30 フレドリカのお願い
――百四十九年、秋。
「リカ、ここにいましたか」
自宅二階の自室にいたフレドリカのもとに、エドガーがやってきた。
彼の腕の中には一歳半になったシグルドがおり、フレドリカを見て「ママ!」と元気よく声を上げた。
フレドリカは手に持っていた手帳をテーブルに置いて、振り返った。
「ごめん、ちょっと昔の記録を読んでいて」
「懐かしい気持ちになっていましたか?」
「そんなところ」
フレドリカはふふっと笑って、白いドレスの裾が床に擦らないように軽く持ち上げて、エドガーのもとに向かった。
上から下まで真っ白のドレス姿のフレドリカとおそろいで、エドガーも白い礼服姿だ。普段は下ろしている前髪を上げているのが格好よくて、フレドリカは恋人の麗しい姿につい頬を緩めてしまう。
「今日のエドは、いつも以上に素敵ね。格好いいわ」
「あ、ありがとうございます。でもできればそれは、僕の方から先に言いたかった……」
「先でも後でも同じでしょう。さ、今日の私は、どう?」
「とてもお美しいです。本当に……あなたと結婚できるのが、嬉しくてたまりません」
くるっとその場で回転してポーズを決めると、エドガーはほんのりと頬を赤らめてとろけるような声音で言った。
彼の腕の中のシグルドが何か言いたげに手をバタバタさせたので、フレドリカは「あなたも素敵よ、シグルド」と息子に囁いて、頬にキスをした。
今年の春から夏にかけては、事件が起きたりフレドリカがすったもんだの末に将軍になったりエドガーが隊長になったりと、とにかく忙しかった。
新しい部隊員も増えるしフレドリカは仕事に慣れるのも大変だしシグルドはシグルドで発語が増えて活発になるしで、ずっとへとへとだった。
だがそれでも、早く結婚して夫婦になりたい、というフレドリカとエドガーの願いは一致していた。
周りの者も早く身を固めるべきだと思っていたようで、部下たちの協力や新体制となった魔法騎士団上層部の理解もあり、秋が深まったこの時季に結婚式を挙げることができた。
今日のためにばっちりおめかししているシグルドに微笑みかけて、二人は階段を降りる。
「もう教会には、皆がそろっているのかしら」
「そのようです。シーリさんとニルスさんも到着されているとのことですね」
「そうみたいね。……あの、エドガーは大丈夫? 主にニルスのことで」
「あはは、もちろんですよ」
エドガーは明るい調子で言うのだが……今年の夏、フレドリカが経緯を説明した手紙をシーリとニルスのもとに送ったときに、ちょっとした悶着が起きたのだった。
やっと二人にもいろいろな説明ができた、とほっとしていたら、なんと二人が王都に押しかけてきた。
シーリの方はともかくニルスは挨拶をしたエドガーをぎろりとにらみ、「申し訳ないが、一発殴ってもいいだろうか」と非常に丁寧に暴力的なお願いをした。
諸々の事情を察したエドガーの答えは「もちろん」だったため、彼はニルスの剛腕によって壁に激突することになってしまった。
やりすぎだ、八つ当たりか、とフレドリカとシーリが詰め寄ったのでニルスはしょんぼりしていたが、殴られた側のエドガーは「リカが愛されている証しですね」と、あっけらかんとしていた。
そんなシーリとニルスも、花嫁側の親族として招いており――
「お母様の方は、大丈夫?」
「はい。今朝王都に来たばかりだそうですが、とても生き生きとしているそうです。杖を手にしていますが、なんとしてでも自分の足で立って結婚式を見届ける、と息巻いているとのことです」
エドガーが穏やかな声音で言った。
今日の式に新郎側の親戚として呼んでいるのは、彼の実母だけだ。
エドガーはシグルドが自分の息子であると公表してすぐに、母親にも連絡を入れた。
不貞を疑われて以来ずっと塞ぎ込んで暮らしていた母は、孫に青色の目が受け継がれていると聞いて驚き、長年の疑いが晴れたことでほっとし、そして「いつの間に孫ができていたの!」と息子を叱ったそうだ。
そして噂を聞いたらしいイェンソン家――エドガーの実家からも連絡が来た。エドガーの父親は後妻との間に、息子と娘が生まれている。
