第1回/日本に神はいない
「オタクに優しいギャルなんて……この国には、どこにもいなかったんだ……!」
秋葉原、電気街改札。
どしゃ降りの雨の中、一人の金髪美青年が膝をついていた。
その姿はまるで、守るべき祖国を滅ぼされた亡国の王子のようであり、あるいはガチャで爆死して全財産を失った廃課金兵のようでもあった。
ずぶ濡れになった高級そうなトレンチコート。
手から滑り落ちたのは、最新のアニメキャラが描かれた限定版の紙袋。中身のフィギュアは無事だろうが、彼の心は粉々に砕け散っているようだった。
「……おい、そこの王子様。邪魔だ。死ぬなら樹海か自宅の布団にしてくれ」
俺――真壁ハルキは、冷めた視線で彼を見下ろした。
手に持ったビニール傘を傾け、自販機の缶コーヒーを啜る。
ここ秋葉原には、夢を抱いてやってくる外国人が多い。だが、その多くが「現実」という名のコンクリートに打ちのめされる。
青年は、俺の言葉に反応して顔を上げた。
彫りの深い顔立ち。モデル顔負けのスタイル。透き通るような碧眼が、今は絶望の色に染まっている。
「……キミは、日本人か」
「見ての通り。それも、この街の酸いも甘いも噛み分けた、可愛げのない日本人だ」
「教えてくれ……どこにいるんだ? アニメみたいに、僕の趣味を否定せず、それどころか『マジ? 超いいじゃん!』と一緒に笑ってくれる……あの、キラキラしたファッションの、オタクに優しいギャルは……!」
青年の声が震える。
彼はそのまま、堰を切ったように語りだした。
レオと名乗ったその青年は、中欧の小国からやってきたという。
自国ではエリート街道を走っていたが、その実、重度の日本アニメオタク。特に「ギャルとオタクが交流するラブコメ」を聖書として育ち、ついに理想の出会いを求めて来日した。
「コンカフェに行った……渋谷のセンター街にも行った。でも、いたのは『仕事としての笑顔』を向けてくる店員か、僕を不気味な物を見るような目で見る通行人だけだった……! 日本には、オタクに優しいギャルがいるんじゃなかったのか!? 文化祭、体育祭、修学旅行、学園祭ライブ、屋上でサボる不良………全部、嘘だったのか!?」
「……落ち着け。まず、悪いニュースがある」
俺は空になった缶をゴミ箱に放り込んだ。
乾いた音が響く。
「いいか、レオ。お前の求める『オタクに優しいギャル』はな……この現代日本において、ツチノコやニホンオオカミと同レベルの絶滅危惧種。あるいは、最初から存在しないファンタジーなんだ」
「なっ……なんだって……!?」
「ギャルっていうのはな、本来、自分たちのカーストと美学に自足して生きる連中だ。無骨で根暗なオタクの領域にわざわざ踏み込む義理がない。お前が夢見ているのは、UMAの目撃情報をもとにサファリパークへ行くようなもんだ。見つかるわけがない」
レオの顔から、さらに血の気が引いていく。
その姿が、かつて俺が担当していた「売れなかったアイドル」たちと重なった。
理想を抱き、現実に押しつぶされ、最後には舞台を去っていく者たち。
俺は、元・芸能マネージャーだ。
才能のない原石を磨き、偽物の輝きを本物に見せかけるのが仕事だった。
だが、ある事件で業界を追放され、今はこうして秋葉原の片隅で日銭を稼ぐ「何でも屋」に身を落としている。
「……ああ、神よ……日本は、夢の国ではなかったのか……」
「絶望するのは早い。よいニュースが残ってる」
「何?」
「お前が俺に出会ったことだ。レオ、お前には金があるか?」
俺の問いに、レオは力なく頷いた。
彼は有名時計メーカーの御曹司であり、今回の来日費用も、それこそ個人で映画の一本も撮れるほど持ち込んでいるらしい。
「金があるなら、話は別だ。この世界に『本物』がいないなら、俺が作ってやる」
「……作る? どうやって……?」
「『プロデュース』だよ、つまり俺の本業だ。レオ。お前の理想、お前の幻想、お前の夢見る『オタクに優しいギャル』。それを演じるキャストを用意し、最高の設定とシナリオを与え、お前の目の前で具現化してやる。ビジネスとしてな」
レオの瞳に、小さな火が灯った。
それは、希望という名の危うい火種だった。
「それは……『本物』なのかい?」
「この世の『本物』なんて、結局は『信じる力が生んだ偽物』の別名だ。俺が提供するのは、お前が一生騙され続けたいと願うほどの、至高のフィクションだ。どうする? このまま雨に打たれて帰国するか、俺の『夢』に投資するか」
レオは立ち上がった。
濡れた髪をかき上げ、俺の手を力強く握る。
