魔法を使うそれは、君のほう。
「近づいてきたのは、君のほう。―過保護すぎる幼馴染は溺愛中―」シリーズ第26弾です。(短編シリーズ)
王都防衛騎士団所属のノインと、村娘オルガ。
二人の人生に寄り添う形で進んでいく恋の物語を描いています。
※本編の時間軸は「満ちていないのは、君のほう。」の後の話です。
好きですよ、と言う。
大切にしてくれる。
優しい眼差し。穏やかな声。
全身で言ってくれる。
大丈夫ですよ、って。
でも。
(私たちは夫婦じゃない)
焦っている自覚が、オルガにはある。
どうせあと半年ほど我慢すればいい。
(そうだよ。ノインは私をお嫁さんにしたいって言ってくれるもん)
でも。
後ろ指を差されてはいないが、周囲の中で浮いていた自覚はある。
十九歳になっても嫁入りの話がない。
でもそれは、ノインが先に自分を選んでいたから。
君が好きですよ、と言ってくれる。
お嫁さんになって、と乞うてくれる。
だけど。
感情の整理がつかなくなっている。
気絶しなくなった。これで、大丈夫だと思った。
いつ婚姻誓約書を出しに行きましょうか? 証人を誰に頼みましょうか?
そんな話題が一切出てこない。
(そこまでじゃないのかな……?)
私の「好き」が足りないから?
ノインはこんなに焦ってない。
一歩一歩、一緒に進もうとしてくれる。
贅沢な考えをしていると、辛くなった。
(よくない)
自分のこういうところは、よくない。
でも。けれど。
(待てばいいんだよ。だってノインは五年も待ってくれたんだし、もっと待とうとしてくれてたし。私が)
私が悪いだけ。
(ちがう。そうじゃなくて、でも)
気絶しなくなったのに。
これ以上、どうすればいいのかわからない。
いつからこんなに、欲深くなったんだろう?
なんで私はすぐに不安になるんだろう。
涙がこみ上げる。
(ノインは、大丈夫だって……言ってくれてるのに。私、なにもできない……)
戦えるわけでも、剣を使えるわけでもない。
毎朝起きて、竈に火を入れて、水汲みや家事をして、ただ、待ってるだけ。
それが悪いわけじゃない。
わかってる。
戻ってきても、誰もいない家はとてもさびしい。
だから、私がここに居るのは、間違ってない。
(でも、居るだけ)
贅沢だ。
居場所があるだけでも十分なのに。
確実な何かが欲しい。
雨が。
(雨が)
私の気持ちをふさぐ。
同じ寝台で眠れば、もっと満たされると思っていたのに。
もう今月も終わる。
夏が……近づいてきている。
雨の終わりが、近づいている。
胸に宿る焦燥を、もう、誤魔化せなくなっている。
「触って欲しい」
最後まで……してほしい。
***
「なにしてるんですか」
硬い声に、オルガは呼吸を整えようとするが、うまくできない。
思わず少し後退し、身をすくめた。
「な、なにも」
視線が泳ぐ。
「なにもしてないよ?」
視線を合わせると、目を見開いているノインが見えた。帰ったばかりの彼が、外套を脱いだ姿のままで停止している。
見抜かれるような感覚がして、また視線を逸らした。
「なにかありましたか?」
「なにも」
なにもない。そう、なにもない。
(勝手に不安になって、勝手に……)
深呼吸をして、切り替えればいい。
ごめんね、と言って。
(はやく)
意味のない不安だ。
「なにかあったんですね」
なんで。
(すぐわかるの……? 言ってもいいの? 迷惑にならない?)
くるしい。
自分でなんとかするべきなのに。
こんなことすら、解決できない。
(めんどくさいって思われたくない……)
なにを言っても大丈夫って、わかってるのに、こんなに。
(こわい……拒否されたら、私……次も頑張れる自信がない)
しないってわかってるのに。どうして。
感情がうまくおさまらなくて、涙が零れた。
誰かを好きになることが、こんなものなんて、絶対にちがう。
じゃあノインの持ってる好きは、どんなものだろう?
