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辿り着いた池は思っていたより大きいもので中央には噴水が備えられている。
よく見ると噴水には小さな天使の像が何体もくっついていた。
幼いカトレアは案外あの天使像を間近に見たくなって池に落ちたのかもしれない。
昼間はきっと可愛らしいのだろうが、薄暗い今では少し不気味に見える。
噴水から噴き出る水がきらきらと光りを帯びて降り注ぐ光景を淵に腰かけて眺めていた。
辺りはひっそりとしていて、今までの喧騒の場には戻りたくなくなる。
目がチカチカするドレスや装飾、耳触りな笑い声、不躾な視線・・・。
やはり自分にはああいう場は向かないからしばらくここで時間をつぶそうと考えていると、人が近づいてくる気配がした。
あわてて周りを見渡すが、あいにく隠れることが出来る場所は見当たらない。
とっさに淵から降りて屈みこんだ。
高さが割とあったので、これであちらからは姿が見えないだろうととった行動だが、考えてみれば隠れる必要があったのかと思い至り、そろっと様子を見てみる。
「!!」
なんとそこには我らが国王陛下がいるではないか。
それを認識した途端、カトレアは素早く元いた位置に戻ると先程より縮こまった。
「(どうして陛下がこんな所にいらっしゃるの!?夜会は!?主役がいないと意味ないじゃない!)」
早く去ってくれないかと待つがなかなか思うようにはいかず、しまいには誰かと話し始めてしまった。
耳を塞ごうかと思っていたら、聞こえてきた単語につい反応して耳に当てようとした手を止めてしまう。
「―――レジオン―――娘―――」
「―――証拠が―――」
「―――メシャンス公爵―――」
レジオンといえばペペイ王国の首都カピタヴィルから遥か西にある辺境地の名である。
すわ隣国との問題が何かあったのかとも思ったが、メシャンスという家名になぜか侯爵に道中で聞いた話を思い出した。
嫌な予感がしてこれ以上は聞かない方がいいとわかっているが、つい集中して耳を傾けてしまう。
「一体どこへ行ってしまったのか・・・。」
「申し訳ございません、まだはっきりとは・・・。ですが、メシャンス家が関わっていることは間違いないようです。すでにレジオンを離れていた者も含めてですが、高貴な夫人がかの家を訪れていたという証言も複数得ています。支援金が送られていたとも。」
「そうか。この際迎えることが出来なくてもいいから、安否だけは知りたいものだ。」
「・・・陛下。」
「・・・ジプソフィア・・・。」
ああ、なんて切なげに名前を呼ぶのだろうか。
その声にカトレアの心も思わず苦しくなる。
やはり例の王の想い人の件であった。
若き王は自分のせいで娘がすでに儚くなっていることを恐れているのだろう。
愛しい者ならなおさらである。
私利私欲に走った者のために悲しんでいる者がいると思うとやりきれないとため息を吐いてしまったのがいけなかった。
「誰だっ!!」
王の声に、報告をしていた男が敏速にカトレアの元に来て武器を向ける。
距離が少し空いているとはいえ、武器を向けられカトレアは息をのんだ。
男はカトレアを見ると鋭い目が困惑へと変わり、クリザンテームに告げる。
「プリュダント侯爵のご令嬢のようですが・・・。」
「なんですって!?」
その名に反応したのはクリザンテームに付き従っていたクロキュスだった。
彼はカトレアの元に来ると目線を合わせるように屈みこんだ。
少し震えているカトレアの手をそっと握ってやると、武器に釘付けだった彼女の視線がクロキュスにいく。
彼の顔を見てほっとしたのか、カトレアは手を握り返し、か細い声でクロキュスの名を呼んだ。
「・・・クロキュス様・・・。」
「どうして貴女が?このような所で何をされていたんです?」
「私はただ、この池が見たくなって・・・。」
「この池を?」
「はい。・・・私が溺れた池なのかしらっと思って。」
クロキュスはカトレアの思わぬ発言に目を丸くすると、次いでぷっと吹き出した。
くすくす笑っているクロキュスにカトレアは次第にむっとしてくる。
この人には笑われてばかりである。
「クロキュス、楽しいところを邪魔して悪いがちょっといいか。」
カトレアがはっと顔を上げると大広間で見た時よりよほど人間らしい表情したクリザンテームがいた。
しかし聞かれているのだが決して否とは言わせない王の雰囲気に内心冷や汗を流す。
クロキュスはすっかり顔がほころんでいて、立ち上がるとカトレアに手を差し出し立たせた。
「もちろんです。私もぜひ詳しいお話しを聞かせていただきたいですね、クリザンテーム様?」
クロキュスがにっこりとクリザンテームに笑いかけると、彼が少しひるんだのをカトレアは確かに見た。