第6話 忌まわしき故郷に去らばを
「で、」
ひとしきり満足のいくまで高笑いした後、オルゴは独房の隅で足枷を一生懸命外そうとしているレベッカに問う。
「貴様は何を頑張っておるのだ? 非力なる人間風情が鉄の輪を素手で外せるわけもなかろう」
顔面蒼白のレベッカは、引き攣った笑みを浮かべつつ答える。
「あ、その……下賤極まる私めは、これまで偉大なるデスタルータ様に散々ご無礼を働いてしまいましたので、こうして錠を破壊して逃げ去ってしまおうという算段でございまして…………」
商人の娘は。
損得勘定で態度を変える。
「ハッ」とオルゴは嘲笑し、右手を腰に当てレベッカと向き直る。
「そうだな、確かに貴様はこの己を散々こき下ろしてくれたのであったな――フム。正直者は嫌いではない。痛くないように楽にしてやろう」
オルゴは自らの人差し指の第一関節を噛み千切って吐き捨て、ピストルのように断面をレベッカに向けると、「ピュン」と発する。
レベッカは死を覚悟しつつ、反射的に両目をギュッと瞑る――が、いつまで経っても体は何ら痛まず、恐る恐る目を開いてみると、両足に巻かれていた鉄の輪が砕けていた。
また、足首から膝下にかけて血塗れになっていたが、やはり肉体の損傷はなかった。
「吸血鬼と成り果せたこの己ともなると、出血の仕方も自由自在なのだ。このように勢いを強めてやれば、鉄すら砕く矢として放つことが可能というわけだ――全く、我が高貴なる異能には惚れ惚れするばかりだ」
得意げに語るオルゴの人差し指は、モゾモゾと断面から再生し、すぐ元通りになった。
「………………………………」
と、レベッカはただ途方に暮れる。へたり込んだまま、両目をパチクリとする。
一方、オルゴはもう既にレベッカへの関心を失っており、首を傾げながら鉄格子の方へ向き直っており、「静かになったな。もう終わったのか」と呟いていた。
というのも、さっきまで地下牢獄中に響き渡っていたはずの兵士らの阿鼻叫喚が、嘘のように静まり返っていたのだった――またその代わりに、ズンズンと重厚感溢れる、ゾウのような足音が近付いてきていた。
足音はみるみる接近し、地響きにも似た振動が独房まで伝播しつつあった頃合いで、その正体はズザザッと床の摩擦で急ブレーキしつつ、独房の前に現れた。
言わずもがな、BBである。
赤黒い肌に真っ白な歯。見る者をたちまちの内に震撼させる迫力の化身。
が、ついさっきと比べて五割増しほどバルクアップしており、いかにも窮屈そうにその巨躯を折り曲げていた。
「入っていいぞ」
とオルゴが許可すると、BBは鉄格子の真ん中二本を左右の手で掴み、両端にグイッと捻じ曲げて独房の中に顔を突っ込んだ。というか、スペース的に顔を入れるだけで精一杯だった。
「随分早かったじゃないか。褒めて遣わそう」
と、巨岩のような顔面の頬を撫でてやるオルゴ。
BBは「ハッハッハッ」と舌を出しながら笑み、歓喜の赴くままオルゴの左肩にかぶりつく。
するとその全身は急速に収縮し、瞬く間に元の筋肉質な白い腕に戻り、千切れていた袖も元通りに生成された。
「起立」
オルゴが号令すると、「あ、これ私のことか」とレベッカは直立する。
そして、オルゴは只今生えたばかりの左腕の手首を、右手で掴んでブチッと引き千切り、その断面をレベッカに向けた。
「目と口と鼻を塞げ。【凝血】」
途端、左手首の断面から、鮮血がシャワー状に噴射される。
当然、真正面に立っていたレベッカは瞬く間に血塗れになり、血飛沫の中から「んー! んー!」と呻き声する。
が、オルゴはなおもお構いなしに噴射し続け、数秒の後、「こんなものか」と出血を止めた。
レベッカは文句しようと口を開きかけるが、「えっ」と驚愕し、文句など言っている場合ではない、自分自身の変化に気付いた。
衣服である。さっきまでボロ布一枚だけ纏っていたレベッカの格好は、いつの間にか黒と赤のツートンカラーの、魔法使い風の装いに様変わりしていたのだ。
ワンピーススタイルで、肩にはケープが掛けられている。ハイソックスの上からロングブーツを履かされており、胸元にはワインレッドの大きなリボンがあしらわれていて、ひときわ存在感を放っていた。
また、頭にはツバの広いハットまで被せられており、切れ込みの入ったところからオルゴと目が合った。
「さて」
とオルゴは腕組み、眼下のレベッカに問う。
