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第4話 血文字の啓示

 目の前で何が起きているのか、レベッカは理解が追い付かずにいた。


 オルゴは頻りに丸パンを見つつ、床の上に血で文字を書いている。記号や数字など織り交ぜながら綴っているその文字列は、その時点では意味不明そのものの怪文書だった。


「……何を書いているんですか?」


 横から覗き込むレベッカ。オルゴは掠れた血文字を床に塗りつけながら答える。


「貴様はその丸パンを見て、何か思うところはないか?」

「…………いえ、汚らしいなとしか思わないですけど」

「そうか。ならこの啓示は己だけのものらしいな――実に奇妙な感覚だ。こうして丸パンそのものを、砂埃のまぶされ方を、アリのたかり方を見ていると、どこからともなくインスピレーションが湧いてくるのだ。書き起こさずにはいられないのだ。こんな気持ちになったのは初めてだ」


 と。

 ふいにオルゴの手が止まる。「血が足りん」と呟く。


「インクの出るスピードが遅すぎる。まどろっこしいことこの上ない」

「はー、それは大変ですね。運動でもしますか? 心拍数が上がれば出血スピードも速まったり」

「いや、もっと手っ取り早い方法がある。貴様の禁術で己の体内に血液を生成し続けるのだ。そうすれば余剰分の血液が指先から漏れ続け、よりスムーズに啓示を書き起こすことが出来るはずだ」

「……えー?」


 レベッカは難色を示す。「何が問題だ。貴様の血で書いてもいいのだぞ」とオルゴが凄むと、レベッカは「はいマイナス1高貴ポイント」と指を立て、「ていうかそもそも無理なんじゃないですか?」と続ける。


「私、この独房に入れられるまでは別の房に入ってたんですけど、攻撃魔法で鉄格子を破壊しようとしても無理でしたもん。多分、結界とか張ってますよ。魔法無効化の」

「禁術は試してみたのか?」

「……いえ。試してないです。別にアレを使っても脱獄とか出来ませんから」

「なら分からんだろう。魔法は無効化されても禁術はその限りではないかもしれん。御託を並べてないでさっさとやれ。グズグズしているうちに啓示を見失ったらどうする」

「頼み方ー……」


 レベッカは渋々といった具合でオルゴに向かって右手をかざし、


「【肉塊の禁術(シードレス・フィッグ)】」と唱えた。


 オルゴは人差し指の腹を上に向け、傷口から出る血液の流れが速くなっていることを確認し、クックックと笑みつつ床に血文字を綴り始める。先ほどより格段に筆が進んでいた。


「礼を言うぞレベッカ・レオナルディよ。これから先、己は指先から血を流すごとに貴様のことを思い出すだろう」

「それはどうも」


 レベッカは立ち上がり、オルゴの紡ぐ怪文書を上から眺める。

 またぞろ頭が高いと言われるかもしれないなと思いつつだったが、そんなことを気にしている暇はないと言わんばかり彼は没頭していた。

 何かに憑かれたように。

 忘我の境地に達しながら。


「……これで全部なのか?」


 オルゴは左腕で額の汗を拭いつつ、立ち上がって床一面に敷き詰められた怪文書を見下ろした。

 書くごとに足場が失われ、鉄格子の反対側の壁際に二人して追いやられた頃合いから、いくら丸パンを見つめても啓示が降らなくなってきた。指先が自然と動くということがなくなっていた。


「よくこれだけ書きましたね。何の意味も成してない文章なのに。これが小説とかだったら暇つぶしになったでしょうけど」


 その隣でレベッカはしゃがんでいる。こんなものを床一面に書かれて今晩どこを寝床にすればいいのだと控えめに絶望していた。


「いや、何かあるには違いないのだ」


 オルゴは腕組みして断言する。


「己の直感がそう告げている。これをただの怪文書と決めつけて無視するというのは愚の骨頂だ」

「……ンなこと言ったってねぇ」


 やれやれといった調子で、レベッカは久方ぶりに立ち上がる。すなわち、文章全体を見渡すのも久方ぶりということになる。


「…………………………あ、」


 しばらく顎に指を添えて見た後、レベッカは丸パンのあたりを指差しつつ、


「あそこ、書き始めでまだ肉塊の禁術してない時の文字、血が足りてなくて掠れてますね。アレがちゃんと見えれば何か分かるかも」


 レベッカは指を差したまま肉塊の禁術(シードレス・フィッグ)を唱える。掠れていた血文字が徐々に濃くなり、正しく視認できるようになる。


 ふーむ、と目を細めつつ、前のめりになりながら再び床一面の文字を見渡すレベッカ。


「こうして見ていくと、ちょっと衝動のまま書きすぎたんじゃないかって感じですねー。まあ状況が状況なので仕方ないって感じですけど、シンプルに字が汚いから何のことかサッパリって感じなんじゃないですか?」

「なら書き直せ。今やった要領で」

「はいはい。どうせ暇ですしね」


 本日3度目の肉塊の禁術(シードレス・フィッグ)が実行される。床一面の血文字が太文字になりつつ、書き殴りの書体が強引に整えられていく。


 が、そのように正しく書き直した血文字を目の当たりにしてもなお、レベッカにはその文章の意味するところがさっぱり理解できなかった。


 レベッカは魔法科で暗号学の授業を履修しており、目の前の文字列が暗号の形式をしていればそうと分かるはずだったが、そうはならなかった。


「……まあ、とりあえず禁術が使えることが分かっただけでも収穫としておきますか? これから私が猛特訓して人間を丸ごと生成できるようになれば、デコイとかに出来たりするかも」


 と言いかけて、レベッカは絶句した。

 オルゴである。隣に立つ彼は床一面を見下ろしたまま、人差し指の血を頬に塗りたくりつつ、凄惨な笑みを浮かべていたのである。


「……あの、」

「色だ」


 オルゴは笑みを含んだ不気味な声色で得心する。


「色が問題だったのだ」


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