27 フレドリカの恋
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二十二歳の春、フレドリカはオットー・バックマンに呼び出された。
「おまえたち第六部隊に、とある任務を任せたい」
他に将軍たちの姿がない部屋に呼ばれたという時点で嫌な予感はしていたため、フレドリカはひくっと頬を引きつらせた。
「さようですか。……それは、どのような?」
どうせろくでもない内容だろう、と思いながら尋ねたフレドリカだが――オットーが告げた作戦内容は、フレドリカの想像を悪い意味で上回るものだった。
それは、王国西の渓谷付近での魔物退治作戦だったが、どう考えても無茶な計画だった。死者が出てもおかしくなく、どんなに運がよくても全員満身創痍になるのでは、と思われるレベルのものだ。
第六部隊は小規模だが、フレドリカの熱心な指導と個々の努力のおかげで、練度はなかなかのものだ。
副隊長であり恋人でもあるエドガーは部隊の中で一番若いが、フレドリカの代わりに皆を指揮することもできる。フレドリカとエドガーが協力して皆を率いれば、なんとかならなくもない……かもしれない。
だが、どう考えてもこれは第六部隊に任される仕事内容ではない。間違いなく、フレドリカをずっと邪険にしていたオットーによる、第六部隊の殲滅を目的とした任務だろう。
「……せめて、他の部隊の協力を仰げませんか。第二部隊であれば、渓谷付近での戦闘に慣れている人が多かったはずで――」
「助けを呼びたいのならば、そうしてみろ。……それで不都合が生じようと、私は責任を取らないがな」
オットーに冷たく言い放たれて、くそったれ、と叫びたくなった。
この男のことだからどうせ、他の将軍には適当なことを言って第六部隊にこの任務を任せるように仕向けたのだろう。戦闘能力だとフレドリカに勝てるはずもないが、軍師として長く騎士団に身を置いていたからか、根回しだけは妙に上手だ。
……ここまで、頑張ってきた。
女だから、孤児だから、と指を差されても、結果さえ出ればよかった。エドガーたちも優秀な騎士に育てられたし、彼らに慕われるのが誇らしかった。
皆を、守りたかった。
「……では、将軍。作戦内容の変更はしていただけませんか」
そうしてフレドリカが提案したのは……部下五人には別の作戦場所を伝えて、フレドリカが単騎で魔物の大軍と戦うというものだった。
フレドリカの魔法鞭は、威力こそ低めだがしなやかで順応性が高く、飛ぶ敵にも這う敵にも走る敵にも有効だ。一人で心置きなく戦える場所さえあれば、勝ち抜くことができる。
それを聞いたオットーがにやりと笑ったのを見て、あ、しまった、これがやつの計画だったのか、と気づいたが、もう遅かった。
だが、勝機はある。
この作戦でフレドリカが生き残れたら十分だし……もし力尽きても、部隊の皆は無事だ。エドガーがきっと、皆をまとめてくれる。
こんな自分についてきて、従い、慕ってくれる部下たちのためなら。
無茶な作戦でも、進むしかなかった。
作戦の内容は、誰にも知られてはならなかった。
特にエドガーに知られたら、何が何でも計画を阻止してくるだろう。「僕も行きます」なんて言われたら、たまらない。
四つも年上の自分のことを恋人にしてくれたエドガーだから、大切にしたかった。まだ未来のある彼を、ブリットたち部下を、生かしたかった。もっともっと高みに行かせたかった。
……だから、少しだけ寂しかった。
もしかしたら、この作戦で自分は殉職するかもしれない。生きながらえても、大怪我を負ってしまうかもしれない。手足を失ったり、顔形が変わってしまったりするかもしれない。
それなら、そうなるのなら。
今一番美しいと思えるときに、最高の思い出を作りたかった。
恋人のエドガーはのんびり屋で、フレドリカとの日々のちょっとしたやりとりに幸せを感じているのだと、自分でも知っていた。
彼がなかなか自分を女として求めてくれないと思いつつも、いやだからといって年長者の方から迫るのはおかしいだろう……と、気長に待とうと思っていた。
だが、もう待てなかった。
