Sleeping beauty
今はゆっくり休んでおけ。
俺がついていてやるから。
いつ撃ち落されるかわからない緊張感、恐怖、極度の疲労。
天涯騎士団第四空挺団情報部に所属する者にとって、戦時下での活動は誰よりも死と隣り合わせの過酷な任務である。
マリア・ウラジミールは複座式の偵察型魔導戦闘機に乗りアリステア独裁政府の動向をさぐる任務についていた。
何がなんだか、さっぱり。
アリステア独裁政府と戦闘状態にあるものの、ここ最近はおとなしい。
独裁政府内部でのいざこざの所為で宇宙にまで手が届かないのだろうか。
最前線であるアリステア解放戦線の衛星基地フォトンを挟み、アリステア独裁政府軍の艦隊が不気味な沈黙を守る中、天涯騎士団の総督はあちこち移動するは、強奪された第一空挺団の最新鋭の護衛宇宙戦闘艦の行方は追わなければならないはで、まったく休む暇がなかった。
職種柄、内部情報を熟知しているマリアにとっては何とも滑稽な話である。
強奪されたはずの護衛宇宙戦闘艦はダミーであり、総督が乗り回している護衛宇宙戦闘艦こそ最新鋭の戦艦“ヴァルキリーズ”であるということを知っているのだから。
「もうそんなことどうでもいいから、休みが欲しい…」
連日の夜勤で体内時計が大幅に狂ってしまい、このままでは任務に支障をきたすかもしれない。いくら軍人とは言え、きついものはきついし眠いものは眠い。
休暇を申請しても、3交代制なのでしっかりした休みが取れないのが現状であった。
「休暇を即急に申請します」
情報部の屈強なるエリート軍人のマリア直属の上司に再度申請に向かった。
この狸上司は自分はちゃかっり有給休暇をとるくせに、部下には非常時だからとかなりこき使う最悪な上司だ。部下の手柄を自分の手柄に変えてしまういつの時代にもいるありきたりなパターンの小男。
他にも情報部があり別にそれほど忙しいわけではないのだが、いい顔をしたい狸上司はどんどん任務を請け負っては仕事漬けの生活を要求するのである。
いい加減頭にきていたマリアは腹を括って何度も直談判に持ち込んだが結果は散々。さらにきつい任務を言い渡されることとなってしまった。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
腐敗しきった上司を引きずり降ろさねば、士気に関わってくる。同僚もみな一様に疲れ切った表情で暗号解析や情報収集に向かっているのだ。
別に正義の味方を演じたいわけではないが、ここは単独で地球降下するつもりで休暇を勝ち取ってやろうではないか。
「そうは言ってもこの状況でみなが休みなく任務をこなしているんだ。君だけ特別にとはいかんのだよ」
「では請け負った任務を他部に回してください。独裁政府が沈黙を守っているとは言え、このままでは撃ち落されます」
情報部のコントロール・ルームはたくさんの騎士が働いている。
そのなかで堂々と上司を批判するとは。
多くの人がマリアを見ないように黙々と自分の仕事に打ち込んだのだが、心の中では擁護したい気持ちでいっぱいだった。結局は身の保身を考え、それを実行に移すことはないのだが…。
「き、君は何を言っているのだねっ……そんなことを言うなんて、残念だよウラジミール一等騎士尉」
お決まりの反応、お決まりの文句。
マリアはやれやれと頭を振った。
別に、こんな上司の下で働きたくはない。
こんな上司と関わりあって昇進などしようものなら、後で必ず痛い目の合うことはわかりきっている。
「では、転属を希望します。そうですね、第八空挺団の陸戦部隊にでも行かせて下さい」
ニッコリと笑うマリアに上司は口元をひくつかせた。
第八空挺団の陸戦部隊といえば最前線の部隊。
