静寂は西にあり
ある日、街のビルとビルの間から巨大なウマヅラハギが姿を現した。
それはなんの前ぶれもなく、ただただビルの間からすーっと現れた。
人々は驚くより先に「なぜこんな所に巨大なウマヅラハギが」という疑問のほうが先に頭によぎったらしく、まず、頭に?をつけたまま一瞬かたまってしまった。(もちろん秒数にすれば数秒だとは思うが)
その巨大なウマヅラハギにはいわゆる魚特有の質感というものはなかった。
いうなれば紙のような、図鑑に載っているウマヅラハギをそのまま拡大コピーして切り取ったようなモノだった。
まばたきもきないし、ヌルヌルもしていない。
厚みもどちらかといえば薄かった。
それは特に何かを破壊したり傷つけたりという事もなかった。
体は確かに巨大なのだが、なぜか不思議とどこにもぶつかりはしなかった。
干渉していないと言ってもいいくらいだった。
それでも人々は、数秒の?から解放されると悲鳴をあげたり、走り出したり、まぁ絵に描いたように一応はパニックになった。
だから近くにいた警察官はやはり頭の上の?と戦いながらそれでも義務を果たすべく頑張って人々を誘導したり励ましたりした。
「大丈夫ですよ。」
「落ち着いて、行動してください。」
と言ったら具合だ。
もっともそれ以外の言葉が思いつかなかったのかもしれない。
なにせ、眼前にはビルほどの大きさのウマヅラハギ(厚みはないにせよ)が空中を漂っているのだ。
僕はその時、コンビニでツナマヨのおにぎりを買うべきか、フィッシュドックを買うべきか悩んでいた時だった。
外がなにやら騒がしく、それが今までには経験した事のない少し異常な雰囲気だったから僕はとりあえずツナマヨを手にして会計をし、外に出てみた。
もちろんそこには空に漂う巨大なウマヅラハギがいて、すでに頭の?から解放されて走ったり叫んだりする人々がいた。
僕は彼らより少し遅く頭の上に?をつけた。
そして彼らより遅く頭の上から?が去っていった。
もちろん何かしらの被害をこうむるのは嫌だったし、何よりあの巨大なウマヅラハギが自分に害をなさないという保証は1ミリもなかったのですぐにこの場から離れるのがよいと考えたわけなのだが。
歩道にあるベンチに女の姿が見えた。
この一応何かしらの異常である事態の最中に当たり前のようにベンチに座り本をひらいていた。
僕はとりあえず声をかけるのが適当な気がしたのでそうすることにした。
「やぁ、こんにちは。」
と僕は声をかけた。
すっ、と本を追う目が上にあがり僕をとらえる。
「なにか?」
と、愛想なく女が言う。
近づいて正面から見ると大学生くらい(つまりは19から21くらいに見えたといいたいわけだ)に見える。
黒髪で派手ではないが、一度目が合うと忘れられない顔立ちをしている。
「いや、ね、みんな大きなウマヅラハギが現れたものだから、逃げ出したようだけれども、キミは逃げないのかな?」
と僕は言った。
「そういうあなたも逃げずに私に話しかけているじゃない。」
と、彼女が言う。
もっともな意見だ。
「気になったものだから、キミが」
「どうしてそんなに落ち着いて本を読んでいられるのかがさ。そして、何を読んでいるのかがさ。」
あの常識を覆す巨大なウマヅラハギをしのぐ本だ。
気になるのも当然の疑問だ。
「ウマヅラハギは東に行くもの。逃げなくたって平気よ。」
「どうしてそんなことがわかるのかな?」
どうしてだろう?
「だって、みてごらんなさいよ、頭が東の方向に向いているわ。あの大きさとペラペラ具合では方向転換はむりね。あのまま東にむかっていくだけよ。」
なるほど。
「だからキミは落ち着いていられるんだね。ちなみに読んでいる本も教えてくれるかな。差し支えなければと言う事だけれども。」
スッと彼女は本の表紙を僕にむけた。
1Q84というタイトルだった。
「よほど面白い本なのかな。」
と僕はたずねてみた。
「3部作なのよ。やっと2部目の半分くらいまできたの。厚いのよ、一冊、一冊が。」
と彼女はいった。
僕はその本を3部作全て読んでいたが、その事は今言わない方がいいような気がしたのでやめた。
「読書の最中にすまなかったね、その、話しかけたりして」
「いいわよ、どうせこんな騒がしいんじゃ本なんて読めやしない。」
そういって彼女は本をカバンにしまってしまった。
「西の方に歩いて静かな場所を探すわ。」
そう言って彼女は歩き出そうとした。
「僕も西に向かってもかまわないかな?」
僕はたずねてみた。
「どうぞ、ご自由にべつに道は誰のものでもないものね。」
「ありがとう。」
そして僕らは西へ歩き始めた。




