第2回/カワイイは作れる
「マジで無理。日本語話してるはずなのに一単語も意味わかんないんだけど。これ、暗号? アタシ、スパイかなんかの養成所に売られたわけ?」
貸し会議室のホワイトボードを前に、アカリが頭を抱えていた。
目の前には俺が書き殴った「オタク用語相関図」と「最新トレンドアニメTOP50」のリスト。
深夜二時。窓の外では秋葉原の喧騒も静まり、パトカーのサイレンだけが遠くで鳴っている。
「アカリ、文句を言うな。お前はこれから『オタクに優しいギャル』という概念を演じるんだ。概念っていうのは、対象となる相手の脳内に存在する『理想』そのものだ。現実の自分を捨てろ」
「捨てろとか言われてもさぁ! この『なろう』って何? 鳴門の略? あとこの『いせかい』って、海外旅行のこと?」
「いいか、よく聞け。『なろう』は物語の形式であり、救済の代名詞だ。そして『異世界』は、ここではないどこかへ行きたいという現代人の切実な祈りだ。とりあえず、『トラックに撥ねられたらラッキー』とだけ覚えておけ」
「……アンタ、マジで一回カウンセリング受けた方がいいよ」
アカリは心底引いたような目で俺を見たが、俺は構わず次の資料を叩きつけた。
これは俺がマネージャー時代に培った、ターゲットの心理分析シートだ。
「レオのような海外オタクが求めているのは、単なる『優しさ』じゃない。それは『無条件の肯定』と『共通言語による共鳴』だ。いいか。あいつが好きなアニメの話を始めたら、三秒以内に瞳孔を開け。そして、語尾に『マジ?』と『尊い』を混ぜろ。それだけであいつの心拍数は二十跳ね上がる」
「尊い……? お寺の住職さんかなんか?」
「違う。それは『言葉にできないほどの感情の爆発』だ。お前が新作の限定コスメを手に入れた時の感情。それをアニメのキャラにぶつけろ」
アカリは不満げに唇を尖らせていたが、渡した手付金の厚みを思い出したのか、渋々と資料を読み込み始めた。
彼女のプロ意識は、その「不真面目そうな外見」とは裏腹に、極めて実利的で冷徹だ。
一度「金になる」と判断すれば、彼女は自分の感情を殺して完璧なツールになれる。
それが、俺が彼女を選んだ最大の理由だ。
「よし、次は実践練習だ。俺をレオだと思え。……『アカリさん、このシーンの作画、神がかってませんか!?』」
俺がレオの真似をして、キラキラした目で食いつく。
アカリは一瞬、眉をひそめて嫌悪感を顔に出したが、すぐにそれを「営業用」のフィルターで覆い隠した。
「……あー、マジ? それな、超わかる。……作画、神? 尊すぎて……草、生える?」
「落第だ」
「なんで!? 今のアタシ、完璧に寄り添ってたじゃん!」
「語尾に『草』をつけるな。それは自虐や嘲笑のニュアンスが含まれる場合がある。レオが求めているのは『純粋な感動の共有』だ。あと、目が笑ってない。死んだ魚の目で『尊い』と言われて喜ぶのは、一部の重篤なマゾヒストだけだ」
俺たちはそれから、朝まで特訓を続けた。
アニメの視聴、用語の暗記、リアクションのタイミング。
アカリは何度も「もう帰る」「死ぬ」「脳が溶ける」と喚いたが、俺はそのたびにエナジードリンクを差し出し、追加報酬の可能性をチラつかせて繋ぎ止めた。
そして翌日の午後。
秋葉原の高級ホテルのラウンジ。
そこには、昨日の絶望から一転、期待に胸を膨らませてソワソワしているレオの姿があった。
「ミスター・マカベ! 本当に……本当に『彼女』は来てくれるんですか?」
「ああ。約束通り、最高の逸材を連れてきた。ただし、レオ。一つだけ警告しておく」
俺は紅茶を啜り、真剣な面持ちで彼を見つめた。
「彼女は、非常に繊細な『オタク』だ。ファッションこそ派手だが、その心はアニメと漫画を愛する純粋な乙女。お前が失礼な態度を取れば、彼女は二度と姿を見せない。……いいな?」
「もちろんです! 僕は彼女を……神殿の女神のように敬います!」
レオの言葉に、俺は内心でほくそ笑む。
