手紙③
……だから、驚いた。
ある冬の日、見回りに行っていたはずのエドガーが真っ青な顔で城に戻ってきたとき、ちょうどその場にアントンがいた。
ただならぬ様子に放っておくこともできずに呼び止めると、彼は「隊長が生きていた……!」とがらがらにひび割れた声で言い、そこで安堵してしまったのかその場に頽れてしまった。
気絶したエドガーを担いで移動しながら、アントンは内心、これを聞いたのが自分で本当によかったと思った。もしここにオットーなどがいれば、即刻フレドリカを始末しに行っていたかもしれない。
そうして目覚めたエドガーが「僕が行きます!」と吠えるのを説き伏せ、将軍特権を振りかざして『青いガチョウ亭』に行った。
朝早い自覚はあったが、少しでも早くフレドリカの無事を確かめたかった。
そんな逸る思いで向かった宿ではたして、フレドリカと再会した。記憶はないようだが、今の彼女の様子はまさに十八歳の頃と同じで、もしアントンにもう少し理性が足りなかったら、その場で彼女を抱きしめていたかもしれない。
だから……だからこそ。
彼女が息子を産んでいると知って、ショックを受けた。
まさか、という思いで見た赤ん坊は、澄んだ青色の目を持っていた。アントンの目とよく似ているが……少し違う。これは、エドガーの実家であるイェンソン家に伝わる色だ。
以前、複雑な家庭事情があるエドガーのことを調べた際、彼がイェンソン家に伝わる青色の目を持って生まれなかったために廃嫡されたのだと知った。
後に出会ったエドガーの父親であるイェンソン家当主は確かに、不思議な色合いの青い目を持っていた。エドガーの異母弟妹だという子どもたちも同じ色の目をしていて、なるほどこれがエドガーの受け継がなかった色か、と思った。
フレドリカの息子であるシグルドは、その色とまったく同じ目を持っていた。だから一瞬でアントンは、この赤ん坊の父親がエドガーであると知った。
ああ、そうか、と心の中で嗤う。
あの頃「グズ」とからかっていた少年はいつの間にか、フレドリカの心も体も手に入れていたのだ。
そしてフレドリカもフレドリカで、記憶がないというのに子どもを産み育てていた。
フレドリカは、シグルドが望んだ子なのかどうか不安に思っていた。
だから。
「おまえが妊娠したのは去年の春頃だな。その頃のおまえは部下のやつらとやかましく仕事をしていた。少なくとも事件に巻き込まれたとか襲われたとか、そういうことは聞いたことがない。おおよそ、秘密の恋人との間にできたんだろう」
そう言っていた。
言わないといけないと思った。
予想通り、「秘密の恋人との間に望んでできた子ではないか」と知ったフレドリカは、あからさまにほっとしていた。無理矢理犯された末の子どもではないと分かっただけで、フレドリカには十分安心できたのだろう。
馬鹿野郎、と心の中でアントンは自分とエドガーを罵る。
フレドリカに、こんな心配をさせて。こんな思いをさせて。
シグルドをどんな思いで産み育てていたか、何も知らなかったなんて。
アントンにとって、シグルドはよその子どもだ。さらに言えば、自分の恋敵が好きな女性に産ませた子だ。
正直、その存在はおもしろくない。それどころか目の色が自分とそっくりなのだから、「実は俺の子どもだ」と言うことだってできた。
だが、しなかった。
できなかった。
シグルドはエドガーの子であるがそれ以上に、フレドリカの子なのだから。
彼女が孤独の中で悩みながらも産み育てた、大切な存在なのだから。
だからアントンは、母子を匿うことにした。自分の別宅に住まわせ、使用人も十分に付けてやる。
そしてできるならフレドリカが職場に復帰できるように――エドガーと一緒の時間を過ごせるように、手筈を整える。
半ば脅すような形になったのでフレドリカに嫌われた自覚はあるが、仕方がない。
こうでもしないとフレドリカとエドガーは会えないし、オットー・バックマンから守ることもできないのだから。
それからは城で、フレドリカとエドガーが一緒に歩く姿が見られるようになった。
以前見られた光景と、よく似ている。だがあのときはしゃんと背筋を伸ばすフレドリカの後をエドガーがついていく形だったのに対し、今は二人で肩を並べて歩いている。
魔法騎士団の事情に詳しくないフレドリカのために、エドガーが優しくあれこれ教えている。アントンがからかうと、お互いがお互いをかばうような仕草を見せる。
本当に……記憶がないというのに、エドガーの方はシグルドの存在を知らないというのに、この二人の絆の強さには呆れてしまう。エドガーこの野郎、と思ってしまう。
……だが、二人がもう一度心を通わせられるようになるならこれでいいのかもしれない、とアントンは思った。
「アントン様、お手紙でございます」
「ん、どうも」
瞑目して物思いにふけっていたアントンは、名前を呼ばれたため目を開けた。
ここは、ランセル王国辺境にある小さな砦。王都から馬車で片道何十日も掛かる僻地が、今のアントンの任地だった。
アントンはフレドリカを守るために、オットーの策略に立ち向かった。結果としてフレドリカもシグルドも助かったが、アントンは母子を誘拐して子どもを盾にフレドリカを脅した犯罪者になった。
アントンは全ての責任を取るとして、自らこの僻地への異動を志願した。
ここなら自分の行いを反省できる、というのが表面上の理由だったが――
「……そうか、結婚、ね」
封筒はフレドリカとエドガーの連名となっており……ついでにシグルドの名前も入っている。
それは、今度の秋に結婚するというお知らせの手紙だった。
ほぼ無罪扱いとはいえ拘留された期間もあるアントンでは、結婚式に参列することはできない。だから彼らも、招待状ではなくて「します」という報告の形の手紙に留めたのだろう。
今は、夏の終わりだ。今すぐに返事を書けば、秋の結婚式までに届くだろう。
アントンは粗末なデスクに向かい、自分が持っている中では一番上質なレターセットを出したが……なかなかペンが進まなかった。
おめでとう、幸せに、家族仲良く……言葉は浮かぶが、なかなか文字として表すことができない。
少なくとも、「おめでとう」とは書けなかった。
それは、自分を差し置いて恋い慕う女性と結ばれることができるエドガーへの、恨みがあったからだ。
悩んだ末にシグルドのことにも触れる内容にして発送手続きをしたアントンは、苦笑いを浮かべた。
結局、自分ではフレドリカを射止められなかったのだ。
フレドリカが求めていたのは、からかったりおちょくったり不用意に手助けをしたりする「愛」ではなくて、そばに寄り添い笑い合い協力し合うという「愛」だった。
きっと、アントンが特別劣っていたのではない。彼女の求める愛の形が、違ったのだ。
あの青臭い少年が、フレドリカが必要としていたものを持っていたのだ。
アントンはフレドリカたちからの手紙をポケットから出して両手で持ち、真っ二つに裂いた。
ビリ、ビリとさらに細かく破っていき、中に書かれていた文字が分からなくなるほど粉々にする。
「幸せになれよ、馬鹿野郎」
そんなつぶやきとばらばらになった手紙の破片を風に乗せ、アントンはきびすを返した。
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