第3話 砂埃に塗れた丸パン
「かなり重篤な病でして、回復魔法で手に負えるような代物ではなかったもので、何か他に手立てはないものかと困り果てている時に、偶然にも肉塊の禁術の魔法式を入手する機会がありまして……それで、私は肉塊の禁術を用いて健康な内臓を生成し、母の患った内臓と入れ替えようとしたんです。その時は犯罪がどうとかは特に意識していませんでした」
「ほう。それで成功したのか?」
レベッカは首を横に振る。
「間に合いませんでした。血液を生成するところまでは出来るようになりましたけど、内臓みたいな高度に複雑な構造物は作ることが出来なくて……そうこうしているうちに、母は他界しました」
「そうか。まあ気に病むことはあるまい。貴様も間もなく母君に会えるのだから死後の世界で平謝りすればよい。『私の力不足で死なせてしまい申し訳ありませんでした』と。もっとも禁術を破った貴様は間違いなく地獄行きになるだろうから色々と難儀するだろうがな」
「……よくデリカシー無いって言われないですか?」
「禁術破りにデリカシーの有無を心配される筋合いはない。どの口が言っているのだという話だ」
「いや、でも禁術破りはデスタルータ様も同じですよね?【邪化の禁術】で吸血鬼になったんですもんね? 同じアウトサイダー同士、そこは対等にいきましょうよ」
オルゴ・デスタルータの罪状は、「殺人」と「禁術破り」の二項目だった。
これについて説明する前に、まず禁術とは何かということを記述しなくてはならない。
禁術とはすなわち、公的に禁止されている魔法のことである。
あるいは倫理に反するから、あるいは国教に反するからといったような、何かしら広く禁止されるべき事由を有する魔法の総称であり、これを他人に伝授したり自ら使用したことが発覚した際には、ほぼ例外なく死刑が科される決まりとなっている。
そしてオルゴは、【邪化の禁術】という、異形の者に変化する禁術を使って吸血鬼になったのだと判決されていた。母親殺しの容疑だけなら懲役刑で済んだかもしれないが、禁術破りの罪状が重なることで死刑が確定した。
再三繰り返すが。
母親殺しも禁術破りも、オルゴはしていない。
物的証拠など何もないまま、それらの罪状は裁判所の中で捏造されたと言って差し支えないのだった。
「生憎だが己は吸血鬼ではないし、禁術も破っておらん……冤罪で捕まったのだ。貴様と一緒にされては困る。仲間面をするな」
オルゴは容赦なく突っぱねる。語気を強めて強調する。
するとレベッカは、「え」と口元を片手で抑え、両眼を見開いた。
「デスタルータ様、吸血鬼じゃないんですか? 本当に?」
「だからそうだと言っておるだろうが。仮に己が吸血鬼だとしたら、このような足枷も鉄格子も粉々に破壊して脱獄しているに決まっているだろう。己はあくまで人の域を出ない存在なのだ」
「………………………………」
レベッカの両瞼が徐々に閉じ、半目になる。
口角が下がり、誰の目で見ても明らかな、落胆の面持ちになる。
オルゴから顔を逸らしつつ溜め息し、壁に向かって舌打ちすらした。
「……おい、なんだその溜め息と舌打ちとは……まさか、己に向けたものではないだろうな? かような無礼をこの己に働くなど」
「どの己ですか、それ」
なおも視線は壁の方に向けたまま、ダウナー気味に答えるレベッカ。
「今から為す術もなく殺されるだけの命に、爵位もクソもないじゃないですか……私は、あなたが吸血鬼だと思っていたから、うまく取り入ればここから助け出してくれるかもと思って媚びへつらっていましたけど、ただの十把一絡げの死刑囚に払う敬意なんて一つもないですよ。何を偉そうに偉ぶってるんだか」
「……随分と現金なのだな。最も己が忌み嫌う類の根性だ。流石は商人の娘といったところか。損得勘定で態度を変えるのだな。高貴さの欠片もない精神だ」
「あーあー聞こえない聞こえない。あまりに高貴すぎて聞こえないなー。太陽が眩しすぎて見れないみたいな感じかなー。地下なのにありがたいなー」
「……………………」
オルゴはレベッカを睨んだまま、右手の拳を握りこむ。
顔面に小便をかけられ、食事に砂埃をかけられる中で蓄積してきた怒りの種が、もう芽吹く寸前というところまで来ていた。
レベッカはただならぬ気配を感じて振り向き、今から殴りかからんとする睨みつけと相対して一瞬だけ怯んだが、すぐ半目に戻って苦笑し、
「無抵抗の小娘に手を上げるんですか? それって高貴って言えますか?」
と煽ってみせた。
「……ハッ」
オルゴは嘲笑しつつ腕を組む。自らの拳を無理やり縛り込むように。
「コバエやネズミを殺すのに高貴も何も関係あるまいが、そこまでやかましく喚き立てるのなら生かしておいてやろう。我が崇高なる慈悲心に涙して感謝するがいい」
「……かっこいー」
レベッカは悪態をつくのにも飽きはじめ、返しにもなっていない返しで茶を濁す。オルゴもこれ以上の会話に何らの生産性もなかろうとなり、腕組み黙した。
……何が吸血鬼だ。
と、オルゴは内心で毒づく。
吸血鬼とは超人的であり、かつ高貴でなくてはならないのだ。
病床に伏せ身動きもロクに取れない病人を襲い、一方的に血を吸い去るようなハイエナの如く浅ましい根性の持ち主であってはならないし、人間如きが作り出した手錠や足枷や鉄格子に拘束されるなどということもあってはならないのだ。
己の中の吸血鬼像は、そんな陳腐なものでは――――――。
「………………………………?」
今。
オルゴの両目は、床に打ち捨てられたパンに向けられている。
先ほどから何ら状態は変わっていない。砂埃に塗れ、アリがたかっている、不衛生極まる丸パンであって、それ以上でも以下でもない。
そのはずなのだが、どうもその時のオルゴには、丸パンが気になって仕方がなかった。
食べたいと思うのではない。
食べ物としての関心ではない。
満点の星空からヤギやサソリを見出すように。
何かそこには重大な意味があるに違いないと、彼はひたすらに凝視していた。
「……え、何してるんですか?」
レベッカは仰天する。オルゴが何らの脈絡もなく、人差し指の先端の皮を噛み破ったのだ。
「啓示だ…………」
オルゴは丸パンの前で四つん這いになり、血文字で床に書き殴り始めた。