千田さん家の裏口は、異世界への入口3 〜炎の守護者〜
最初に言っておこう。異世界に召喚されたからといって、すべての冒険が命がけで、涙と血にまみれているわけではない。むしろ、時には――そう、千田さん家のように――異世界は歩いて五分の場所にあったりするのだ。
ダンジョンの入口は、千田さんの豪邸の地下室――実際には食器棚の奥の、絶対に使われないラップの箱を押すことで現れる、謎の回転階段から始まった。
「いくよ、おれ、このダンジョン、踏破してみせるよ」
少年・鳥内瑠散は、ニヤリと笑い、魔法の杖を握り直した。
隣には、周東さんが三人の娘ニシ(次女)、ヒガシ(長女)、そして三女のミナミを連れている。いずれも可愛らしいフリル付きのケープをまとい、小さな杖を腰にさしていた。
「油断しないで、瑠散くん。第一層からちゃんと調理済みなのよ、このダンジョン」
○第一階層:しらす・地獄の群舞
空間は薄暗く、足元は塩気のある砂。霧のように白く漂う敵は――しらす。
ただの魚の幼体ではない。目を細めると、1ミリ単位で「シッラース!シッラース!」と叫びながら襲ってくる小さな魔物だった。
「やばっ、数が多すぎ!」
瑠散の杖から放たれた光の弾がいくつものしらすを吹き飛ばすが、まるで無限のように湧いてくる。
そのとき、周東さんが娘たちに指示を飛ばした。
「フォーク隊形!ニシ、ヒガシ、ミナミ、おにぎりの陣よ!」
「「「了解ママ!」」」
娘たちが構えたのは、巨大なおにぎり型のシールド。炊きたてご飯の魔力で、しらすは次々と吸着されていく。
「……炭水化物吸着の法則ね」と、周東さんは淡々とメモを取った。
○第二階層:ししゃもの微笑み
次に現れたのは、無表情なししゃも兵団。彼らは揃って槍を構え、なぜか全員、うっすら笑っていた。
「え、なんかちょっと怖いんですけどこの人たち」
瑠散が身構えると、ししゃもたちは「焼かれ済み」の皮を破り、パリッという音と共に全速力で突撃してくる。
「うわああ! 全員サクサクしてる! 焦げてるやつが特に速い!」
周東さんは娘たちに命じ、火属性調理魔法・ほぐし焼きを展開。
「ニシ、背開き構え。ヒガシ、骨抜きの術。ミナミ、味ぽん防壁展開!」
三人の娘による調理攻撃が炸裂し、ししゃもはきれいに皿に並べられていった。
「お弁当にしたら……いいかな」と呟きながら、周東さんは再びメモを取る。
○第三階層:ニジマス・水彩の裁き
その階層は一転、水鏡のようなフロア。中心に立つのは、七色のうろこをまとう巨大なニジマス・レインヴェイルだった。
「ここ、ボスじゃないの……?」と瑠散が呟くほどの威圧感。
ニジマスは口から水の刃を放ち、魔法反射のオーブを周囲に展開する。反射魔法の前に、直接攻撃も呪文も弾かれてしまう。
「こいつ……火属性に弱いはずだけど、魔力を受け流してる!」
「――なら、料理するまでよ」
周東さんが取り出したのは家庭用両面グリル。
「……全自動焼き魚モード、発動」
ヒガシたち三姉妹が、魚を慎重に並べるように火魔法で包囲すると、ニジマスの鱗が徐々に銀色に変わっていく。
「焼きの均一化、成功よ。こんがり、理論的」
ニジマスは最後、しっとりとした身に変わり、涙のようなソースを残して消えていった。
○第四階層:紅鮭の偽装術
次の敵は、何の変哲もない……普通の鮭。
