40話 無邪気なこども
「前から……陛下の様子がおかしかったんだ……!」
ドアを開けるまでもなく、そいつの嘆く声が通路まで響いていた。
まわりに誰もいないことを確認してから、細く扉を開ける。
ベッドの上で、未だ包帯を巻いている男ヨハン=フォン=マイヤーが己の腿を叩いていた。「僕が、もっとしっかりと支えてあげられていれば……」
「お気を確かに! 今、宰相まで潰れてしまえば、我が国を率いていける者はおりませぬ!」
メガネを外して涙を流すヨハンを支えるチビの黒ひげは……誰だろうか。パーティーのときに挨拶された気はするから、アニス帝国の主要人物なのだろうが……そんな黒ひげに、ヨハンはうつむきながら訊いていた。
「……ノア姫はどうした?」
「部屋でずっと泣いていると……『捨てられた』などという言葉が聞こえてきたとのことですから、別れ話でもされたのかと……」
「……姫にも、可哀想なことになったな……早急に祖国へ帰る手筈を整えてやらねば……」
どうやら、ポチはなかなかの演技を披露してくれているようである。有能有能。でもやっぱり普通の言葉を喋っているじゃん……という事実は、あえて考えないでおくけれど。
ヨハンが目を拭ってから、メガネをかけ直す。
「だがひとまず、臣下を安心させなければ……皆を集めよ。僕が説明する!」
「はっ!」
おっと、黒ひげが出てきてしまう。私はしれっとこの場から離れる。
しかし……想像通りだね。
皇帝が不在となれば、誰が一番『得』をするだろうか。
なかなか有能な側役かと思ってたら、ここぞというときに裏切るタイプの男だったらしい。……私が一番きらいなタイプの人だ。
「このままあとを追って尻尾を掴むのが確実か……」
突如、何者かに服の裾を掴まれる。
視線を下げると、そこには「にぱっ」と笑う三歳児が私を見上げていた。
「おねーたん、あそぼ!」
「ニーチェ皇子!?」
私は慌てて周囲を見渡した。
彼についている兵士や付き人は見当たらない。というか、城内がこんな不安定な状態で、先日誘拐されそうになったばかりの皇子……部屋から出さないのが普通じゃないか?
……まあ、隙を見て、ひとりで出てきたのだろうなぁ。
しかし、今の私は一介のメイドである。
断じて、先日皇帝より皇子の世話を頼まれた姫様ではない。
「ご、ごめんなさい……私、これからお仕事が……」
「どうして? おねーたんの仕事は、ぼくとあそぶことじゃないの?」
……もしや、普通にバレてます?
だとしても、ここで認めては変装している意味がない。
「だれかと勘違いをしているんじゃ……」
「また近くの人にたのんで、書庫をあけてもらう? それともかくれんぼ? ぼくも二階からびゅ~んっと飛び降りてみたい! ぼくを助けるためにびゅ~んしたってきいたよ!」
「ああ……バレてらぁ……」
私は顔を手で覆いながら、色々と考える。
私に離縁状なんて置いて消えたエーデルガルド皇帝の行方――屯所の話から、誰かが城外に出た様子がないなら、城の中にいることになる――果たして、彼女はどこに消えたのか。
そういえば、この城には過去にもうひとつ行方不明の事件が起きていたね。
それを教えてくれたのは、誰だったっけ?
「ねぇ、皇子。きみって何者なのかな?」
「ぼく? ぼくはニーチェ=フォン=アニスっていうんだよ!」
無邪気なニコニコ笑みに、私は肩をすくめた。
まぁ、この皇子が誰であろうと、寄越してくる情報から伝わることがある。
「きみ、私のことけっこう好きでしょ?」
「かなりすき!」
「私のこと、信用してくれているんだよね?」
「もちろんだよ!」
「私に皇帝を救えって?」
「なんのこと?」
こてんと首を傾げる様は三歳児だが、その瞳が告げていた。
追求しないほうがいいよ、と。
「まあ、今はヨシとしてあげようじゃないか」
私が皇子の頭をうりうりと撫でる。
そして、私は今日も皇帝に命じられた公務を全うするのだ。
「それじゃあ、またかくれんぼしよっか?」
「ほんとう!?」
そんな皇子の無邪気な笑みに、私も口角をあげる。
「だけどその前に、もう一度教えてもらいたいことがあってね?」