「……信じるよ。いくらでも払う! 僕に、本当の夢を見せてくれ!」
「商談成立だ。まずはその汚い顔を洗ってこい。最高の『素材』をスカウトしに行くぞ」
俺はレオを近くのネカフェに放り込むと、一通のメッセージを送った。
相手は、以前仕事のコネで作った「人材リスト」の中でも、最も扱いづらく、しかし最も「プロ意識」だけは異常に高い女だ。
三十分後。
俺は秋葉原の喧騒から少し離れた、雑居ビルの地下にある喫茶店にいた。
紫煙の漂う店内の奥。
派手なピンクのネイルでスマホを叩き、けだるそうに足を組む女が一人。
金髪のツートーンカラー、露出の多いクロップドトップス。耳には数え切れないほどのピアス。
「……おっそ。ハルキ、アタシの時給高いの知ってんでしょ?」
彼女が顔を上げる。
アカリ。本職はただのフリーターだが、そのルックスと「場を支配する空気」は、並のアイドルを凌駕する。
そして何より、彼女は今、深刻な金欠に陥っていた。
「悪いな、アカリ。単刀直入に言う。お前に、新しい役を与えたい」
「役? また地下アイドルの代役とか? もうダンスの練習とかダルいんだけど」
「いや、歌もダンスもいらない。ただ、『オタクに優しく』してくれればいい」
アカリは、心底ゴミを見るような目で俺を見た。
「……は? アンタ、ついに頭イカれた? アタシにオタクと仲良くしろとか、無理に決まってんでしょ。生理的に……って言いたいとこだけど、それ以上に『会話の共通言語』がないわ」
「そこは俺がすべて教え込む。お前はただ、俺の書いた台本通りに動き、最高に可愛い『理想のギャル』を演じればいい。ターゲットは海外の富豪だ」
俺はテーブルに、レオから預かった「手付金」の束を置いた。
アカリの目が、一瞬だけ鋭く光る。
「……これ、本物?」
「ああ。これでも、おまえの抱えてる借金の利子くらいは返せるだろう」
アカリは札束を指で弾き、それからフッと鼻で笑った。
彼女のプロ意識が、金というガソリンを注がれて燃え上がった音がした。
「いいよ。どうせヒマだし。……で、どんなオタク? デブでメガネで、チェックのシャツ着て『デュフフ』って笑うやつ?」
「いや、見た目は王子様だ。中身は……重度のラブコメ難民だがな」
「王子様、ねえ……。ま、アタシにかかれば、どんな男もイチコロだけど」
アカリは席を立ち、鏡を見てリップを塗り直した。
その瞬間、彼女の纏う雰囲気が変わった。
さっきまでの「不機嫌なフリーター」から、獲物を狙う「ハンター」へ。
「さて、プロデューサーさん。アタシは何をすればいい? その王子様に、どんな『嘘』を吐いてやればいいわけ?」
「嘘じゃない。『サービス』だ。……まずは、基本から叩き込む。アカリ、お前は今日からアニメを千本見ろ。俺のタブレットを使え。それと、オタクが最も喜ぶ『魔法の言葉』を覚えろ」
「魔法の言葉? 愛してるとか?」
「違う」
俺はアカリの目を真っ直ぐに見つめ、一言。
「『マジ? そのアニメ、ウチも超好きなんだけど!』……これだ」
アカリが呆れたように肩をすくめる。
狂ったビジネスの幕が上がった。
雨上がりの秋葉原。
虹はかかっていないが、代わりに人工的なネオンが街を照らし始めていた。
これが、俺たちのプロデュースする「偽物の楽園」の始まりだった。
レオが待つネカフェに戻る道すがら、俺はスマホに保存されたスケジュール表を更新する。
『プロジェクト:オタ優ギャル。第1フェーズ、接触開始』
だが、この時の俺はまだ知らなかった。
完璧にコントロールしているはずの「嘘」が、いつしか自分たちの心までをも侵食していくことを。
そして、アカリという素材が、俺の想像を遥かに超えて「完璧」になりすぎてしまうことを。
「ハルキ、これだけは言っとくけど」
隣を歩くアカリが、唐突に口を開いた。
「アタシ、仕事で手は抜かない主義だけどさ。もしその王子様が本気になっちゃったら、どう責任取ってくれるの?」
「その時は、追加料金を請求するだけだ」
「……ふーん。冷たいね。ま、アンタらしいけど」
アカリは不敵な笑みを浮かべ、まだ見ぬ獲物が待つ場所へと歩を進める。
その足取りは、誰よりも優雅で、そして残酷なほどに軽やかだった。
――レオ。お前の夢は、これから最悪の形で叶うことになるぞ。
俺は心の中で毒づきながら、傘を閉じた。
空はまだ暗かったが、俺の目には、これから搾り取る莫大な利益と、崩壊していく誰かの「理想」が、鮮やかなスライドショーのように映し出されていた。