青い目を受け継ぐ子どもたちだが思ったほど利発ではなかったようで、当主は魔法騎士団将軍直属部隊の隊長となったエドガーの話を聞くなり手のひらを返し、イェンソン家に戻るよう頼んできたそうだ。
……その話を聞いたエドガーは激怒し、実家に殴り込みに行った。
そうして帰ってきた彼はとてもいい笑顔で「何も問題はありません」と言っていた。
後で聞いたのだが、エドガーの父親は優秀なエドガーを後継者にするだけでなく、孫であるシグルドをも家に取り込もうとしたそうだ。
それだけでもエドガーにとっては万死に値する発言だったのに、彼がさてはと思って「フレドリカはどうするのですか」と問うた途端、目をさまよわせたそうだ。
孫を跡継ぎの駒としか思わず、フレドリカのことも認められないような者のところに帰るつもりはない。
自分の家族はフレドリカとシグルド、そして実母だけだと言い放ち、エドガーは実家とすっきり縁を切ったそうだ。
……だがそれでもと諦められなかったらしいエドガーの父親が後日、魔法騎士団詰め所に押しかけてフレドリカに面会を申し出たそうだ。
「そうだ」なのは、フレドリカのもとにたどり着く前にブリットとカタリーナに見つかり、「何このおっさんウザッ」「将軍と隊長の邪魔をするなら、消えてくれる?」と脅され、彼女らに引きずられてどこかに消えていったからである。
(いろいろあったけれど、丸く収まったようね)
結婚式には、ブリットたち部下はもちろんのこと、これまで親身になってくれた上官たちも招いている。
フレドリカが生まれ育った養護院にも手紙を書いたが、さすがに遠距離なので式には参列できない。その代わりに祝福の手紙をもらえたので、十分嬉しかった。
ただし――
(アントン様には、あれから結局会えないままね)
アントンの拘留期間は数日だったので彼はすぐに釈放され、僻地に異動となった。
さすがに彼に招待状は送れないので結婚の報告だけしたところ、「二人プラスすぐ泣く坊っちゃんの幸せを願っている」とだけ書かれた手紙が返ってきた。
フレドリカもエドガーも、アントンのことは複雑ではあるが恨んではいない。彼が密かに動いてオットーの言動を操作していなければ、シグルドやフレドリカが危害を加えられていたかもしれないのだから。
(話す機会もないままだったから、結局あの人の考えていることは分からずじまい、ね)
とはいえ、隠れた策略家である彼のことだから、フレドリカにもエドガーにも何も知られないままの方がいいと思って姿を消したのかもしれない。アントンの思いやりに感謝し、彼が新天地でも彼らしく生きていけることを、願うばかりだ。
フレドリカとエドガーは、玄関に出た。そこには使用人たちがそろっており、庭の先には結婚装飾が施された馬車がある。その御者台に座るのは、いつも送り迎えをしてくれる馴染みの御者だ。
馬車に乗って、三人で教会に行く。
そこでやっと、家族になれるのだ。
「では行きましょう、リカ」
振り返ったエドガーに優しい声音で言われて、フレドリカは微笑んで彼の手を取った。
「ええ。……ねえ、エド。お願いがあるの」
「あなたの願いなら、何でも叶えます」
「ありがとう。……次の子からは、お腹にいるときからあなたもそばにいて、一緒に育ててほしいの」
エドガーの手を握ったフレドリカが茶目っ気たっぷりに言うと、エドガーは「えっ」と声を上げた。じわじわと、その頬が赤くなっていく。
「そ、それはつまり……」
「言葉の通りよ」
「っ、もちろんです! あなたのことも、シグルドも、次の子たちも……皆、僕の大切な家族です。必ず、おそばにおります!」
「ありがとう。……大好きよ、エド」
「……僕も。愛しています、リカ」
二人の手の指がするりと絡まり、しっかりと握り合わされる。
そんな両親の仲のよさにあてられたのか、エドガーの左腕に抱かれたシグルドは、「しゅき!」とご機嫌な声を上げたのだった。
ここまでが本編で、この後に「あの男」視点の番外編を更新します