ハードルは上げれば上げるほど、それを超えた時の快感は増す。
その時。
ラウンジの自動ドアが開き、一人の女性が入ってきた。
昨日までの「不機嫌なフリーター」の影はない。
髪は艶やかにセットされ、メイクは「派手だが清潔感のあるギャル」に調整されている。
服装は、あえて少しだけ「オタクに馴染みのある作品」のイメージカラーを取り入れた、清楚系ギャルスタイル。
彼女が歩くたびに、周囲の男たちの視線が釘付けになる。
アカリはレオの前まで来ると、少しだけ恥ずかしそうに頬を染め(俺が教えたチークの技術だ)、上目遣いで彼を見た。
「……おっそーい。待ちくたびれたんだけど?」
その声、その仕草、その距離感。
レオは、雷に打たれたように硬直した。
「あ……あ……」
「レオ、だっけ? ハルキから聞いてたよ。なんか、日本のアニメ超詳しいんだって? ウチ、そういう熱い人……嫌いじゃないかな、なんて」
アカリが、レオの隣に座る。
ふわりと香る、甘すぎない石鹸の香り。
それは、レオが夢にまで見た「自分を拒絶しない、光り輝くギャル」の実体化だった。
「Oh... My... God...!」
レオが絶叫し、その場に崩れ落ちそうになるのを俺が支える。
彼の目からは、大粒の涙が溢れていた。
「本物だ……本当にいたんだ……! 僕の話を聞いてくれる、天使のようなギャルが……!」
「ちょっ、泣くとかマジ!? あー、もう、そんな泣かれたらウチまで泣けてきちゃうじゃん。尊い……尊すぎるでしょ……!」
アカリはバッグからハンカチを取り出し、レオの涙を優しく拭う。
その動作は、昨日俺が千回練習させた通りの、完璧な「慈愛」の演技だった。
レオはもはや、ハルキという存在すら忘れたかのように、アカリの世界に没入していた。
アカリは、ハルキから教わった「共通言語」を駆使し、レオの好きな作品について語り始める。
「え、レオもあのシーン好きなん? マジ? ウチもあそこでヒロインが『おかえり』って言うところ、マジでエモすぎて語彙力失ったもん!」
「エモ……! エモーショナル! そうです、アカリさん! あのシーンは救済なんです!」
「だよねー! あー、わかる。レオって、マジで『わかってる』人なんだね。……嬉しいな、こんなに気が合う人、初めてかも」
アカリの「落とし」の台詞が決まるたびに、レオの財布の紐が緩んでいくのが、俺の脳内モニターにはっきりと映し出されていた。
成功だ。
レオは完全に、この「計算された女神」を信じ切った。
だが、俺はラウンジの外に、不自然に停車している一台の黒塗りの高級SUVに気づいた。
ガラス越しに、こちらを監視している男たちの視線。
レオの感動とは対極にある、冷徹で暴力的な気配。
「……ミスター・マカベ」
レオが、アカリに夢中になりながらも、一瞬だけ俺に不安げな視線を送る。
「僕は、この時間を終わらせたくない。たとえ、僕を連れ戻そうとする『家』の追手に見つかったとしても」
レオの言葉に、アカリの表情が一瞬だけ強張った。
演技ではない、素の困惑。
「……え、追手? 何それ、不穏すぎんだけど」
アカリが俺に視線で助けを求める。
俺はコーヒーを飲み干し、静かに立ち上がった。
「レオ。安心しろ。おれは夢の守り人だ。お前の『夢』の邪魔をする奴は、この俺が、そして俺たちの誇る『最強のギャル』が許さない」
俺はアカリに、次のフェーズへの合図を送った。
ビジネスは、ここから「ラブコメ」を脱ぎ捨て、「警護」という名の戦場へ移る。
黒塗りの車から、がっしりとした体格の男たちが降りてくる。
それを見たアカリは、レオを庇うように一歩前に出ると、昨日教えた「拒絶の演技」ではない、本物の、底の知れないギャルの迫力をその目に宿した。
「……ちょぉっと、アンタら。人のデートの邪魔すんの、マジでなくない?」
その言葉と共に、ホテルのラウンジに凍りつくような緊張が走った。
嘘から始まった物語が、制御不能な「現実」の刺客を迎え撃とうとしていた。




