第9話 開き直る者 / 手記①
「おお、ようやく済んだか。随分かかったじゃないか。暇していたぞ」
両目を泣き腫らしたレベッカがBBに誘われるまま森の奥に進んでいくと、オルゴは既に拠点を作り終えていた。
山の斜面に開いた穴の真ん中に、こじんまりとした焚火が組まれ、その周りを串刺しにされた川魚が囲い、そしてベンチ替わりの平べったい岩が両サイドに設置されている。
オルゴはその岩の上に座し、半分ほど食べた魚の串焼きを右手に持って、レベッカを見上げていた。
「……なんだか、思ってたよりもこじんまりとした感じですね。てっきり豪邸みたいなの建ててると思いました。『高貴なる己が野宿などしていられるか』、とか言って」
レベッカは鼻を啜りつつ、岩の上に腰を乗せる。オルゴとは焚火を挟んで真正面の位置になる。
オルゴはBBを左腕に戻しつつ、レベッカの顔を一瞥すると、「ハッ」と満足げに嘲笑してから返事する。
「生憎だが吸血鬼の力は無限ではないのだ。豪邸なぞ拵えようものなら、たちまち体中の血液を使い果たしてしまおう――それではいけないのだ。我が旅路はここで終わりではないのだからな。節制せねばならんのだ」
「一本貰っても?」と魚を指差すレベッカ。
「一匹と言わず満足いくだけ食え。飢えて死なれる方が困る」
と聞くが早いか、レベッカ川魚を取り、串の両端をつまんでかぶりつく。
焦げかけの皮をパリッと砕くと、香ばしさが口全体に広がり、淡泊で引き締まった身を噛みしめていくと、ほのかに脂の甘みが染み出してくる。
塩すら振っていない、ただ火にかけた
だけの焼き魚だったが、この時のレベッカは夢中になってがっついていた。
「……なんだその、リスのごとく品の無い食い方は。もっと落ち着いて食えんのか」
「もがもがもが」
「口に物を溜めたまま喋るな」
レベッカはコクンと嚥下してから、口元を手で隠しつつ答える。
「久方ぶりの娑婆の飯ですよ? がっつくなって言われても無理な相談ですよ。デスタルータさんは吸血鬼だから平気かもしれないですけど……そういえば、」
魚の串をピンと縦向きにしつつ、レベッカは問う。
「魚で腹が膨れるんですか? デスタルータさんは。吸血鬼の主食は血のはずですけど、魚の血肉でも大丈夫なんですか?」
オルゴは頬杖をつきつつ、左手に持った魚の串を指先でクルクル回しながら、
「己にとっての魚は、嗜好品だな」
と答える。
「人だった頃の名残とでも言えようか――人間が感じる焼き魚の美味さとか、それに伴う幸福感を、己はまだ感じることが出来るらしい。栄養には全くならんがな――人間が酒やタバコを嗜むような感覚で、己は焼き魚を味わっている。そんなところだろう」
「へえ、そういう感じなんですね――で、今は血は足りてるんですか? 今なら誰かに見られることもないでしょうから、肉塊の禁術で血を増やして差し上げても構わないですよ。あむ」
と言い言い、またムグムグと焼き魚を頬張るレベッカ。肝の部分に差し掛かり、露骨に顔をしかめた。
「今のところは心配無用だ」
と返すオルゴ。
「地下牢獄でBBに兵士を襲わせた際、連中から死なない程度に吸血《徴収》してある。無駄遣いさえしなければ、当分飢えることはないだろう」
「もがもがもが」
「口に物を溜めたまま喋るな」
レベッカはコクンと嚥下してから、口元を手で隠しつつ尋ねる。
「そもそもBBってどういう生き物なんですか? 人型の吸血生物で……吸血鬼?」
「BBはBBだ。我が血肉より生み出されし吸血生物であり、それ以上でも以下でもない。伝承上のどこにも存在しない、己が必要だと思ったから発生した怪物だ。己に代わって血を吸い集める、愛しき徴税人よ」
「ふーん……つまり、中二病に特有の妄想の産物ってことですね。いや実際、それは大事ですよ、この世界において妄想力は逞しいほどいいんですから。でないと魔法なんてマトモに使えませんしね。二十歳を過ぎても心は少年のままでいないと」
「何を勘違いしとるのか知らんが、己は貴様と二歳ほどしか違わないぞ」
レベッカは仰け反り、両腕を大きく振り上げながら驚愕した。
「え!? デスタルータさんまだ14歳かそこらなんですか!? 若ッ!」
「逆だ逆。18になる歳だ。己は王立学園高等部支配科の3年に上がったばかりの時分に投獄されたのだ。おかげで己の学歴は高等部中退の扱いになってしまった。全く不名誉極まりないことだ」