「錠も檻も壊し、人前に堂々と出られる服も拵えた。後はここを去り、この己に冤罪など吹っ掛けおった忌まわしき国を捨て、新天地を謳歌するだけだ。そうだな?」
「……私を連れて、ですか?」
「ああ。不服か?」
レベッカは、オルゴから視線を外し、瞳を高速に動かしつつ思案する。
なぜデスタルータさんは、一人で脱獄すればいいものを、私の足枷まで壊して連れて行こうとするのだろうかと、その理由を考える。
「……禁術ですか?」
考察の末、レベッカが行き着いたのはそこだった。
「肉塊の禁術の使い手を手中に収めておけば……これから先の人生、血液不足に困ることはないだろうっていう……そのために私を連れて行くのですか?」
「だとしたら?」
何か問題でもあるのか? と含めつつオルゴは問う。
「…………………………」
レベッカは葛藤する。
こんなにも施してもらったのだ、その恩人からの要求には出来る限り答えたいと思う気持ちはある…………が、
「ごめんなさい」
レベッカはハットを脱いで胸に当て、丁重に礼した。
「申し訳ありませんが、私はもう、人前で禁術を使いたくないのです……兄に強く叱責されたのです。『禁術など破って、お前はレオナルディ家の看板に泥を塗るつもりか』と……これ以上、私は父や兄の仕事を邪魔するような真似はしたくありません」
そして固唾を飲み、自らを奮い立て――頭を上げると、赤色の瞳をオルゴの双眸と突き合わせ、凛として言った。
「ですから、それでも私の禁術を欲されるのであれば、邪化の禁術でこの姿を別物に変えてください。そうすれば私が何をしようと、レオナルディ商人一家の名誉に傷がつくことは避けられます」
「フム」
と、オルゴは顎に指を添え、レベッカの瞳を見つめ返す。
一族の名を汚すまいとし、他人から受けた恩を無下にすまいとし、それら信条を貫くためなら自ら邪に堕ちることも厭わぬという、その精神性を吟味する。
どのような処遇に落とし込むべきか考える。
「よかろう」
逡巡の末、オルゴは口を開く。威厳に満ち溢れた声音でレベッカに告げた。
「なら己は、人前で貴様に禁術の使用を命じることは、絶対にしないと誓おう。時と場合とを考えて命じることを約束しよう――また貴様の姿についてだが、邪化の禁術で別物にさせてやるという選択肢はない。吸血鬼にしか出来ぬことがあるように、人間にしか出来ぬこともあるわけで、無闇に貴様を人外に仕立て上げるというのは得策ではないからだ」
自らの振る舞いで一族の風評を下げたくないと思うのは立派だが、当面はハットを目深にするなどして対応せよ。それで構わんな? と。
「………………」
レベッカは即答せず、唇をキュッと締めて悩んだ。
大前提、脱獄はしたい。このままここに留まり、死刑を待つというのはない。
そして、父や兄と再会するという選択肢も、……ない。
肉体の禁術を破ったと裁判所に密告したのは彼女の家族であり、今さら自分が戻ったところで歓迎されないのは自明だったからだ。
ならば、もう彼女が進むべき道は、たった一つしかなかった。
「……不束者ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」
レベッカは神妙な面持ちになり、ハットを胸に抱えたまま深々と礼した。
「ふむ。いい心がけだ。では行くぞ、我が第一の臣下よ」
と、オルゴは廊下を進みかけて、「おっと」と引き返す。
「危うく忘れるところだった。脅威は徹底的に排除せねばな」
泡を吹いて倒れている兵士長の前に、オルゴはしゃがみ込む。マントで隠され、レベッカの目線からは何をしているのか分からない。ただポキポキと軽妙な音がしていた。
「よし。待たせたな、さあ行くぞ」
と立ち上がり、改めてオルゴは廊下の奥に進んでいく。
レベッカが見ると、兵士長は依然として気絶したままだったが――その四肢は、それぞれ関節が一つずつ増えていた。
「………………」
レベッカは絶句しつつ、先に進むオルゴの方に目を向ける。
廊下に散らばっている兵士のことごとくは、兵士長と同様に四肢を折られた状態で気絶させられていた。
ハットを被り直したレベッカは、十字を切ってからオルゴの後を追った。
――――――――――――――――
ここまで読んでいただきありがとうございます!
オルゴとレベッカのこの先が見たいと思った方は、ポイントや感想で応援いただけると励みになります!