隊長のジャレッド・セントジョンは33歳ながらフォトン奪還戦役の英雄であり、ヴェルトラント中央政府の高官までこなしたエリート中のエリートだ。
しかし、彼の部隊は最も危険な任務をこなす。常に人員の補充を必要としている部隊なので、エリートのマリアが志願すればすぐにでも入れるだろう。
「ふ、君のように上官に反発的な騎士が受け入れられるはずはなかろう」
「貴公の無謀な指揮もあまり褒められたものではないと思います」
「なんだとっ、貴様っ、ここになおれっっ!!懲罰ものだっ!!」
ワザと挑発するように反論するマリアについに上司は切れた。
いきなり貴様呼ばわりとは。これがこの人の本質か。
同じく貴様呼ばわりする彼の隊長とは違って裏があるものだから到底受け入れがたい。
「規則では非常時においても休暇を取ることは可能です。しかもその原因を作られたのは貴公ではありませんか。私は正当なる主張として公安部に調査を依頼いたしました。よって貴公には権限はありません」
上司の顔が真っ白に変色し、さらに青ざめた。公安部が出で来るとなれば、出世は危うい。
しかも思い当たる節が数多くあるらしく、先ほどの勢いとは打って変わってへなへなと椅子に座り込む。
「では、失礼致します」
「ま、待て……は、話し合おうではないか…ウラジミール一等騎士尉!!」
一応敬礼をして踵をかえすマリアに追いすがるような声がかかる。
しかし、マリアは応じるつもりはない。
「もう、お話しすることはありません」
マリアはざわつくコントロール・ルームを振り返ることなく立ち去った。
本当は第八空挺団に転属することは決定事項だったので言いに来る必要はなかったのだが、ささやかな仕返しをしてやりたかったのだ。
まだまだ、一人前とはいかないわね。
大人気ないことをしたものだとちょっぴり思ったが、今まで溜め込んでいたもやもやがすっきりしたので後悔はしていなかった。
「で、一体いつから休んでいないんだ?」
ボサボサの灰色の髪の男性―――ジャレッド・セントジョン一等騎士佐の執務室に入ってくるなりソファにぐったりと身体を沈めてしまったマリアを気遣いながら、ジャレッドはその頭を優しくなでてやる。
「えっと、公安部の人に証言したり…移動の準備をしたり……二ヶ月?」
ジャレッドはぴたっと手を止める。
そして二ヶ月の意味を考えているようだ。
「それはまったく寝ていないということなのか?」
「仮眠は取った。けど、後は元気ドリンクで乗り切った」
ジャレッドはマリアをそっと抱きしめてから、ソファを立ち上がった。
せっかくジャレッドの体温に包まれていたのに、急に支えと温もりがなくなって疲れが一気に押し寄せてくる。
マリアは今日付けで第八空挺団陸戦部隊に配属となった。ジャレッドに会いたい一心で寝る間も惜しんで引継ぎをしてきたのだ。
情報部に所属していただけあって、転属先での秘密保持を新たに誓約したりと忙しく精神的にも疲れていたので睡魔が容赦なく襲ってきたのだが、気丈にもこれから同僚となる隊員たちと顔あわせまで行い、今に至る。
「ジャレッド?」
「お前のことだ、副食を主食にしていたのだろう?食べやすいものを作ってやるから、それまで寝ていろ」
何も言ってないのに、何でもわかっているらしい。執務室にある給湯室でごそごそと音がしているから、本当に何か作ってくれるつもりのようだ。
「お言葉に甘えて……少し休むから…」
かちゃかちゃとお皿の音や食材を切る音を子守唄にマリアは意識を夢にゆだねていった。
何だか、子供に戻った気分。
ジャレッドがご飯を作っているなんて何かおかしい気がするのだが、遠い昔に経験した家族団らんのひとときを思い出して心がほんわりと温かくなった。
不思議なことに、ジャレッドがいるだけでマリアの疲れがとれていく。
何でだろう?
