LEVEL-3
バイトが終わり、ロッカールームで着替えていると突然体に異変が起きた。
胃が、かなり痛い。
変な物を食べた?いや、朝は抜いてるし昼は賄い食だったし、隣にいる千手観音は至って普通にしている。
確かに昨日から風邪気味ではあったが風邪の症状で胃が痛くなる事があるのか?それとも賄い食の後に飲んだ薬のせいか?それにしてもこんな動けない程の激痛は経験がないぞ!?盲腸?いや、痛いのは胃だ。なら胃潰瘍とかそのへんか!?
「木場さん?」
胃を鷲掴まれているような感覚に耐え切れずに倒れ込むと、千手観音が携帯で救急車を呼んでくれた。
救急車を待つ間、事態は更に悪化したらしい、息を吸っても吸っても息苦しい。そして徐々にしびれ始める手足、顔面まで痺れ始め、いよいよ俺はもう駄目なんだろう。
「大丈夫ですか?意識はありますか?」
啖呵に乗せられて運ばれている俺の後ろを千手観音がついて来て、救急隊員に、
「ご家族の方ですか?」
と、聞かれている。
「イエ!ユウジンデスッ!」
相当テンパっているらしい千手観音は、真っ直ぐに手を上げながら元気良く片言で返事をした。
「名前は?言えますか?どうされました?過呼吸になってますよ」
救急隊員は忙しなく俺に喋り続けてくるが、それ所じゃない。息苦しいってのに喋らせるとはどんな悪魔だ!?過呼吸だって分かってんなら、なにかしらの対処は出来るんじゃないのか!?ハイハイ過呼吸過呼吸、って、どんだけやる気がないんだ!
どう痛いのか、どの辺りが痛いのか、直前まで何をしていたのか、そんな事を問診されて救急車が走り出す。
病院に着き、看護師や医者に囲まれている俺の後方、
「ご家族の方ですか?」
と聞かれている千手観音はまた、
「イエ!ユウジンデスッ!」
と、手を上げながらハキハキとした片言で答えた。
いつ、友人になったんだろう?
治療室に運び込まれ、血圧を計りながらの問診は、救急車の中で聞かれた事とほぼ同じだ。1度答えた事をもう1度答えろと言うのか?救急隊員がメモっていた資料を見せてもらうと言う事は出来ないのか?それにだ、過呼吸でそれ所ではなかったが、救急車の中でも確か血圧は計られた気がするぞ?
「あー、はい。胃痙攣ですね」
なにっ!?
救急車の中と同じ事をしただけで病名が判断可能だと言うのか!?だったら救急隊員にだって俺が胃痙攣である事が分かっていたんじゃないか!?
いや待て、落ち着こう。胃痙攣だと分かった所でその治療は病院でなければ無理なんだろう、過呼吸の治療さえ出来なかったんだ、きっとそうだ。
「木場さん・・・」
治療室の戸が開き、千手観音が入って来ると医者が説明を始めた。
「えー、胃痙攣です。季節の変わり目だとか、ストレスでなりやすいですね。はい」
確かにここ数日気温の変化は激しかったが、それでどうなって胃痙攣に繋がるんだ?ストレスでもなりやすいと言う事は、ストレスがかかった上での気温変化でか?風邪気味だったと言うのも何か関係があったのだろうか?
おい、医者。何故黙っている?さっさと説明を続けてくれ。
「あ、まだ痛いですか?」
なにっ!?
説明おしまいなのか!?
「痛いです」
過呼吸がなくなった分息苦しさはないが、それでもギリギリと締め付けられるような痛みは引いていない。上半身を起すのでさえ困難だろう。
「じゃー痛み止め、点滴しましょうか?」
じゃーってなんだよじゃーって!点滴しましょうかって聞いて来るな!
「はい、お願いします」
医者が去り、しばらくして看護師が現れ、なにか黄色っぽい液体を混ぜ込んだ生理食塩水を点滴された。
動いているのか、止まっているのか分からないようなスピードで点滴している間、看護師は1度も俺の様子を見には来なかった。変わりに千手観音が気分は悪くないですかだの、息苦しくはないかだの、胃の痛みはどうかだのと聞いてくるから、お前は医者かってツッコミを入れておいた。
こうして長い長い時間をかけて点滴が終了し、もう良いですよ、との笑顔で治療室から追い出され、痛かったら飲んでくださいと紙袋にさえ入っていない薬を数粒手渡され、電気の消えた待合室に座る。
締め付けられるような激痛が消えたとは言っても、胃痛自体が治っている訳ではない。そして外は既に夜で病院は診察時間外。待合室の電気が消えているんだから面会時間もとうの昔に終わったんだろう。と言う事は病院の外に出た所でタクシーは停まっていない筈だ。タクシー会社に電話すれば来てくれるのだろうけど、治療費でいくら持っていかれるか分からないんだから今は黙って名前を呼ばれるまで待つしかないか。
それでも今日はたまたま銀行に行って1万をおろしてきたばかり、初乗り500円タクシーに乗って1メーター分だけでも駅に近付こう。それよりも病院から出てコンビニを探し、ATMで金をおろしてからタクシーを拾った方が良いか。
「木場さ~ん」
痛みが引かないうちに名前が呼ばれ、ゆっくりとカウンターに行く。
初診なのだから6000円位は見ていた方が良い、そんな俺の予想を大きく外し、カウンター向こうにいる男は物凄い愛想良く診察料を告げた。
「1万100円です」
なにっ!?
慌てて財布を開いてみるが1万円札が1枚しかない事に変わりなく、恐る恐る小銭入れを開けると、10円玉が3枚と5円玉が3枚、1円玉が5枚と言う結果に終わった。
俺は静かに千手観音の肩に手を置き、項垂れるように頭を下げた。
「50円貸してください」
1万100円と言う高額さと、年下に金を借りると言う衝撃で、もう1度胃痙攣になりそうだ。