽く頭を叩いているつもりなのだろうが、恐ろしい威力だ……。
「……話戻すわよ。いいこと、ハングドマンってのはね……殺し屋なのよ、殺し屋。奴らは依頼を受けたら、確実に殺る……手段を選ばずにね。ただし……依頼人が依頼を取り下げれば、その時点で中止ってワケ。だから……テツさんは今頃、依頼人を探して依頼を取り下げさせようとしてるハズね」
「なるほどな……」
ザックは改めて、ロシモフの情報網の大きさに感心し、同時にその姿の不気味さにおぞましさを感じた。何せ、推定身長は二メートル三十、推定体重は二百キロである。ヒグマよりもやや小さいくらいの大きさのおっさんがメイド服を着て、顔をけばけばしく塗りたくり、さらには奇怪な仕草をしながら、こちらを見ているのだ。正にモンスターである。ひょっとすると、オーガーぐらいが相手だったら勝てるかもしれない。
「わかった? アンタ、良い友だち持って幸せよ。テツさんに感謝しなさい」
「あ、ああ……そうだな。感謝しないとな……テツにも……お前にも……」
「あらいやだ、何言ってんのよ。アタシはアンタの友だちなんかじゃなくてよ」
いかにも心外だ、という表情で口を挟むロシモフ。ザックはほっとした。
「そ、そうか……そうだよな。しょせん、お前と私は店主と客という関係でしか――」
「何言ってんのよアンタ! 違うでしょ……アンタとアタシは……」
ロシモフは言葉を止め、色気に満ちた目でこちらを見る。言わなくてもわかるだろ、と言いたげな視線……ザックの背筋に、ライトニングボルトが直撃したような衝撃が走った。あまりのおぞましさに、ザックは思わず立ち上がる。
「あ、あはははは……あ、ありがとう……で、では……私は帰るとするかな。また来るよ」
ひきつった顔で笑いながら、ザックは後退りする。本来なら、こんなやり取りをせずに左手のラビットパンチでKOするか、あるいはもっと手っ取り早く……魔法で消し炭にしているところだ。しかし、それをやってしまうと……とっても面倒なことになる。ロシモフはある意味、エンジェルスのダミアンやウォーリアーズのヒューマンガスよりも権力を持っているのだ。何せロシモフは、ダゴンの街における……そっち系の方々の頂点に立つ男である。伊達に頂点にいるのではない。ロシモフを敵に回したが最後、そっち系の方々が大量に押し寄せて来るかもしれないのだ。さすがのザックも、そんなおぞましい戦争はしたくない。
「何よ……もう帰っちゃうの……つれない男ね。ヤることヤってスッキリしたから帰るってワケ? アンタって、本当にイヤな男ね……」
ロシモフの切なそうな声……ザックは、背筋にサンダーボルトの直撃を喰らったような衝撃を感じた。これ以上いると、背筋が崩壊してしまいそうな気がしてきた。
「あ、ああ……すまない……しかしだな……私も襲い来る殺し屋共に備えなくてはならんし……そうだ! 私のような者がいては、この店に迷惑がかかるであろうが! この店に迷惑をかけてはいかん! では失礼する!」
そう言いながら、ザックは逃げるように立ち去る。後ろからは、ロシモフの呟くような声が聞こえてきたような気がしたが、面倒くさいので耳をふさぎ、そのまま出てきた。




