8話 はじめての畏怖
「この平和は、彼女の助力があってこそ迎えられた。そんな勇気ある姫を皇后に迎えることは、我がアニス帝国に必ずや繁栄をもたらせてくれるだろう!」
そんな仰々しい紹介のみならず、彼は私の腰に手を回してくる。
皇帝の私に対するパフォーマンスは完璧だね。
だからこそ、私は思わずつぶやいていた。
「昔、なんかの本で読んだ気がする」
「ほう、何を読んだんだ?」
「タイトルは覚えてないけど……あとで二人になってからこう言われるんだよね。『きみを愛することはない』って」
皇帝エーデルガルドがくすりと笑う。
その顔は、思っていた以上にかわいらしかった。
「意外と少女趣味があるのだな」
「私をお姫様らしく育てようとしていた人たちも、少なからずいたからね」
「安心するといい。わたしはそなたを大切にすると誓おう」
すると、彼はその場で片膝をついて。
私の手をとり、そっと唇を落としてくる。
それに驚いたのは、私よりも他の参加客のほう。
いつの間にか、わたしの薬指のまわりに魔法の光がキラキラと輝いていた。
それは、まるで婚約指輪のように。
さらに、キラキラとした七色の光の粒子が広がっていく。
会場中で、数えきれないほどの光の花が咲き乱れ、そのまわりで虹色の蝶が舞う。
――パチンッ。
そして皇帝が指を鳴らせば、シャンデリアの明かりが落とされた。
同時に、参加客からは感嘆の声が上がる。周囲が暗くなったことにより、皇帝の生み出した幻影がより鮮明な光の庭園として目に飛び込んできたからだ。
こんな幻想的な光景を、今まで見たことがない。
私のただ小規模な爆発を起こすだけの魔法とは次元が違う。これほどのイメージを、彼はこんな飄々と生み出してしまった。しかも触れてもまったく熱くも冷たくもない安全な光を、広い会場中に散りばめ、今もひとつひとつ別の挙動をさせている。
これほどの魔力とコントロールを二十歳にもならない者が、どうやって身に着けたのか。
しかも、彼は一言も呪文を口にしていない。
私も血から剣を作ることだけは無詠唱で可能だが、爆発させるときには《キーワード》が必要なのに。
彼が皇帝になった一番の理由は、その圧倒的な魔法の才能だという話は聞いていた。
まさしく彼のような者を『天才』と呼ぶのだろう。
皇帝エーデルガルドの美しき魔法に、私は固唾を呑む。
どうして私は、このような相手に簡単に勝てると自惚れていたのだろう。
自分との格差に圧倒されながらも、出てくる言葉はひとつだけ。
「きれい……」
「そなたの伴侶として、わたしはお眼鏡にかなったかな?」
皇帝エーデルガルドが戦場に出てきたことは、一度だけだった。
しかも出てくるという噂を聞いて、私がすぐに父上の首を持って行ったから……結果的に、彼は戦場に出ただけで、長きに渡る戦争を終わらせた英雄となったのだ。
しかし、想像してしまう。
もしも、この魔力量と技術力が、戦争に使われていたら。
きっと戦況は私が国王に手を下すまでもなく、同じ結果をもたらしていたかもしれない。
「はは……ちょっとカッコいいなと思ったよ」
「それは僥倖だ」
私が乾いた笑みを浮かべると、皇帝はとろけるような笑みを返してくる。
果たして、私は真っ向から彼と戦って、生き残ることができるのだろうか。
これほどまでの畏怖を抱いたのは、人生初めてだった。