第二話
瀬戸恒一。
大学時代の先輩で、私の尊敬する人の一人だ。
彼とは民俗学サークルで会った。瀬戸先輩はその中でも、オカルトとその中にある地元の風習に強い興味を示していた。
バイトと遠征を繰り返していて単位が取れてるのか心配されていたが、無事に卒業した。
卒業後はルポライターになり、各地の禁足地や都市伝説といった記事を書き続けていた。
私は瀬戸先輩は、同じ性質ではなかったものの、波長が妙に合うため、卒業後も会って飲みに行くことがあった。
瀬戸先輩は飲むたびに遠征の話をしてくれた。私は先輩のように危険な場所には行けないと話すと、瀬戸先輩はそれが私の良いところだと言ってくれた。
『オカルトに関わっていると、臆病の大事さがわかる。それはただのビビリじゃない。生存本能からくる危険信号だからな。臆病を馬鹿にする奴がいるが、死んだら元も子もないだろ?』
瀬戸先輩はよくそう言っていた。
そして私のことを指して、お前は臆病すぎるがなと笑っていた。それは、怪異に対してもそうだし、人間関係に対しても指していたと思う。
私も瀬戸先輩にはよく相談をしていた。瀬戸先輩はそれを聞いたうえで、説得力のあるアドバイスをよくくれた。
私の中で、瀬戸先輩は信頼できる人だった。
スマートフォンはしぶとく鳴り続けていた。
この電話の相手は、本当に先輩なのだろうか。
「出ないでっ」
大月さんが切羽詰まった声を出しながら、私の手を掴んだ。
無意識のうちに私はスマートフォンに手を伸ばしていた。それを大月さんが止めてくれた。
全身から汗が吹き出した。なにが起きるかわからないのに、危ないことをしそうになった。
「……すまない。いや、助かりました」
私は手短に大月さんに礼を伝えた。
「残念ながらその人は──」
大月さんは心苦しそうに私に説明しようとしてくれたので、私はそれを大丈夫だと遮った。
先輩はもう、既に亡くなっている。その現実は受け止めていた。
「この人は三年前、行方不明になりました。地方に取材に行くと言ったっきり……」
私は、先輩の記事を取り扱っていた雑誌編集部から連絡がつかないことを教えてもらった。取材に行くと言ってから一ヶ月後だったか。
SNSのDMで来た時は驚いた。
私もできる限りの連絡網を使い、瀬戸先輩のことを探した。
「しばらくして、先輩がハザマ駅のことを探っていることがわかりました。それと同時に編集部から、峡越駅付近の山奥でこれが見つかったという連絡がありました」
私は大月さんにくたびれた手帳を見せた。
この手帳は瀬戸先輩の物だった。
私はそれを、雑誌編集部から預かった。中身は既にスキャンしたから、原本はいらなかったらしい。私はそれを、瀬戸先輩の遺品として譲ってもらった。
瀬戸先輩は亡くなった。本人の死体は見つかってないが、皆そう思った。
手帳には取材に関する備忘録が、ページいっぱいに緻密に書かれていた。くしゃくしゃになった終盤のページには『おりるべきじゃなかった』と書かれていた。
「きっとその人は、ハザマ駅ではなく、この駅に降りたのかもしれない」
「えぇ、そう思います」
車内の照明が一瞬だけついて、再び消えた。
その直後、ホームから車内に入るように影が伸びてきた。
誰かが私たちを覗き込んでいる。そう感じた。
「大丈夫、外にいるだけ……中にはいない……」
大月さんが私に、そして大月さん自身にも言い聞かせるように呟いた。
ようやく着信が止まった。
安堵してすぐにスマートフォンがまた震えた。
今度はメッセージだった。
【まだ車内にいるのか?】
差出人は書いてない。だが、誰かわかる。
【早く降りろ。お前はコレを見る意義がある】
「見ないで。返事しちゃダメ」
