第8話 どいつもこいつも強がってばかり
「……ガッカリって、何がですか?」
レベッカはハットのツバの切れ込みから、恐る恐るオルゴを見上げる。
「母君の死に対する貴様のスタンスについて、己はガッカリしているのだ」
金色の双眸でレベッカを睨みつけつつ、オルゴは問う。
「己は独房の中で貴様に言ったはずだ、『気に病むことはない』と。貴様の力不足で母君の命を救えなかったことについて、貴様が気に病むことはないと言ったのだ――なぜか? 気に病んでも仕方がないからだ。この意味が分かるか?」
「……そんなの、私だって分かって」
「いいや分かっていない。気に病まないということがどれだけ重要なのか、貴様は何一つ分かっていない」
己を見よ、とオルゴは腕組みしたまま自らの顔面に親指を向け、上から目線で圧倒する。
「こうして己が吸血鬼となり、牢から出ることが出来たのは、己が母君の死から早々に立ち直っていたからだ――悲しんだり悔やんだりせず、『何としてでもここから出たい』とひたすら願ったからこそ、現状を打破するための道筋を見出すことが出来たのだ――独房の中でただ絶望に打ちひしがれていただけでは、この未来は絶対に有り得なかった。有り得なかったのだ」
「……だから、貴様も前を向いて生きろと?」
レベッカは完全に俯く。オルゴの視界から、彼女の顔面は全く見えなくなる。
「ハッ」と投げやりに苦笑し、レベッカは震えた声で呟いた。
「それが出来たら、苦労しないですよ。そんなの……だ、だって、どれだけ前向きになったって、母とは二度と会えないじゃないですか……い、生きたいとは思いますけど、そんな前向きになんて……母は、母は後ろにしか、過去にしか………………」
そこまでしか、レベッカには言えなかった。
呼吸は不規則になり、頭は真っ白になり、俯いたまま黙り果ててしまった。
「………………」
オルゴはしばらく黙ったままレベッカのハットを眺めていたが、やがて瞑目しつつ溜め息すると、左腕の肘から先を右手で引き千切り、レベッカの隣に放り投げた。
「顕現せよ。【血を分けた兄弟】」
瞬間。
千切れた腕が止めどなく隆起し、人型になる。
赤黒い肌に、藁のように乾燥した黒髪、白い歯を剥き出しにした、オルゴ・デスタルータのみに従順な筋骨隆々の怪物。
ただしその全長は2メートルほどで、オルゴと大差なかった。千切った部位が少なかったため、それに応じて縮小していた。
「己は今から森の中に拠点をつくる。人間はそろそろ活動を休止する時間だからな」
オルゴは踵を返し、森と向き直る。レベッカに背を向けて言う。
「悲しむなり悔やむなり、後ろ向きの感情を全て清算し終えたら来い。これからの旅路にそれらのマインドは持っているだけ邪魔だ」
そしてレベッカの反応を窺いもせず、独り森の奥に突き進んでいった。
「……そんなの、」
出来るならとっくにしてますよ。とレベッカは呟く。
「……む、むしろ、何も分かってないのはあの人の方なのに……若くして母親を亡くして、しかも他殺で……しかもその犯人は、昔から憧れていた吸血鬼で……へ、下手すると私なんかより、ずっとショックで辛いはずなのに、平気なフリなんかして……バレてるんですよ、強がってるだけなのは」
「なんのことを言ってるのか、サッパリ分からないのだけど」
と。
レベッカは数ヶ月前、母親に『あること』を指摘したものの、にべもなくとぼけられた時のことを思い出す。
「……あなた以外、誰がいるんですか」
15の春、まだ王立学園に進学していない頃の出来事。
レベッカは、彼女にしては非常に珍しいことに、台所に立つ母親に対して睨みを利かせていた。
「子供だからって舐めないでください……肺の病気、まだ完治してないですよね? ……父様や兄様は騙せても、私は騙せませんよ」
「お母さんが嘘をついてるって? 何を根拠に言っているのかしらね。咳も喘息もこの通り全くしていないのに、疑り深い子ね」
赤い髪を後ろで括った彼女は、レベッカに背を向けたまま、包丁を慣れた手捌きでまな板に走らせていた。
が、
「午前4時半、路地裏」
レベッカが口にすると同時に、その包丁は止まる。
娘を振り返りこそしないものの、少なからず反応する。
「午前7時、厠。午前10時過ぎ、寝室。午後1時、森の祠。それから――――」
「もういいわよ、それ以上言わなくて」
レベッカの母は娘に背を向けたまま、両手を上げて降参した。
「白状します。私の肺はいまだ、不治の病に冒されたままです。なので、『奇跡的に完治した』と家族みんなに報告したのは嘘です。毎日毎日、路地裏や厠や寝室などの、人目につかない場所で回復魔法を使い、誤魔化し誤魔化し治癒し続けています……これで満足?」
「回復魔法の濫用がどう人体に影響するか、知らないわけじゃないですよね」
レベッカは満足せず、母親の背中に訴えかける。
「回復魔法とは、対象者の肉体に働きかけ、その人の自然治癒力を底上げする魔法です。これを用いれば欠損した四肢すらも元通りに生やすことが可能です……しかし、人が一生涯で肉体を再生することの出来る程度には限界があります。つまり回復魔法を濫用すればそれだけ再生力の枯渇が早まることになり……再生力を使い果たした人間がその後どうなるのかは、言うまでもありません」
「ええ、聞くまでもないことね。そんなことは承知でやっているのだから」
母親は、そこでようやく振り向いた。
赤い瞳をレベッカと合わせ、不治の病を患っているとは思えぬ、覇気に満ち満ちた佇まいを見せた。
「お母さんのこと、強がってるだけって言ったわよね……そうね、その通りだわ」
あなたたちの前で弱弱しい姿を見せるのが、もう耐えられなかったのよ。
台所にもたれつつ、彼女は静かに俯く。
「一日中喘息や咳に苛まれながら、徐々に衰弱しながら死んでいく様を看取られるくらいなら……私は残り数ヶ月の命でもいいから、燃えるように生きたい。『死ぬ直前までお母さんは生き生きしていたな』って思い出してもらった方が、私にとっては幸せだもの」
「……だからって」
と。
今、レベッカは草原の上で、膝を抱えて座り込んでいる。
涙が膝から流れ落ち、しゃくりあげながら、えづきながら――死んだ母親に訴え続ける。
「ほんとに数ヶ月で死ぬ奴があるかよぉ……ば、ばっかじゃないの、まじでさぁ……私、あの人からもらったもの、まだ何にも返せてないのにさぁ……に、肉塊の禁術も、結局間に合わなかったし……隠れて回復魔法使ってるんだろって、探偵の真似事だけして、あの人のためになること一つもしてあげられなくて…………」
ううううううう………………と。
ただひたすら、レベッカは子供のように泣きじゃくった。頭が朦朧とするほど、感情の波に溺れていた。
息が続く限り、涙が流れる限り号泣した。
レベッカ・レオナルディ。
彼女が母親の死について、ここまで激しく号泣したのは、これが初めてのことだった。
彼女は母親が死んで間もなく、禁術破りの罪で投獄され、急速に転落していく人生にただ混乱するしかなく――ちゃんと事態に向き合い、そして悲壮に暮れるという機会を、今ようやく享受していたのだった。
「オ゛? オ゛?」
その隣でBBは、首を傾げてレベッカを覗き込んでいた。