8 将軍の要求②
当時のアントンは二十歳で、まだ魔法騎士団の一隊員でしかなかった。
使い走りのような仕事ばかりさせられていた彼はその日、王都で魔物が出没したという通報を聞いた。動物とも昆虫とも違う凶暴な生き物が魔物と呼ばれており、魔法騎士団は魔物退治の専門家と言ってもいい存在だ。
若いアントンはいの一番に駆け出し、手柄を立ててやろうと現場に向かった。だが、現場である職業紹介所前に来たとき、既にそこには魔物の残骸である黒い液体のようなものが残っているだけで――呆然とした顔で立っている、若い娘がいた。
聞けば、突如として街に飛来してきた鳥形の魔物に人々が逃げ惑う中、逃げ遅れた子どもを助けようと飛び出した娘が魔物に立ち向かい、自分の右手から燦然と輝く光の鞭を作り出し、それで魔物の首を掻き切って倒したのだそうだ。
アントンは驚いて、娘を見た。魔法騎士団の制服姿ではない、ごく普通のワンピース姿の娘は今もなお右手をきらきら輝かせており、途方に暮れた顔をしていた。
それが、当時十八歳のフレドリカだった。
アントンはすぐに彼女を連れて城に戻り、経緯を説明した。そうして魔力測定を行った結果、フレドリカには魔法騎士になるだけの十分な魔力が存在していることが分かった。
おそらくこれまでゆったりとした生活を送っている間は眠っていた能力が、子どもを守るために魔物と対峙した瞬間に目覚めたのだろう、ということだった。
フレドリカはこのことを聞くと驚いていたが、魔法騎士になれば養護院になかなかの額の仕送りができると聞いて、乗り気になった。
こうしてフレドリカは、職業紹介所に入ることなく、魔法騎士という職を得たのだった。
「劇的な出来事により魔法騎士に目覚めた天才といっても、おまえは女で、養護院出身。むちゃくちゃいじめられていたよ」
アントンが何でもない口調で言うのを、フレドリカは複雑な気持ちで聞いていた。
彼の口調からして、アントンは過去のフレドリカをいじめていたわけではないだろうが、かといって積極的に助けたわけでもないことが分かる。
……フレドリカが自分のことをフレッドという男性名で呼ばせていた経緯と理由が、腹立たしいほどよく分かった。
「それでもおまえは努力して、魔法鞭の達人として名を揚げ、おまえをいじめていたやつらを叩きのめした。そういうこともあって、おまえは二十歳になって部隊を編成できるようになってから、すぐに部下集めを始めた」
部下集めは、かなり難航していたようだ。
まず、魔法騎士団に女性の部隊長は当時一人もいなかった。そして男性の部隊長でも、ほとんどはアントンのようないい家柄出身のおぼっちゃんばかりで、実家の後ろ盾がない孤児のフレドリカは軽んじられた。
それでも、フレドリカは諦めなかった。騎士団の練習風景を念入りに見て回り、騎士たちの能力をしっかり調べ、何人にも断られてから……最初の部下であるエドガーを引き入れた。
「そこからはむしろ、おまえよりエドガーの方が張り切っていたな。そうして部隊を持つための最低条件である五人の部下を手に入れたおまえは、上官たちの承認も得て晴れて、部隊長となったってわけだ」
あ、当時俺も部隊長だったんだ、とアントンは付け加えた。
フレドリカ率いる部隊は小規模だったが、よく働きよく動くということでそこそこ評価が高かった。また部隊の結束力も高く、隊長が二十歳で隊員も皆二十歳前後という若者ばかりでありながら、年長者たちにも臆せずに立ち向かう勇敢さ……もとい無謀さが評判だった。
「で、そんなおまえの部隊に去年の夏にある任務が下されて、そこで隊長のおまえが一人で魔物を引きつけて殲滅させた末にでかい爆発も起きて、行方不明になったってことだ。この後のことは、おまえも分かっているだろう」
「……はい」
アントンの説明はざっくりとしていたが、だいたいのことは分かった。
(私は本当に魔法騎士で、部隊長を務めていたのね……)
昨日エドガーに会ったときに「隊長」と呼ばれて違和感があったが、彼にとってのフレドリカはずっと「隊長」だったのだ。
とはいえ。
「……私の過去は分かりましたが、今の私は魔法武器の作り方が分かりません」
「それもすっぽり忘れてしまったのか。こうやって、うーん……ってやったら出てこないか?」
アントンがそう説明する間に、彼の手の中にぽんっと一振りの長剣が現れた。アントン自身の魔力を練って作られたそれは普通の鋼製の剣と違い、まばゆく輝いている。
まるで手品のように現れた魔法剣にフレドリカが「わあっ!」と歓声を上げると、アントンは目を丸くしてからさっと剣を消した。
「……そういえば会った頃のおまえは、こういうやつだったな」
「そうですか。ですが……すみません、やはり魔法鞭とやらの出し方は分からないです」
「……仕方がないか」
やれやれ、とアントンは頭を掻いた。
「魔法武器を作れないと、魔法騎士にはなれない。おまえがあのフレドリカなのは確定だが、騎士団に戻れるかどうかは微妙なところだな……」
「……そのことなのですが」
少し椅子から身を乗り出したフレドリカだったが、ふと、壁一枚隔てた先から小さな泣き声が聞こえたため、本能で立ち上がってしまった。
(シグルド!?)
