3 衝撃の事実
翌朝、近くの町の医者がフレドリカの診察に来てくれたのだったが。
「……妊娠されていますね」
「えっ?」
診察後、なぜか初老の医者が席を外して助手の女性だけがその場に残ったのでどうしたのかと思ったら、衝撃的な発言をされてフレドリカは呆然とした。
「現在四ヶ月ほど経過したあたりでしょうか。むしろ、違和感はなかったのですか?」
「あぅ……」
きちんと受け答えをするべきなのに、頭の中が真っ白で、意味のない音しか出てこない。
妊娠、妊娠――
(私のお腹に……赤ちゃんがいる……!?)
そっとお腹に触れる。そこは、記憶にあるものよりも肉付きがいい。
きっとこの五年間で「よく食べて、よく働く」生活を送っていたので、肉付きがよくなったのだろう。月のものが遅れたり来なかったりするのは子どもの頃からなので、こんなものだろう。……そう思っていたのに、違ったようだ。
医師と助手には、記憶喪失のことは教えていない。あまりおおっぴらにしない方がいいかもしれない、とシーリに言われていたからだ。
(私、妊娠している……? 誰の子どもか分からないのに……?)
フレドリカが真っ青になって黙り込んでしまったからか、シーリが呼ばれた。話を聞いたシーリは驚愕の表情になり、助手を連れて部屋を出て行った。
一人になった部屋の中で、フレドリカはそれまで腰掛けていたベッドに力なく倒れ、もう一度自分のお腹をさする。
ここに、子どもがいる。
助手の話では、だいたい四ヶ月前に妊娠したとのこと。その頃の記憶はもちろん、フレドリカにはない。
フレドリカは自分の記憶のない頃に、お腹に子を宿したのだ。
相手の男性は、フレドリカの恋人だろうか。それとも、もしかすると記憶がないだけで、フレドリカにはもう夫がいたのだろうか。
それとも――
(嫌だ……!)
思わずぎゅっと体を丸めてしまってからはっとし、体を伸ばして仰向けに寝転がる。最近は元気になったと思うのに、また涙腺が緩んでしまい、手の甲で両目を塞ぐようにして涙が零れるのを防ごうとする。
名前も顔も知らない相手の男性がフレドリカの夫や恋人だったら、望んでできた子どもだったのかもしれない。もしそうなら、その男性は今もフレドリカのことを探してくれているのではないか。
だが、そうではなかったら?
望まない子だったら?
(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……!)
なんで、どうして、と悲鳴が漏れそうになる。
まだ、恋をしていない。キスも、したことがない。それ以上のことも、養護院で女性職員から話を聞くだけだというのに。
何も知らないのに、覚えていないのに、子どもができてしまった。
相手の男が何者なのか、望まれた子かそうでないのか、分からないのに。
えぐ、ぐす、と嗚咽を上げていると、ドアがノックされた。ニルスはフレドリカの部屋に来るのを遠慮しているので、来たのはシーリだとすぐに分かる。
「お医者様たちは帰ったよ。フレドリカ、入ってもいい?」
「……はい」
泣き顔をさらすのは恥ずかしい……と思ったが既にシーリには散々情けない姿を見せているので、これ以上落ち込むことはないだろう、と入室を促す。
入ってきたシーリはベッドに仰向けに寝るフレドリカのそばに来て、そっと額を撫でてくれた。
「あんたの同意がなかったから、記憶喪失のことは伝えなかった。お薬だけ置いていってくださったから、後で飲むんだよ」
「う……は、い。ありがとう、ございます……」
「……お医者様は、今ならまだ『間に合う』と言っていた」
どこか神妙なシーリの言葉に、フレドリカは涙を引っ込めて手の甲をどけ、彼女の顔をじっと見た。
一瞬、「間に合う」が何を意味するのか分からなかったが、すぐに気がついた。養護院には望まない妊娠をした女性が駆け込むことがあったので、そういう知識も身に付いていた。
(つまり、今ならまだ「産まない」という選択があるってこと……)
フレドリカのお腹はまだ、ほとんど膨らみがない。「前より太ったかな」くらいで済ませられる状態の今なら、「産まない」と決めることもできるのだ。
「当然あんたには、誰の子どもなのか分からないだろう。記憶がある頃のあんたが好きな男に愛されてできた子どもなのかそうでないのかも、分からない」
先ほどフレドリカが一人で悩んでいたことを口にしたシーリは、ぎゅっとフレドリカの手を握った。
「選ぶのは、あんただ。ニルスは相手の男を見つけたらぶん殴るとかなんとか言っていたけれど……当事者じゃない者が決めちゃいけない話だ」
「……」
「今すぐに、じゃなくてもいいそうだ。だが決断が早ければ早いほど、あんたの心も体も傷つかずに済む。ゆっくり考えなさい」
「シーリ……」
「あたしもニルスも、お医者様たちだって、あんたの選択を尊重するよ」
シーリが優しい声で言うので、フレドリカは彼女の手のひらをぎゅっと握り返し、ぽろぽろ涙をこぼしてしまった。本当に、シーリの前では何度醜態をさらしたか分からないくらいだ。
「……少し、考えます」
「そうしなさい」
シーリの手つきも眼差しも声も、どこまでも優しかった。
夏が過ぎて、秋がやってくる。
その間、フレドリカは考えていた。
この子を産むのか、産まないのか。自分の中に芽生えた命を、どうするのか。
悩んで、悩んで、泣いて、ふてて、怒って……シーリにもニルスにも迷惑を掛けたが、二人ともフレドリカを叱ったりせず、静かに受け止めてくれた。
記憶がない今、どの選択肢が最善なのか、フレドリカには分からない。誰にも、分からない。
そうして秋が終わろうとし、フレドリカのお腹がもう隠しようもないほど大きくなってからやっと、「産む」と決意した。
この半年間お腹の中で育ってきた命に、情が湧いてしまったのかもしれない。
この子が何色の髪と何色の目を持って生まれるのか、分からない。誰に似た子になるのか、想像も付かない。
半年前の自分が、誰にどんな状況で抱かれたのかも、分からない。
それでも。
(あなたに、罪はない)
お腹をそっと撫でて、フレドリカは我が子に呼びかける。
シーリもニルスも、フレドリカの選択をただうなずいて受け入れてくれた。医者にもその旨を伝えると、出産予定の来年の春頃にはいつでもここに来られるようにしておくと言ってくれた。
(私は、幸せ者ね)
もう二十三になろうとしているというのに十八歳の心のままでいるフレドリカのことを、受け止めてくれる人たちがいる。
(無事に、生まれておいで)
撫でた手のひらを通して、小さな胎動が聞こえた気がした。