レベッカは目を丸くし、大口を開けて動転した。
「え!? デスタルータさん私と同じ学校に通ってたんですか!? なんで今の今まで教えてくれなかったんですか!? ……っていうか高等部中退は私もじゃないですか。あーあまだまだ学びたかったなー。進学したばっかだったのにー」
そして勢いどこへやら消沈し、ちみちみと魚の肝を齧り始めた。
一方のオルゴは串に残った身を平らげ、
「……元気になったらなったで、えらくやかましいのだな貴様は」
と毒づく。
レベッカはムッとし、口元から串を離して反駁する。
「デスタルータさんのせいじゃないですか……歳があまり違わないこととか、同じ学校に通ってたこととか……ここぞとばかりにカミングアウトしてきて、それで驚くなっていう方が無理がありますよ。驚かせてるのは誰なんだって話じゃないですか」
「いや、そうではない。貴様がいちいち些細なことで驚きすぎなのだ――今すぐにとは言わんが、貴様は精神力を鍛えねばならんな。事あるごとに己の隣でギャアギャア騒がれては、己の品格にまで悪影響だ」
「へー? じゃあデスタルータさんはどんなことがあっても驚かないんですね? 試しに私のスリーサイズでも聞いてみますか? 自分でもけっこうビックリな数字なんですよ? 割と着やせするタイプなんですけど実は、」
「上から78-52-79のFカップだ。この己がこと服飾に関して半端な仕事をすると思うか? 貴様の体型など頭から爪先にかけて全て網羅しておるわ。左尻の下あたりにホクロが2つ縦に並んでいることさえもだ」
レベッカはみるみる赤面し、オルゴに際限なく罵倒を浴びせかけた。
以降、しばらく不毛なやり取りが繰り広げられる。最終的にレベッカはふて寝し、オルゴは腕を組みつつあぐらをかいて目を閉じた。
*
本日の出来事についてこの日記に書き留める。
僕の名はフィローネ・デスタルータ。高貴なるデスタルータ伯爵家の令息であり、悪しき吸血鬼オルゴ・デスタルータの弟である。
今日からは忙しくなる。本来ならこの日記を書く時間すら惜しいが、しかし僕はこれを書かないというわけにはいかない。
来るべき時に備え、これからの出来事は細大余さず記録しておかねばならないのだ。
今朝の出来事に遡る。
朝食を済ませて間もなくの時分、デスタルータの居城に、10数名ほどの兵士が訪れた。
王都から派兵されたというその者たちは、謁見の間で父君に、こう告げた。
「先日、あなたの息子であるオルゴ・デスタルータが脱獄したのだが、匿っていないだろうか」と。
実際はもっと迂遠的な言い方だったが、要約するとそうだった。
これを受け、華美絢爛をつくした椅子に座す父君は、頬杖を突いたままこう仰られた。
「牢獄を守っておったのは誰だ」
すると、髭の長い男が前に出て、「私がそうです」と名乗り出た。
父君は侮蔑の眼差しでその者を見下ろしてから、こう仰られた。
「息子は、何の変哲も仕掛けもない、ただの独房とただの足枷とで身柄を拘束されていた。相違ないか?」
兵士長を名乗るその髭の長い男は、首を縦に振って頷いた。
父君が合図すると、デスタルータの兵士がその者の首を刎ねた。
「よくもそのような杜撰な拘束で吸血鬼が捕らえられると思ったな……我が最愛の妻を殺したあの不埒者を、みすみす逃してくれおって」
父君は静かに怒りつつ、立ち上がり、騒ぎ立てる兵隊らにこう仰られた。
「王都の兵士は信用ならん。これからはこの、高貴なるデスタルータ伯爵が私兵を投入し、かの鬼畜外道を捕らえ、そして死よりも残酷な目に遭わせる。貴様らはそこに転がっている死体を引っ提げて疾く消え去るがよい。糞の役にも立たん蛆虫共が」
そして、王都の兵士らが出払った後、父君は「フィローネ」と僕を呼ばれた。
僕は物陰から姿を現し、父君の御前に跪いた。
「貴様もだ。忌み嫌うべき兄の行方を探り当て、我の前に差し出せ。さもなくば貴様の命もないぞ」
僕は承知の旨を伝え、これからに向けて準備し、そして今に至る。
まずは、兄と共に脱獄したという、レベッカ・レオナルディの家族を訪ねてみることにしよう。確か王都に店を構えていたはずだから、そこに行けばいいはずだ。
以上、本日の出来事である。
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