だが瑠散は違和感に気づく。「動かない……っていうか、ちょっとだけ、生きてる“ふり”が上手すぎる」
正体は、擬態魔魚・紅鮭オモワザリ。目を合わそうとすると目をそらし、皿に乗っていると見せかけて突然飛びかかる。
周東さんは表情ひとつ変えず、紙と筆を取り出した。
「“焼き”の文字を、四角で囲って……これが、新・焼印符術」
呪符を紅鮭に貼ると、見破りの光が弾け、正体が露わに。
瑠散はその隙に近づき、杖を一閃。
「鮭ッシャアッッ!!」という決め台詞と共に、見事に討ち取った。
○第五階層:最強の鮭――鮭皇、覚醒す
最深部に鎮座していたのは――玉座に座った、完全なる焼き鮭。
両手に箸を握り、目は赤々と燃えていた。
「我こそは……焼かれし王、鮭皇!」
床が揺れ、岩盤が砕ける。鮭皇が放ったのは、まさかの必殺技――
「鮭・舞い身崩し!」
その刃が瑠散の杖を砕こうとした瞬間、背後から火柱が立ち上がる。
「育児も、料理も、ダンジョンもどれも、焼きが命よ!」
周東さんが召喚したのは、火属性魔物・ホノカマド。娘たちと共に四方から炎で鮭皇を包囲し、瑠散の決定打――
「焼鮭閃華!焼き鮭弁当!」
が炸裂。
鮭皇は満足げに燃え尽き、最後には「塩加減、最高……」と一言残して消えていった。
そして、ダンジョンは“台所”へ
「……ふぅ、終わった」
疲れた体を包む、どこか懐かしい味噌汁の香り。
最深部にあったのは、立派なキッチンだった。包丁は黄金、まな板は水晶。
「これが、“千田界・厨房の間”……」
周東さんがほほえみながら言った。「ここからが、本当のダンジョン生活よ、瑠散くん」
少年は、改めて思った。
――この世界、ちょっとヘンだけど……めちゃくちゃ楽しいかも
千田界の東方、煮え立つ溶岩の湖を越えた場所に、それはそびえ立っている。
赤銅色の石でできた塔、てっぺんには炎がゆらめき、空さえも赤く染まるその場所を、人々はこう呼んだ。
「炎の塔」――火の守護者が棲む場所。
その最上階に姿を見せぬまま、長らく人々に伝説として語られてきた者こそ――
ゾクヤケシャ様。
その日、塔の頂きに雷鳴がとどろき、炎の鳥が空を裂いた。
火の粉をまとった赤き長衣をまとい、塔からふわりと舞い降りてきたのは――
「やっほ〜。お久しぶり、皆の者。ゾクヤケシャ様、参上!」
ふわっとした癖っ毛に、目元のアイラインが炎のように美しい。
だがその正体は……かつて小豆農家のうめちゃんと呼ばれていた、気さくで元気なちょっと歳のいったお姉さんだった。
「しーっ! うめちゃんって呼ばないでって言ってるでしょ!」
塔の周囲の溶岩がピキピキと固まるたびに、ゾクヤケシャ様は機嫌を直しながら咳払いをした。
ゾクヤケシャ様は炎の鮭拳法・開祖である。
素手で鮭を焼き、拳の軌道が火となり、最終奥義「炎翔・鮭舞い投げ」で敵も魚も天へと舞い上がるという幻の拳法である。
その技を受け継ぐ者たちがいた――
五番弟子・荻野さん:都会的でオシャレ、だが拳に宿す炎は師譲り。口癖は「今日のネイル、燃えないといいな〜」
一番弟子の弟子・千田さん:八木節と融合した独自の鮭スタイルを生み出し、踊るたびに周囲の気温が5度上がる。
ゾクヤケシャ様は、弟子たちを見渡してニンマリ笑った。
「荻野さん、おしゃれしながら戦ってるようだけど、ちゃんと拳の鮭、燃えてる?