ぜったいに、自分とちがう。
(前の『好き』に戻りたい……)
息苦しい気持ちにならなくて済む。
戸惑って泣くこともない。
「っ、ぅ」
こうやって、相手を困らせる感情なんて、ないほうがいい。
(大丈夫……。言って、ダメだったら…………あきらめよう)
笑って誤魔化せる。
大丈夫。
整わない呼吸をなんとかしようともがくけど、できない。
(できることは少ない。私が、私がノインに差し出せるものも、これくらいしかない)
「…………」
拳を握って、力を込める。
あとで笑い話にでもなればそれでいい。
きっとそうなる。
自分の悩みは小さくて、こんなことくらいって思われるものでも。
ふーっと息を吐いてから服に手をかけて脱ぎ始める。
どうせ結婚する。順番が変わっても、夫婦になる。
嫌だって言われるはずがない。
大丈夫。
(実際の娼婦を見たことはないけど)
貧相な体だと、怯えそうになった。
練習の時とは違って、恐怖でおかしくなりそうだ。
肌着一枚になってから、オルガは改めて頼りない格好だと思った。
自分の体にも自信を持てない。自信の持てるものなんて、やはりないのだと思い知る。
小さく喉を鳴らしてから、口を開いた。
「あまり魅力的じゃないし、こ、こんな体だけど」
だめだ。
声が震える。
「私があげられるの、これくらいしかなく、て……」
大丈夫。
ずっと床を見てる。
だって、顔をあげられない。
「ど、どうやって、女の人って、男の人を誘うのかわからないから、みっともないかもしれないけど……ど、どうかな」
こわい。
でも、ちゃんと夜の練習してるし、ノインは見慣れてるし。
(もっと、綺麗なら良かったのに)
それだけじゃない。
求められる体つきならいいのに。
「さ、最後まで、したくならない……かな」
こんなことを言い出すなんて。
ぎゅう、と肌着を握りしめた。残ったほうの手で、思わず顔を隠すような動きをしてしまう。
すぐに答えが返ってくると思ったのに。
(……なんで何も言わないの?)
怖くて見れないのに。
呆れた? 失望した? こんなことまでして、欲しがってることに、やっぱり、奥さんにしたくなくなった?
やっと落ち着いてきた涙がまた、零れた。反動で唇が震えて、息が乱れる。
(私なんて、欲しくないよね……)
だめだった。
強烈な羞恥と後悔に、そこから動けなくなる。
(あげられるものなんて、もうないのに)
「ごめんね」
なかったことにしよう。
大丈夫。どうせ結婚する。どうせ夫婦になる。
なかったことにすれば、それで。
欲を出しちゃ、だめだった。
「こ、こんな貧相だし、魅力もないし、私がダメなのわかってる。
わかってる。ご、ごめん、べつに泣くつもりじゃなかったんだよ? ほ、ほら、こ、こんなことしたことないし」
視界が滲んでる……。
くるしい。つらい。すきなひとから、すきを返されないのが。
もっと、って欲しくなった私が。
(悪い……)
どうしよう。
かなしい、すごく。
小さく嗚咽が漏れる。
頑張って止めようとするけど、できない。
(これ以上、めんどくさいって思われたくない……きらわれたくない……)
我慢すればするほど、息が乱れて、うまくできない。
「ち、ちがう、な、泣く、つもりなくて、ほん、と、に。ははっ、わ、忘れてくれ、る?」
なにか言って欲しいのに。
いっそ泣き喚いて、すがりつければ、こっちを向いてくれるかな?
(ノインは優しいから、そうすれば……でも)
やさしいのに、応えてくれなかった。
いま、まさに。
(欲張りになっても、いいことなんて、ないもんね)
身の丈に合ったものしか求めちゃいけないんだよ、やっぱり。
優しくて、頼りになって、なんでも大丈夫って言ってくれて、私をお嫁さんにしてくれるって言ってくれるだけでも、私には、十分すぎるよ。
そこで満足しないから。
(こんなに泣いたの、初めてかも)
ひとをすきになったのも、初めてだけど。
手の甲で拭うのも限界で、肌着を持ち上げて顔を覆う。
少しだけ呼吸が整って、勇気を振り絞って視線を上げる。
わらって、謝れば。
「…………」
え?
視線を横に流しているノインが、静かに泣いていた。
(な、んで……泣いてるの……?)
頬と顎を伝って落ちるそれを見て、オルガは困惑した。
「ノ、イ……」
瞬きのたびに、涙が流れていく。
「…………きみ、は」
掠れた声に、オルガは目を見開き、恐怖で固まる。
決定的な言葉を聞きたくなくて、体に力が入った。
「…………俺が、欲しいものを、ずっと持ってる……」
小さなそれは、消えるような儚さがあった。
もうない。
(出せるもの、もうない……)
どうしよう。
(ノインが泣いてる……)
「ごめ、ん……、私……」
また呼吸が苦しくなって、涙が落ちる。
「も、もう、な、ない……私、なにも、ない……! ごめん、……っ、私っ、わたっ、…………ノインが欲しくて、でも、あげられるもの、ないから……!」
ぜったいに欲しいって、思っちゃって……!
喉が引きつって、うまく言葉が紡げない。
「ほかの、いらな……っ、けど、どう、し、ても、ノインだ、だけは、欲しい、って……っ」
目を見開いたノインが、距離を詰めた。
こわい。
なにもあげられない。
抱きしめられて、驚く。
「……? な」
なに?
「っ」
唇を塞がれた。
「!?」
瞬きを数回繰り返して、離れようとしたら、さらに力を込めて抱きしめられる。
「魔法の言葉」
「…………え?」
「やっと、俺が欲しいものをくれましたね」
耳元で小さく笑う声が聞こえた。
(なに……? えっ?)