大月さんはすぐに私のスマートフォンに手を重ねた。私はスマートフォンに手を伸ばしていなかった。今度は理性が勝っていた。
私はふぅっと小さく息を吐いた。心臓の鼓動がはやくなっていた。
「……ここまで直接来るなんて」
大月さんの瞳が素早く動いていた。
直接ホームへ誘いに来るのは珍しいようだ。このメッセージの差出人は、やはり瀬戸先輩だ。あの人は今、赤いホームに立っているのだろう。
私にハザマ駅を調査するよう依頼したのも彼本人なのだろうか。
だが、降りてはいけないと、自分の手帳に書いた先輩が、私をここまで導こうとするのだろうか。そうまでして私に見てもらいたいものとは一体なんなのだろうか。
ほんの一瞬、首がドアに向いて、私は自分の顔を掴んだ。
私は今、好奇心で自分自身を殺そうとしていた。浅はかで愚かだ。私の挙動に驚愕した大月さんはおいといて、ひとまず自分のことを頭で叱責した。
死んだら元も子もないだろう。
瀬戸先輩に言われた言葉を思い出した。そのとき、ふと疑問が浮かんだ。
「あの人は本当に先輩なのだろうか」
ふと浮かんだ疑問が私の口から漏れ出た。
私のことを臆病だと評していた先輩が、それが良いところだと言ってくれた先輩がホームまで来るように誘うだろうか。
私の問いは、宙に浮いた。だが、冷静にはなれた。
列車が動く気配はない。
私と大月さんは、まだ床を見ている。
【来いよ。はやく】
メッセージが届く。
列車のドアから複数の影が車内に入ってきた。
誰かが、私たちを見ている。それは一人ではない。複数人が、私たちのことを囲って見下ろしていた。頭に視線がずっと刺さっていた。
息が苦しい。油断したら、大声で叫んで逃げてしまいそうだ!
限界かもしれない。口を開こうとしたとき、車内アナウンスがまたノイズ混じりに鳴り響いた。
「間も無く、発車しマス──」
私たちを囲んでいた影が、皆一斉に列車から降りていった。気配が離れて、私たちは息を整えた。
「……ドアが閉まらない」
私は外を見ないよう、ドアのフチだけを見た。
「会いたいという気持ちを悪用してるのかも」
大月さんは足を動かして、深く息吐いた。
「さっきの質問、半分合ってると思う。互いに未練ある人を引き合わせる。私以外の人も、誰かに会いたがっていた……けれど、あそこにいるのは、完全な本人じゃない」
「思念を増幅する怪異……か」
よくいるタイプだ。感情や思念を利用したり、それを餌にする怪異。
その怪異を調べるべきか悩んだが、非力な人間二人では、なにも太刀打ちできないだろう。
ここは、引き退るべきだと、私の直感が警鐘を鳴らした。
「あなたの先輩も、本当は会いたがってるのかもしれない。でもこの駅は、その思いだけを利用した……」
「……駅が私たちに執着しているのは、降りちゃいけないという、駅側に不都合な情報を私が持っているからでは?」
「それはどういう──」
大月さんがたずねてくるのを遮って、私は持っていた先輩の手帳を外に投げた。
見ない状態でも上手く届いたようだ。手帳は車内のどこにもぶつからず、ホームでパサと落ちる音がした。
「本人じゃないならこの駅で降りる意義なんてない。その手帳はくれてやるよ」
私は吐き捨てるようにいった。
大月さんが当惑しているうちに、列車のドアが閉まり、動き出した。
「あの駅の目的は人を誘うこと。瀬戸先輩の手帳に書かれた小さな情報でさえ、なかったことにしたかったんだ」
「それがあの駅にとって不都合な情報だから?」
大月さんの問いに私は頷いた。
随分と欲深い怪異だ。深いため息も出た。
あの駅をどうにかして封印してもらいたい気持ちだった。私は既に帰宅後に本部に報告するフローを考えていた。
覚えとけよ、と駅に対し恨み節を思ったのは、赤い照明が点に見えるほど遠く見えた頃だった。




