1話 男装皇帝の苦悩①
今日もサラシが胸を締め付ける。
それでも、わたしは常に背筋を伸ばすことを義務づけられていた。
右前のジャケット。長いブーツに、折り目がきちんとついたズボン。
自慢の金髪を切り落として、もう三年が経とうとしている。
皇帝エーデルガルト=フォン=アニス。十七歳。
三十年以上続いたシャニス大戦を終わらせた英雄が、実は男装した妾腹の姫だということを知る者は、この世に私ともう一人しかいない。
対面に座ったその一人が、柔らかい口調で尋ねてくる。
「エーデルガルト陛下。馬車の中くらい、お気をラクにされては?」
「それはできないよ。いつ兵士らが馬車の中をのぞき込んでくるかわからないからね」
「ですが、僕が心配でございます」
「ありがとう、ヨハン」
低い声を出すのも、もう慣れた。
だけど、礼儀正しく座るヨハンはそうでもないらしい。
ヨハンは現在、マイヤー公爵家の当主であり、宰相としてわたしの相談役も務めてもらっている。わたしが帝位に就いたときは、彼の父親が宰相として、右も左もわからないわたしを支えてくれた。というより、彼の父ともう一人が、わたしを玉座に座らせたと言っても過言ではない。そんな彼の父親も、そして長男も、戦争のいざこざの中で亡くなってしまっている。
わたしは話題を変えるべく訊いてみた。
「そういえば、見合いの件はどうなったの?」
「調査の結果、夜遊びがすぎる令嬢のようでしたので。書類の段階でお返ししましたよ」
「そんなこと言って……いつまで独身でいるつもりだ?」
「そりゃあ、僕もいい条件の女性がいれば、話は別ですが」
茶色の髪を短く切りそろえ、メガネの奥に切れ長の青い瞳を秘めたヨハン。
ヨハンももうじき、二十八歳になるはずだ。結婚適齢期として申し分なく、見目も派手さはないものの整っている。そんな長身痩躯の公爵に嫁ぎたい女性はごまんといるのだ。
しかし渦中の男は、わざとらしく泣いた。
「これでも一度、婚約者に逃げられた身ですから。いくら金と権力があろうと、良縁がなかなか……しくしく」
「ごめんって」
彼の嫌みに、わたしは視線を逸らすことしかできなかった。
だって、ヨハンの元婚約者は、わたし。
公爵家の次男坊と、妾腹の姫。
当時のわたしにとって最良の嫁ぎ先だった。父である前皇帝から、大切に思われていた証でもある。
だけど、父が流行病で崩御したとき、それは叶わぬ縁談となった。
わたしが、男として皇帝になったからだ。
女帝なんて前例がない中で、他の皇子らは全員戦死していた。唯一の男児は、生まれたばかりの赤子。物も話せぬ赤子に帝位を与えたところで、人形遊びにもほどがある。
そのため、当時の宰相ヨハンの父と近衛団長の計らいで、わたしが男児として帝位を継ぐことになったのだ。元から妾腹の姫として、存在が秘匿とされていたことが幸いした。王宮に出入りする一部の人々以外、わたしのことは知らなかったのだ。
「だけど、そもそもおまえに婚約者がいたことを知る者がいなかったのでは?」
「幼い頃から縁談はありましたからね。相手を匿名に伏せつつ、良縁が進んでいるということですべて断っておりましたので」
貴族の婚約はすこぶる早い。なので、わたしたちは幼馴染も同然だ。
そのせいか、ヨハンはわたしに対して容赦がない。
今も、芝居じみた厭味ったらしさでわたしを非難してくる。
「あぁ、しかも僕を捨てて、他人の物になるなんて~!」
「わたしが貰うほうだがな」
そう――エーデルガルド皇帝は、近々嫁を貰う。
シャニス大戦の敗戦国、シャルル王国の末姫だ。
それは終戦時の和平条約の一つとして、わたしが要求したことだった。
ノア=シャルル第三王女。
シャルル王国一の将でもあった末姫には、多くの異名がある。
『戦姫』『売国女』『父親殺し』『裏切り者のノア』。
そして、一番有名なのが『血花のノア』。
すべて、彼女が大戦に参戦したわずか六年間で出回った名前だ。
戦場で誰よりも血しぶきをあげる残虐な姫は、初めて戦場に出たわたしの元までやってきた。彼女の実の父である、シャルル国王の首を片手に。
『これで、戦争を終わらせてもらえないかな?』
血の雨が降る中で、誰よりも赤く染まった気高い姿を、わたしは生涯忘れることはないだろう。
外聞は敗戦国からの人質だが、その実は彼女を保護する意図で、わたしは彼女との婚姻を和平の条件に入れた。戦後の彼女の処遇を調査したところ、なんと彼女が反逆者として投獄されたという話を耳にしたからだ。
そんな彼女との結婚が、もうすぐ迫っている。
だけど、この結婚。いろいろと問題がある。
俗国となったシャルル王国からの自分の印象が悪いことだったり、このアニス帝国内でのノア王女に対する印象が悪すぎるものだったり……そんな問題が些末に思えるくらいに、大きな問題がある。
わたしは現実逃避すべく、外を眺めた。
アニス帝国の道は、長年の戦争ゆえに、未だ荒れ果てたままである場所も多い。この林の中も、未だ修繕が追い付いていなかった。そのため、馬車が走るたびにガタゴトとお尻が痛いこともあり、木の合間から見える我が城がとても恋しく感じる。
あぁ、愛しい我が宮よ。
帰ったら、少しくらい休憩する時間があるだろうか。たまにはゆっくりお風呂に入りたい。花びらを浮かべた湯の中で、最新の魔導書を読む――そんな妄想にふけたかったのに、ヨハンはやっぱり容赦がない。
「そもそも戦姫にあなたが女性だとバレたら、どうなさるんです?」
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