なにもあげてない。
頬を優しく撫でて、はぁ、と息が吐かれる。
「あげます」
「…………?」
「いくらでも。俺の全部、あげます」
「……えっ、ぁ」
少しだけ体を離して、ノインが微笑んだ。
でも。
その瞳の奥にあるものが、今までと違う。
隠していたものが、いま。
逃げそうになる腰に手を回されてしまう。
(あ)
「……もう、逃げ道を作らなくていいって、思ってもいいんですよね」
だって。
「欲しがったのは、君のほうですから」
でも。
「俺はもっと、君が欲しい……!」
テーブルに、押し倒される。
目が、合う。
「好き……」
指先が、震えてる。
「かわいい」
微笑んでくる。
「俺を誘惑しようとするなんて……」
あ。
「おかしくなりそうでした」
「そ、」
「すみません。ちょっともう、耐えられそうにないです。寝室までなんとかもたせますけど……もう許可をとらなくてもいいってことですよね」
「っ、え、あ」
「やっと……」
掠れた、声。
ちかい。
「……俺も、君のものにしてください」
泣き笑いの表情になった。
すごい、しゃべる。
「待ってました……ずっと…………」
「………………」
オルガは瞬きをしてから、顔を真っ赤に染める。
「……が、がまん、してる?」
「……バレましたか。お喋りで引き延ばすのもそろそろ限界なんです」
…………やっぱり。
「だって……練習の時も、『好き』しか言わなくなる……し」
「…………まぁ、余裕なんてなくなりますからね」
「ま、まだ、なにか足りない……?」
「……かわいい」
ええっ!?
「俺で君を満たしたい……! ……好き、大好きです。好き……」
あっ。
「君をください、俺に。……欲しがって……俺を、選んで?」
もう一度。
(勢いで言ったの、わかってる……)
魔法の言葉を、もう一度。
「ほ、欲しい!」
声に力を入れ。両手を彼に伸ばした。
「ノインを、私にちょうだい!」
「……………………――――はい」
***
「思ってたほど痛くない」
真剣に言ったら、ノインが咳き込んだ。
何度か咳払いしてる。
「ノインはなんか疲れてるね」
「……俺は精神が疲弊したので。君は元気ですね」
「眠いよ?」
「そうではなくて」
「擦れた感じ? まだヒリヒリするけど平気だよ」
「ンンっ、そ、そうですか」
また咳払いしてる。
「ノインがたくさん頑張ってくれたからだね、ありがとう!」
「ごほっ」
「だ、大丈夫!? 喉に詰まらせてない?」
やっぱり朝ごはん、無理だったのかな。
背中を摩ると、近づくなとばかりに手で制される。
「近いです」
「…………近くにいたらダメ?」
「ンンンっ、ちょ、ちょっと待ってください」
顔逸らしちゃった……。
(私だけ元気なんだもん……)
おなかすくし……。
寝るまで時間かかって、ノインがすごい困ってたけど。
(でもまあ、ノインが朝ごはん作ってくれたしなあ)
焼きたてのパンだけじゃない。具だくさんのスープに、半熟卵。そして。
(果物に蜂蜜が少しかかってる……! 全部おいしい……!)
いつまであっち見てるのかな……。こっち見て欲しい。
「ねえノイン」
「……はい」
「ノインはどうだった?」
「げほっ」
「私、ずっと眠れなくてノインにくっついてたけど、感想聞いてなかったなって思って」
「…………なにを真剣な顔で」
「ん?」
なんか言った?
「なんでもないです」
「なんでもない? えっと……そ、その、やっぱりダメだった?」
「ち、違います」
「!」
「な、なんで瞳を輝かせるんですか……」
「嬉しいなって思って! で、どうだった?」
「………………どうして、そんなことを聞くんですか」
「ノインだって私に聞くでしょ?」
「う」
「知りたい! どうだった!?」
言い淀んでから、視線を逸らして顔を真っ赤にした。
「き、気持ちよかったですよ……」
「…………」
「なんでそんなに見てくるんですか……」
「ノインって、嘘つかないね」
「? つきませんよ、君には」
「私には?」
「はい。喋るのも得意ではないですけど、君と話すの好きですし」
得意じゃない?
「よ、よく喋るけど、ちがうの?」
「はい。君以外と話すの、苦手ですから」
うそでしょ?
あ、でも、ノインは確かに余計なお喋り、全然しないな。
「君以外は、全員うるさくて嫌いです」
「……………………」
……いい笑顔だなあ。
「ねえ」
「はい?」
「次はいつするの? 明日?」
あ、固まっちゃった。
「……ノイン?」
「あのですね……三日は様子見です。炎症が起きてるので」
「薬塗ったのに?」
「万能薬ではないんです。君自身を、もっと大事にしてください」
はあ、と溜息をつかれる。
嬉しくてたまらないこの心は、自分でもよくわからない。
ただ。
(あなたはもう)
――私だけの、ひと。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
続きを読みたいと思っていただけたら、さらに嬉しいです。