心地よいソファに沈み込み、マリアは完全に意識を手放した。
眠ったか。
料理の途中で様子を見に来たジャレッドは、すやすやと寝息をたてるマリアにホッとした。
今日マリアを見たときは驚いた。
明らかに具合が悪そうだったのだ。笑顔を絶やさず、気さくに話しかけていたので隊員たちにはわからなかっただろうが、明らかにマリアは疲れ切っていた。
最後に顔を合わせたのは三ヶ月半前だった。
待機している衛星で偶然に会ったのだ。
あの頃もきつそうだったが、今はほとんど倒れるのではないかというくらいに覇気が感じられない。
「まったく、お前は……どうしようもないな」
むちゃくちゃするところは、フォトン奪還戦役時代と変わっていない。
マリアの宇宙焼けした頬をそっとなでてやり、起こさないように口付ける。
「お前が転属してくると報告が入った時には驚いたぞ?」
ジャレッドが上級士官の道を選んだ時、マリアは過ちを繰り返さないためにと情報部を選んだ。
不穏な動きがあれば、すぐにわかるように。
秘密厳守だと言う事はわかってはいたが、何かあったらジャレッドに知らせることが出来るようにと。
そのマリアが転属してくるとは…何か重大なことが起こったのかと気が気ではなかったが、私腹を肥やしていたらしい上司を糾弾したその後を考えての選択だとわかって安心した。安心するついでにまた共にいられるのだと嬉しく思った。
第八空挺団の陸戦部隊は情報部に負けず劣らず過酷だが、自分がついているのだからそこらへんの心配はない。優秀な魔導戦闘機パイロットであるマリアが任務についてこられないはずもない。
「疲れたときは、疲れたと言ってくれ。俺はいつでもお前の側にいる」
「本当?」
寝ていたはずのマリアの声がして、ジャレッドは起こしてしまったことを後悔した。
「すまんな…起こすつもりはなかったんだが…」
「側にいて…くれる」
ほやっと目を開けて、マリアは夢うつつでジャレッドを見ている。
完全に覚醒しているわけではないらしい。
「ああ、側にいるさ」
ジャレッドの言葉にふんわりと微笑んだマリアはまた夢の中に戻っていった。
こんなに無防備に眠るマリアだったがジャレッドの前でしかこういった顔は見せないのだ。
寝ぼけ眼も、寝顔も、泣き顔も。
ジャレッドはそんなマリアが愛しくてならないというように優しい微笑を返す。マリアは眠ってしまっているが、きっと起きた時にも見ることができるはずだ。
ジャレッドはマリアに簡易毛布をかけてやると、料理を仕上げるために給湯室に戻った。
「ほら、マリア……マリア?冷めないうちに食べてくれないか…」
ジャレッドが肩を揺さぶっているらしい。
もう少し夢の中にいたかったマリアは毛布を頭からかぶろうとするが、ジャレッドに阻止された。
「まだ、ねむ…」
寝起きが悪いわけではないのだが、まだ疲れがとれず睡魔は去ってくれない。もぞもぞとソファで寝返りを打つマリアに、ジャレッドは怒りもせずに耳元にそっと囁く。
「これを食べたらまた眠っていい……せっかくオレンジジュレも作ったが、俺が食べてしまってもいいか?」
「……やだ、私も食べる」
ぼんやりした目でジャレッドを見上げながらむくれるマリアに、ジャレッドは手を差し出した。
「お姫様お手をどうぞ?」
「ん」
ぐったりしているマリアがゆっくりジャレッドの手に手を重ねると、ジャレッドは苦もなくひっぱり起こした。そのままジャレッドにもたれる形となってしまったが、ジャレッドは気にせずにマリアを抱きしめてからソファに座りなおす。
「いいにおい…」
「そうか、ミルクシチューなんだ。胃に優しい方がいいと思ってバターは使ってないんだが…」
「そっちもいいにおいだけど、ジャレッドが…」
ぎゅ~っと擦り寄ってくるマリアに、ジャレッドは少しだけ心拍数を上げた。
「ジャレッドの隣ってとっても心地いいのね」
こちこちに固まってしまった身体も心も、少しずつ解きほぐされて足に力が入らないくらいに。
マリアがまた眠りに落ちていくのを感じながら、ジャレッドは今度は起こさなかった。
シチューが冷めてしまうが、また温めなおせばいいのだからと思いコックリコックリと船を漕ぎ始めたマリアの頭を自分の膝に乗せてやる。
ジャレッドの膝が気持ちよかったのか、マリアは猫のように丸くなってなにやら呟いていた。
「ジャレッドも…いっしょ……」
「どうした?」
「いっしょ……ねる」
子供のようにあどけない顔で眠るマリアの髪をすいてやりながら、ジャレッドはクスクスと笑った。
こうやって見ると、第四空挺団の元情報部のエリートとはとても思えない。
「あと2時間だけだぞ?」
こんなに寝起きが悪かったことはないので、もしかしたら起こすのに大変な苦労を強いられるかもしれない。せっかく一緒に働くことになったので、話したいことも色々あるのだが。
こうやって甘えてくれるのも久しぶりだから……まあ、いいか。
「キスを一つ落とせば、お前は目覚めてくれるかな」
今はお休み、お姫様。
戦火の合間に、一時の休息を。
宇宙の涯の物語から抜粋。
別サイトからの転載。