千田さんは踊りすぎてサンマまで焼いてるらしいじゃない!」
ゾクヤケシャ様は、“炎を与える者”の称号も持つ。
炎の魔法は、拳と心が真っ直ぐでなければ受け取れない。
「さあ、立ちなさい、荻野さん!」
荻野さんはネイルを一瞬見つめ、スッと立つと、両手を前に出す。
ゾクヤケシャ様が、両の掌を荻野さんの拳に添える。
「汝の手、汝の心に、燃える炎あれ――」
ごぉぉ、と空気が震え、荻野さんの拳がほんのり桜色に光った。
「それ、燃え方ちょっと控えめね。上品!」
荻野さんは嬉しそうにニッコリ。「これならネイルも剥がれません!」
ゾクヤケシャ様は、塔の向こうを見つめながらこう言った。
「いずれ、“炎と踊りと植木と犬”を極めし者が現れる。
その者こそ、私の全技を継ぐ最後の継承者となるでしょう」
皆がはっとして振り返ると、そこには――
とーちゃんが、器用に盆栽を手入れしていた。
「ま、まさか……とーちゃん!?」
空が茜色に染まり、塔の周囲に火の鳥たちが円を描いて飛び交う。
炎の継承儀式が始まるとき、塔の温度は上昇し、魔力は空間を震わせる。
ゾクヤケシャ様――かつてのうめちゃん――は、堂々と祭壇の中央に立っていた。
その前に並ぶ二人。
一人は、踊れば風が起き、叫べば味噌汁が沸く八木節魔法の使い手・千田さん。
もう一人は、つい先日まで小型犬だったが、魔法の解呪で本来の姿を取り戻した夫・とーちゃん(オヤジさん)である。
「千田界、開祖以来初の夫婦同時継承者ね……面白いじゃない」
ゾクヤケシャ様は、ぐるりと円を描くように空に浮かび、手に鮭柄の杖を取り出した。
「まずは、八木節、踊ってもらおうかしら。普通じゃない方のやつよ?」
千田さんととーちゃんは、目を合わせてニヤリと笑った。
「いっくよ〜、とーちゃん!」 「おうよ!」
そして、足拍子一発。
舞いは八木節、だがその衣装は燃えるような紅蓮の羽織。
頭上には提灯、背には炎をあしらった団扇が浮かび、舞うたびに周囲の空気が振動した。
千田さんの太鼓が空に響き、魔法陣が地面から浮かび上がる。
とーちゃんは、植木ばさみを空にかざし、それを軌跡に火を描いた。
その瞬間、二人の足元から炎と花が交じるような魔力が噴き上がる――
八木節魔法eccentric、覚醒。
太鼓を打てば空が鳴り、団扇を振れば炎の蝶が舞う。
踊るたびに笑い声がこだまし、魔力が観客の心を踊らせる。
「すごいよ! これが、eccentric……!」
「とーちゃんの腰つき、キレッキレ!」
ゾクヤケシャ様は宙を舞いながら、満足げにうなずいた。
「八木節、炎、愛……これぞeccentricの真髄。よろしい、認めましょう。あなたたちが第六代・炎の継承者夫婦よ」
とーちゃんと千田さんに、二本の炎の箸が授けられた。
「この箸で焼く鮭は、ただの焼き魚じゃないわ。心を踊らせ、魂を震わせる、炎の舞い焼きになるでしょう」
塔の火がゆっくりと静まっていく中、とーちゃんがふとつぶやいた。
炎の塔の頂上で、千田さんととーちゃんの肩に、火の鳥がそっと舞い降りた。
炎の塔は、空に向かって吠えるように聳えていた。
まるで燃えさかる煙突のようなその塔の頂に、ゾクヤケシャ様と呼ばれた炎の守護者がいた。燃える髪、火山石のような瞳、そして背には赤く翻る法衣。その正体は、かつて“うめちゃん”と呼ばれていた、極めてエキセントリックな女性だった。
「さあ、来なさい、少年よ」
ゾクヤケシャ様の声は、熱波そのものだった。瑠散は塔の最上階まで辿り着き、既に汗びっしょりになっていた。靴の底が、ほんのり焦げている気もする。
「きみには、“禁断の炎のおにぎり術”を授ける資格がある。いや、むしろこの時代にそれを受け継げるのは、きみだけなのだよ……チルチくん!」
「名前、瑠散ですけど……」
ゾクヤケシャ様はくるりと一回転し、宙におにぎりの形をした火球を浮かべた。それは燃えながらも三角形を保ち、ゆらゆらと空中で揺れている。
「これはただの火魔法じゃない。“炎のおにぎり術”握りしめることで心の炎を形に変える、究極の調理兼攻撃術。かつては使うだけで周囲の味覚に混乱をもたらした禁呪……」
瑠散は、一歩下がった。