「ん? なんだこの音」
赤ん坊の泣き声が分からないようでアントンがきょろきょろする中、フレドリカは「すみません、少し席を外します!」と急ぎ言って、自分の部屋に駆け戻った。
ベビーベッドに寝ているシグルドは、ぐすぐすと泣いていた。先ほどお乳をあげたばかりなので、空腹ではないはず。
(あら……おしめね)
すぐにフレドリカは棚に置いていたシグルド用セットのリュックサックを開け、中から新しいおしめやごみを入れる袋を出し、手早くおしめを交換した。汚れたお尻も拭いてあげてベッドに寝かせると、満足したシグルドはふにゃふにゃと笑い、目を閉じた。
(我ながら、おしめ交換も早くなったものね)
赤ん坊によってはおしめ交換の際に大暴れする子もいるらしいから、シグルドがおとなしくて本当に助かった。
やれやれ、とシグルドの寝顔を見つめてからごみを片付け、手を洗おうとフレドリカは振り返り――
「おまえ……」
「きゃっ!?」
そこにいないと思っていた人と視線がぶつかり、悲鳴を上げてしまった。
隣の部屋で待っていると思っていたアントンが部屋の前におり、呆然とした顔でシグルドを見ている。そしてずかずかと入ってこようとしたので、フレドリカは無礼を承知で彼の前に立ち塞がった。
「止まってくださいっ」
「しかし……」
「声を、落として。それから先に、手を洗わせてください。おしめを替えたばかりなので」
「……分かった」
フレドリカの静かな圧力に負けたらしいアントンにどけてもらい、手を洗ったフレドリカはすぐに部屋に戻り、先ほどと同じ場所に突っ立ったままのアントンを見て仕方なく、シグルドの方に招いた。
「……息子の、シグルドです」
「……まじかよ」
フレドリカに叱られたからか、小声ではあるもののアントンが唖然とした様子で言った。
アントンに眺められるシグルドは最初うとうとしていたが、知らない男がやってきたと気づいたのかうっすらと目を開け、アントンの青い目と視線がぶつかると不快を表すようにげぷっと息を吐き出した。
「……フレッド。こいつの目……」
「……青い目の男性が、この子の父親だと思います」
アントンがさっとこちらを見たので、フレドリカは苦く笑った。
「まさかの、あなたですか?」
「違う、俺じゃない」
「……そうですか」
ある意味予想していたとおりだったのでフレドリカが相槌を打つと、アントンは咳払いをした。
「……あー、その。坊主を見せてくれて、ありがとう。あっちに戻ろう」
「……はい」
存外しおらしいアントンと一緒にシーリとニルスの部屋に戻ると、彼はやれやれと肩を落とした。
「フレッドが生きていると聞いたときにも驚いたが……いや、これはそれ以上の驚きだ。おまえ、子どもを産んでいたんだな」
「はい」
「……誰の子なのか、分からないんだろう」
「はい、分かりません」
自分でも妙に冷静だと思いつつフレドリカがうなずくと、アントンは青い目を伏せた。
「さっきも言ったが、俺ではない。ただ、分かるのはこれだけだ」
「……あの。魔法騎士団だった頃に、私が誰かと付き合っているとか結婚しているとか、そういうことはなかったですか?」
「少なくとも俺は聞いたことがないし、エドガーたちの様子を見るにあいつらも知らないだろう」
「……」
「ただ……そうだな。シグルドといったか。あいつが生まれたのは、いつだ?」
「今年の春です」
「なら、おまえが妊娠したのは去年の春頃だな。その頃のおまえは部下のやつらとやかましく仕事をしていた。少なくとも事件に巻き込まれたとか襲われたとか、そういうことは聞いたことがない。おおよそ、秘密の恋人との間にできたんだろう」
「秘密の恋人……」
ゆっくりと、アントンの言葉を噛みしめる。
去年の春頃のフレドリカは、元気に仕事をしていた。恋人が誰なのかは分からないが……きっと、シグルドは当時のフレドリカが密かな愛を育んでいた男性との間にできた子どもだ。
(……十分すぎるくらいだわ)
無理矢理抱かれたわけではなくて、当時の自分が愛した人の子どもであるのなら、これが分かっただけで王都に来た意味は十分にあったと言えるだろう。