2話 男装皇帝の苦悩②
「……バレないように頑張るんだよ」
「皇帝陛下が何を情けないことおっしゃるので?」
ヨハンは心底呆れたような声を返してくるけれど。
いや、本当に、そのときはそのときというか。
そもそも、条約に婚姻を取り入れた段階で、ヨハンから強い反対を受けていた。
――女同士でどうやってお世継ぎをつくるおつもりですか!?
彼の言う通り、皇帝に課せられた一番の仕事は子どもを作ることである。次期皇帝というやつだ。
わたしとしては、ゆくゆくはこのあいだ三歳になった甥っ子に帝位を譲るつもりだった。
それでも終戦に導いた英雄の血筋を求める声は、嫌でも耳に入ってくる。わたしも何十枚の見合い調書を読まされたことだろう。もちろん女性の調書である。当然だ。わたしは男として皇帝をしているのだから。
だったら外から呼んだ女性と結婚したって同じことじゃないか!
むしろ他国の人間のほうが、いろいろ誤魔化しやすい気がする。そういうことにしておいてほしい。むしろさせてください。
「大丈夫。内外ともにバレないための作戦は、たくさん用意してある」
「僕はとても不安です」
「いまさらだよ」
だって、わたしは全世界を騙しているのだ。
いまさら騙す対象がひとり増えたところで、なんだというのだ。
そのときだった。
――ガタンッ!
馬車が大きく揺れる。
慌てて外に目を向ければ、護衛の兵士が血しぶきを上げて馬からずり落ちていく。
細身の黒い服装からして、暗殺者集団というやつだ。
その数は、ざっと十人足らず。護衛の兵士のほうが多いものの、奇襲ということもあり、明らかに劣勢。そういや今回の護衛は、見覚えのない顔が多かったな。新人を多く回されたか。
「やっぱりわたし、嫌われてるなぁ」
口角を上げながらのため息にも、慣れてしまった。
生まれたときから、わたしは妾腹の望まれぬ子。踊り子だった母も、行方不明になるまで王宮の隅の部屋で泣いていた。庶民の妾ということで、王宮での暮らしは大変だったようだ。子どもなんて孕まなければよかったと、いつもベッドの上で目を腫らしていた。
だからきっと、わたしを置いて逃げたに違いない。
生きてさえいてくれればいい。そうすれば、いつかまた会えるかもしれない。
わたしが皇帝として、世界に認められれば……。
そうしたら、母も皆に認められるはずだ。きっといい生活をさせてあげられる。
そうしたら、母はわたしを『がんばったね』と褒めてくれるだろうか。
頭を撫でてくれるだろうか。わたしに笑いかけてくれるだろうか。
――だから、わたしは生きなければ。
流されるまま、気が付けば多すぎるものを背負っていた。
だけど、そんなのは詭弁だ。生きたいと願うことに、理由なんていらない。
わたしは魔力を編む。それはまるで、唯一母に教わった編み物がごとく、楽しい作業。
魔法とは、己が血に秘めし魔力で糸を紡ぎ、形成するようなものだ。
母が死んでからも、わたしは母の面影を追い求めるがごとく、魔法の研究に没頭した。
魔法を武器とする戦士……魔法士としてわたしの右に出る者がいなくなった結果――今、わたしが皇帝として君臨している。
そんなわたしを、十数人の暗殺者で仕留めようだなんて、いったい誰の考えたお遊びだろう。
「陛下、全滅させませんように。あとで僕が拷問します」
「わかっている」
戦争が終わってからも、命を狙われる機会は絶えない。
皇帝なんてなっても、ろくなものではなかった。それなのに、隙あれば玉座から下ろそうとする輩は後を絶たない。面倒を引き受けているのだから、感謝されたいくらいなのに。
それでも、こうして襲われるということは、わたしを殺したい人がいるということ。
その当人が、わざわざ直接赴いてくれるとは考えづらいからね。首謀者が誰なのか、誰がわたしの敵なのか、しっかり把握するのもまた皇帝の仕事だ。
というわけで、わたしは準備を終えてヨハンに頷けば、彼が「行きますよ!」と扉を開けてくれる。わたしが即座に飛び出して、手近の刺客に雷撃の魔法を放とうとしたときだ。
わたしの目の前で、暗殺者の首がズレ落ちた。
その直後に噴き上がる真っ赤な飛沫。
まばたきする間に次々と上がる赤い噴水は、思わずきれいと思ってしまうほど。
しかし、周囲に充満する鉄の臭いと、恐れおののく兵士らの声は、紛れもなく現実で。
黒い死体が転がる戦場で、誰もがひとりの少女に目を向けていた。
年齢は自分と大して変わらないだろう。女も子どもも、少し前までは戦場に駆り出されるのが当然の時代だった。だから凄惨な光景の中に十代の少女がいることに、さして驚きはない。
それでも、彼女はとても異質だった。
すらっとした体躯に、長いプラチナブロンドがとても映えていた。木漏れ日で柔らかく輝くさまは、幻想的なまでに美しい。それでも髪に返り血がついてしまったのか。両手に持っていた赤く揺らぐ特殊な魔法剣を虚空に消してから、渋い顔で気にしているようである。
彼女が着ているのは、カーキー色の軍服だった。だけどズボンではなくスカートなのは、せめてものオシャレゴコロなのだろうか。暗殺者複数人を一瞬で片付けた軍人が、とても気にすることではないと思うのに。
その殺戮者の誰よりも女の子らしい仕草に、わたしは思わず奥歯を噛み締めていて。
「エーデルガルド陛下」
「あぁ、すまない。わたしは大丈夫だ」
唖然とするわたしたちを心配して、あとから馬車を降りてきたヨハンがわたしの肩を叩く。
そんな会話のせいか、彼女の大きな薔薇色の瞳が、わたしを捉えた。
「あー、驚かせてごめんね。どーも、久しぶり」
その気安い声と姿に、覚えがあった。
忘れられるはずがない。
実の父親の首を土産に敵陣にやってきたときと、彼女は同じ笑みを向けてきたのだから。
「私はノア=シャルル。あんたの嫁になりにきた女だよ」