「いや、ちょっと待ってください。俺、まだ……焼き鮭、うまく焼けないんです。中まで火が通らなかったり、皮だけ焦げたりして……」
「それは“火”と心がまだ結ばれていない証拠だ!」
ゾクヤケシャ様が雷鳴のように叫んだ。塔の壁がミシリと鳴った。だがすぐに、その声は優しさを帯びた熱に変わる。
「……だけどね、そういう自信のなさこそが、“おにぎりの芯”なのよ。完璧じゃないからこそ、人は握る。恐れと不安、そして願いをこめて」
ふいに、塔の床に炭で円が描かれた。ゾクヤケシャ様はそれを“炎の厨房陣”と呼んだ。
「入ってごらん。何も強制はしない。ただ、きみが“誰かのために握りたい”と思ったときだけ、炎のおにぎり術は応えてくれるはずよ」
瑠散はしばらく無言で立ち尽くしていた。
頭に浮かぶのは、異世界ママ・周東さんの笑顔。焼き加減に厳しい千田さん。庭木の手入れをするとーちゃん。そして、遠くで八木節魔法を踊る町の人々の姿。
――誰かのために、焼きたい。握りたい。
そう思ったとき、瑠散は静かに炎の陣に足を踏み入れた。
その瞬間、炎が三角形に渦巻き、彼の手の中にちいさな火の魂が生まれた。
「よく来たね、少年。“炎のおにぎり”は、まだ未完成。けれども、きみなら完成させられると私は信じている」
ゾクヤケシャ様の声が、まるで母のように柔らかく響いた。
こうして、瑠散は炎のおにぎり術を受け継ぐ「準おにぎり使い」となった。
料理泥棒団その後
かつて「料理泥棒団」として恐れられた一団が、今では千田界の小高い丘にあるお寺「梅鉢山 福福院」に暮らしている。
名前もあらため――「精進しつつ美味しい料理探求団」(改名:S.J.D)。
彼らは盗みの心を捨て、日々精進料理を作り、鐘をつき、畳を磨き、雑巾がけに励んでいた。団長の和尚リーダー・シモトは、今では立派な袈裟姿。額の三本線がチャームポイントだ。
「さあ、心を無にして、ゴボウを千切りだ!」
この言葉とともに、団員たちは静かに包丁を握る――まるで剣士のような所作で。
団長シモトには三人の娘がいた。
長女・ユミズ(14歳):しっかり者でお寺の会計もこなす。
次女・ユレイ(11歳):食材に魔力を込める精進魔法の使い手。
三女・ユエリ(8歳):とにかく鐘を打ちたがる鐘マニア。
三人は朝から晩まで精進料理と寺の手入れを手伝い、千田界の癒し三姉妹と呼ばれるようになっていた。
ある日、お寺の縁側に突如として風が巻き起こった。
そこに立っていたのは――もちろんこの人。
八木節魔法の継承者、千田さん。
「お久しぶりね、シモト団長! 精進も板についたみたいじゃない?」
シモトは優しく笑った。「もう“団長”じゃありませんよ。“住職・シモト”です」
「じゃあ今日は、あんたとじゃなくて――習字対決、どうかしら?」
千田さんが懐から取り出したのは、筆状の魔法杖。
一筆書けば風が舞い、二筆目には火花が散るという、かの「書魔導院」で修行した証しだった。
会場は、本堂裏手の「魔法習字の間」。
四方に張られた護符が、墨の暴発や文字の浮遊を封じる結界を張っていた。
第一の題:「こころ」
千田さんの筆が走る――すると、「心」の文字から桜色の煙が立ちのぼり、見る者の胸に温かさをもたらす。
対するシモト住職、「心」と書いた墨の一滴から湯気が立ちのぼる胡麻豆腐が浮かび上がった。
観客一同「うまそう〜」とざわついたが、勝負は次へ。
千田さん、「静」と書いたとたん、場の空気が水面のように静まりかえる。
「寂」の文字が完成すると、小さな風鈴の音がどこからともなく鳴った。
シモト住職は「静寂」と一気に書き、その文字から現れたのは……
本堂の鐘。どーん。
そのタイミングで三女ユエリが鐘を打つ。「いまだ〜!」
「ゴォォォォォ〜〜ン……」
場内は一瞬で禅寺と化し、眠くなる団員続出。
最終判定は、観客投票。結果は――
引き分け!
会場には、笑顔と湯気と鐘の余韻が満ちていた。
「千田さん、ありがとう。また、字を書きましょうね」
「もちろんよ。字はね、魔法の一種だから」
三姉妹が笑いながら千田さんにおにぎりを差し出す。
それは、シモトが丹精込めて握った“具なしなのに感動する系”おにぎりだった。
●この物語はフィクションです。