第7話 星空の下で
「というわけで馬を寄越せ。己はこの忌まわしき国から一刻も早く出たいのだ」
と。
地下牢獄を悠々と脱し、地上に出たオルゴは、夜空の下で待ち構えていた兵士らに要求した。
「……き、貴様か、地下の同胞を痛めつけてくれたのは」
ひときわ体の大きい兵士が、一歩前に出つつ、果敢にもオルゴに剣を向ける。
リバーレ兵士長。人一倍の勇気を持ち、母国を守るためには命すら投げ捨てる覚悟を持つ男だった。
「生かしておけぬ……今ここで討つ!」
そして、リバーレは今まさに剣を振り上げ、一歩踏み込む。
対するオルゴは溜め息しつつ、何か左手の親指と人差し指を、怪しい具合に擦り合わせ、迎撃の眼差しになる。
その時だった。
「おやめください!」
と、リバーレの後方から悲痛な叫び声がする。
一同、何事かと声のした方を振り向くと、そこに居たのは両腕の骨を折られた兵士だった――彼は地下牢獄でBBに襲われたものの、幸い両足の骨は折られず、無事に地上に逃げ果せた後、ついさっきまで恐怖の余韻で茫然自失に陥っていた。
が、辛うじて我を取り戻し、激痛に顔を歪めながらリバーレ兵士長の前に現れ――そして、こう進言した。
「断言します。その者には抵抗するだけ無駄なのです……私だけではないのです、こんなにもボロ雑巾の如くされたのは……地下を警護していた全ての同胞が、戦闘不能にさせられているのです……私はまだ幸いな方で、両腕だけで済みましたが、他の者らは両足の骨まで折られ、未だ地下で身動きが取れずにいるのです……ここは望み通り馬を差し出してやり、その者共を一刻も早くザンナ国から追い出してやらねばなりませぬ。まだ死人が出ていないうちに! さあ!」
「……しかし、王都の平和を守る兵士の長として、唯々諾々と魔物の要求に従うなど」
「なら己は貴様らを皆殺しにしてから馬を貰おうか? 無闇に遺恨を残すまいと今まで殺人は控えていたが、いい加減にしないと気が変わってしまうぞ。貴様らは馬1頭で平和を買えばいいのだ」
「……あのぅ」
と。
手負いの兵士、兵士長、オルゴらが紛議しているところに、レベッカが弱弱しく口を挟む。オルゴの後ろに半身を隠しつつ意見する。
「とりあえず兵士の皆様は、地下牢で倒れている同胞の方々の回復を最優先にすべきかと思います――回復魔法を使える方はそのまま治療にあたり、そうでない方は魔法士を呼んでくるなりして補助にあたるべきです――もし今、魔物の軍勢が王都に攻めてきたりしたら、四肢を骨折した兵ばかりでは何も守れません。さんざん同胞の方々を痛めつけておいて信用できないかもしれませんが、現在の我々にはあなた方を攻撃しようという意思はありません。ただこの国から出たいだけなのです……馬さえ頂ければ黙って出ていきますから、どうか判断を誤らないでください」
兵士長は判断に迷った――が、彼が内心で繰り広げていた葛藤の様々は平凡極まり、あえてここに記載するべき性質のものでもないため、割愛。
結果はというと、オルゴ側の主張が通ることになった。オルゴとレベッカは軍馬を一頭譲り受け、二人して跨り、王都を出てそのまま南下した。手綱はオルゴが握っていた。
地上に出た。
馬も手に入った。
今のところ万事順調だなと、レベッカの心は緩んでいた。油断と言っても差し支えないほどに――――が。
気楽でいられる時間は、そう長くは続かなかった。
「……な、」
レベッカはオルゴのマントに必死にしがみつきつつ、とある件について猛抗議し始めた。
「なんでこんなに飛ばすんですか! 怖いからやめてください! 後ろ確認してますけど誰も追ってきてないですって! ほら空! 見てくださいよ満天の星空ですよ! 天体観測とかしながらゆっくり行きましょうって!」
軍馬は今、秋の草原を猛スピードで駆け抜けている。乗馬の経験に乏しいレベッカにとって、その速度はひたすら恐ろしかったのだ。
が、レベッカの必死の泣き言も虚しく、速度は一向に落ちない。オルゴは返事のみする。
「生憎だが真逆だ、レオナルディよ。星空だからこそ急がねばならないのだ」
「……はい!? どういう意味ですか!?」
「吸血鬼は太陽の日差しに弱い。あえて語るのも馬鹿馬鹿しい一般常識だ」
そして、とオルゴは続ける。
「雲一つ見えない星空が拝めるということは、明日の天気も快晴である可能性が高いということだ――今は乗馬中だから分かりにくいが、今晩はあまり風が吹いておらず、従って他所から雲が舞い込んでくる見込みも薄い。いずれにせよ明日は吸血鬼にとって酷な天気になることが予測されるので、夜の内にフルスピードで距離を稼いでおくべきなのだ」
これを受けたレベッカは、「そういえば」と閃いた。爆速で駆け抜ける乗馬の恐ろしさが薄れゆくほどの、湧き上がる知的好奇心のままオルゴに問うた。
「夜中はこうして何らの制約もなく活動できるとして、日中はどう過ごすんですか? 地下に穴でも掘って暮らすとか?」
「いや、吸血鬼の弱点はあくまで太陽なのだから、日中だろうがなんだろうがハットなど被って出歩いていれば死ぬことはないし、空が曇っていれば無帽でも出歩くことが可能だ――ただ同時に、そこに太陽が昇っているというだけで、雲やハットで遮蔽していても無関係に、吸血鬼の力は弱まってしまうというのも事実だ。己が吸血鬼化したのが夜中ではなく日中だったとしたら、その後の脱獄はもっとヘビーなものになっていたかもしれぬ」
「へー、そういうもんなんですね。なかなか吸血鬼もなかなか奥が深い………………」
と。
レベッカは相槌の途中で、言葉を区切った。
「なんだ急に黙って。追っ手か?」
「いえ、そうじゃなくて、その…………」
「その?」
「……………………」
レベッカは意を決し、
「どうしてデスタルータさんは、最初からそこまで分かるんですか?」
とオルゴの背中に問いかけた。その声色は沈み切っていた。
「空に昇る太陽が吸血鬼にどう影響を及ぼすのかも、左腕から怪物を生み出せることも、血の矢を飛ばして鉄を砕けることも、望み通りの衣服を生成することが出来ることも……吸血鬼になってすぐ分かっていたじゃないですか。私はどれだけ研究しても、血液を生成することしか出来なかったのに」
母が産んだのが私じゃなくてデスタルータさんだったら。
母は死なずに済んでいたでしょうに……と、レベッカは自らを腐した。
が、
「またそれか。貴様の卑屈根性もいい加減しつこいぞ。聞くに堪えん」
と、オルゴはにべもなく突っぱねた。
そして、「止まれ」と命じて馬を停止し、二人して降りた。
「ここまでご苦労だったな。後は国に帰るなり野生に戻るなり好きにしろ。ここから先は馬だとむしろ不便なのでな」
オルゴは馬に呼びかける。馬に人間の言葉が通じるわけもなく、キョトンとしていたが、オルゴが眼光を鋭くすると鳴き声しながら草原に駆け抜けていった。
二人の前に立ちはだかるは、鬱蒼と茂る森。
ザワザワと枝葉が揺れ、湿った土の臭いが漂う。遠くで鳥の鳴く声がしている。
「ガッカリだぞ、小娘よ」
一歩前に進むオルゴは消沈したレベッカを振り返り、腕を組んで見下ろした。