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3/5

第3回/嘘から始まる


「……ちょぉっと、アンタら。人のデートの邪魔すんの、マジでなくない? 空気読めなすぎて草も生えないんだけど」


 ホテルのラウンジに、アカリの鋭い声が響き渡った。

 金髪を揺らし、鋭いネイルの先で黒塗りの男たちを指差す。その姿は、教え込んだ「オタクに優しいギャル」の聖母マリア像とは程遠い、夜の街を闊歩する「捕食者」の威圧感だった。


 黒スーツの男たちは一瞬、怯んだ。

 彼らはレオを連れ戻しに来た「家の使い」だ。屈強な体躯、冷徹な眼光。本来なら一介の女子大生が太刀打ちできる相手ではない。

 だが、今のアカリには「金欠」という名の最強のバフ(強化魔法)がかかっている。


「アカリさん! 危ない、下がってください!」

「レオ、座ってて。アンタは今、ウチと『尊い』時間過ごしてる最中でしょ? その聖域サンクチュアリを汚す奴は、アタシが許さないから」


 アカリはレオを背中に隠し、仁王立ちになった。

 男の一人が、低い声で威嚇する。


「……どけ。我々はレオ様を本国へお連れしに来た。邪魔をするなら、君にも相応の報いを受けてもらうことになるぞ」


「報い? あー、怖。でもさ、アンタら。ここは日本なわけ。この街の『ギャル』を怒らせたらどうなるか、知らないの?」


 アカリがスマホを操作する。

 画面には「警察への緊急通報」ではなく、SNSの投稿画面が表示されていた。


「今ね、ここでのやり取り全部ライブ配信中。一万人以上が見てるけど。……『海外のVIPを誘拐しようとする謎の組織、秋葉原に出現』。これ、拡散されたらアンタらの国、国際問題にならない?」


 完全なブラフ(嘘)だ。

 アカリのアカウントのフォロワーは三千人程度。配信すら始めていない。

 だが、その堂々としたハッタリに、男たちは足を止めた。


「ハルキ、今のうち! この王子様連れて逃げて!」


 俺はすぐさまレオの腕を掴んだ。


「レオ、走れるか」

「は、はい! でも、アカリさんは……!」

「彼女はプロだ。……というか、あいつの足止めの方が怖い。行くぞ!」


 俺たちはラウンジを駆け抜け、非常階段へ飛び込んだ。

 背後からアカリの「ちょっとぉ! ウチの服に触んないでって言ってんじゃん、この非国民!」という罵声が聞こえてくる。


 表に停まっていたタクシーにレオを押し込み、秋葉原の雑踏へと滑り込む。

 バックミラー越しに、ホテルの入り口で立ち往生する黒塗りの車が見えた。


「……ハァ、ハァ……。ミスター・マカベ。アカリさんは……大丈夫でしょうか」


 レオは青ざめた顔で、ガタガタと震えていた。

 彼の「夢」は、暴力的な現実によって今にも引き裂かれようとしていた。

 俺は冷静に、タクシーの運転手に行き先を告げた後、レオに向き直った。


「レオ。お前にとって、彼女は何だ」

「……え?」

「ビジネスのパートナーか。それとも、命をかけて守るべき『理想』か」


「……僕は、彼女に救われたんです」


 レオの声は小さかったが、確かな熱を帯びていた。


「日本に来て、誰もが僕のことを『金づる』か『変人』としてしか見なかった。でも、彼女は……僕の好きなアニメの話を、あんなに楽しそうに聞いてくれた。あんなに素敵な笑顔で……」


「……そうか」


 胸の奥が、少しだけチクリと痛んだ。

 俺が彼女に教え込んだ「偽物の笑顔」。それが、この純粋すぎる青年にとっては唯一の救いになっている。

 俺のやっていることは、救済なのか。それとも、極めて悪質な詐欺なのか。


「なら、その『夢』を最後まで守り抜くのが(プロデューサー)の仕事だ」


 俺はスマホを取り出し、アカリに合図を送った。

 

 数十分後。

 秋葉原の片隅にある、防音完備の撮影スタジオ。

 そこは、かつて俺が担当アイドルを匿っていた「セーフハウス」の一つだ。

 アカリは既にそこに到着していた。

 服は少し乱れ、メイクも崩れかけていたが、彼女の瞳には奇妙な興奮の色が宿っていた。


「……あー、マジで死ぬかと思った。アイツら、本気で手出そうとしてくんの。ウケるんですけど」


「アカリさん! ご無事で……!」


 レオが駆け寄り、アカリの手を握ろうとして――。

 アカリは、ほんの一瞬だけ、その手を拒むように引いた。


 レオが凍りつく。

 アカリも、自分の行動に驚いたような顔をした。


「……あ、ごめん。ちょっと、びっくりしただけ。……ねえ、レオ。アンタ、マジで何者なの? あんな怖いオジサンたちに追われるなんて、普通のオタクじゃないでしょ?」


「それは……」


 レオは俯き、自分の素性を話し始めた。

 北欧にある歴史ある家系の跡取り息子であること。政争に巻き込まれ、一時的な避難先として日本を選んだこと。そして、この自由な一ヶ月が終われば、望まない結婚と義務が待っていること。


「僕は、ただのレオとして、誰かとアニメの話をしたかった……それだけなんです」


 スタジオ内の重苦しい沈黙。

 アカリは、それを払拭するように、いつもの軽い調子で言った。


「……ふーん。重い。マジでアニメの主人公じゃん。設定盛りすぎでしょ」


「アカリさん……?」


「でもさ。そんなの、アタシらには関係ないし。アンタがレオで、アタシがアカリ。それだけで十分っしょ? ……ハルキ。契約、まだ生きてるよね」


 俺は頷いた。

 だが、その瞬間、俺のスマホに一通のメールが届いた。

 送り主は、アカリの「借金取り」を名乗る男。


『例の女の居場所、掴んでる。これ以上、支払いが滞るなら、そっちの「ビジネス」ごと潰させてもらうぞ』


 メールに添付されていたのは、スタジオに向かって歩くアカリの後ろ姿。

 

「……ハルキ、どうしたの? 変な顔して」


 アカリが訝しげに俺を見る。

 彼女は今、レオを守ることで自分の存在価値を証明しようとしている。

 だが、彼女自身が「現実」という名の鎖に縛られていることを、彼女はまだ知らない。


「……何でもない。レオ、アカリ。今日はここに泊まれ。俺が外の様子を見てくる」


「ハルキ、無理しないでよ。アンタが倒れたら、アタシの給料払う人いなくなるんだから」


 アカリは軽口を叩きながら、レオと一緒にアニメの続きを観始めた。

 画面の中から聞こえる、能天気なヒロインの声。

 その対極にある、俺の手に握られた「破滅」の予感。


 俺はスタジオを後にし、夜の街へと踏み出した。

 冷たい風が、さっきまでの熱狂を嘘のように冷やしていく。


 理想のギャルは、計算で作れる。

 だが、彼女を守るためのコストは、俺が想定していたよりも遥かに高くつきそうだった。


 

 背後のスタジオのドアが閉まる。

 

 その瞬間。

 

 俺の心の中にあった「ビジネス」という名の防壁が、音を立てて軋んだ。


「……救済か。笑わせるな」


 俺は独り言ち、闇の中へ消えていった。

 

 明日には、すべてが壊れているかもしれない。

 それでも、あの中にいる二人の「嘘の楽園」を、あと一日だけ守ってやる。

 それが、クズなマネージャーだった俺ができる、唯一の贖罪のようにも思えた。

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