最後かもしれないのだから、エドガーに愛されたという思い出がほしかった。
もしエドガーを傷つけることになったとしても、満たされたかった。
最低な上司、最低な恋人だと、分かっている。
優しいエドガーはきっと断れないだろうと、分かっている。
それでも、フレドリカは決心してエドガーの部屋に行った。適当な理由を並べてから、「私はそこまで魅力がないの!? 抱きたいとは思わないの!?」と脅した。
エドガーは、こんな横暴なフレドリカの命令に従い、抱いてくれた。どこまでも優しく、丁寧に、愛情を込めて、触れてくれた。
彼によって与えられる痛みなら何でも受け入れたい、と思えた。
それ以降はエドガーも吹っ切れたのか、夏になるまでの間に何度も求めてくれた。どんなに夢中になっても必ずフレドリカの体を案じてくれたし、子どもができないように配慮してくれた。
それが嬉しくて、幸せで……彼に抱かれるたびに、罪悪感が強くなっていった。
自分は、こんなに優しい恋人を裏切ろうとしている。
勝手に決めた作戦に、勝手に突撃しようとしている。
「……それでも、あなたを守りたいの」
眠りについた恋人の髪を撫でて、フレドリカは囁く。
「愛している。だから……ごめんなさい、エド」
彼にはこれから、幸せになってほしかった。
そうして夏が訪れ、作戦決行の日が近づいた。
フレドリカは予定通り、何食わぬ顔でその日まで過ごした。エドガーたちには別の方向を作戦場所として示し、六人全員で魔物を倒そう、と虚しい心を抱えて皆を鼓舞した。
魔物は、オットーの指示を受けた者たちにより一カ所に集められている。森を抜けた先にある、滝の手前。ここが本当の作戦場所だ。
フレドリカは、見回りに行ってくると部下たちに言い、皆にキャンプを張らせている間に森の中に入った。「お気を付けて!」と陽気に言ってくる仲間たちの顔を見られなくて、彼らに背を向けたまま手をひらひらさせて応じることしかできなかった。
……大丈夫。きっとなんとかなる。
もしフレドリカが魔物を取りこぼしても、部下たちが殲滅してくれる。第六部隊の名誉は、守られる。
きっと、大丈夫――
それなのに。
「……隊長!」
どうして、気づいてしまったのか。
どうして、よりによって彼が来てしまったのか。
必死の形相で追いかけてきたエドガーの姿を見ると、泣きそうになった。だがフレドリカは信頼する副隊長、愛する恋人に「下がれ」と命じる。
それでも、エドガーは立ち去ろうとしない。作戦の場所はそちらではない、と焦ったように言う彼のことが……愛おしくて、いじらしかった。
フレドリカは、きびすを返した。そうして驚くエドガーの胸ぐらを掴んで引き寄せ、荒っぽいキスをする。
「……愛しているわ、エド」
――だから、さようなら。
最後に恋人の顔を目に焼き付けてから、フレドリカは隙だらけの彼の腹部に一撃お見舞いした。
ぐっとうめいて倒れるエドガーに背を向けて、森の中を走る。リカ、リカ、と悲痛な声で名を呼ばれても、もう振り返らない。
……馬鹿なことをした。
キスなんて、告白なんて、別れなんて、するべきではなかった。
本当に、最後の最後まで、自分は馬鹿だ。
これでは、オットーに軽んじられその作戦に嵌められても、文句を言えないではないか。
「エド、エド……!」
もう二度と会えないかもしれない恋人の名前を呼んでいたフレドリカは、ピリリとした殺気を感じて顔を上げた。涙で濡れる目元をぐいっと拭い、右手に魔法鞭を呼び出す。
森を抜けた先、ごうごうと音を立てて流れ落ちる滝の前に、数十体の魔物が集まっていた。よくもまあオットーはこれだけの量をかき集めたものだ、と笑いたくなってくる。
……オットーは、フレドリカをここで死なせるつもりなのだ。
こうしてでも、邪魔な女部隊長を消したいのだ。
「……くそったれ! ただで死んでたまるか!」
フレドリカは、戦った。傷を受けながらも、魔物の吐き出す炎で服が焼かれながらも、魔法鞭で次々に魔物を倒した。
辺り一面は真っ黒な液体で埋め尽くされ、フレドリカの青いサーコートもすっかり黒く染まっている。
そうして……後残りわずか、というところで、フレドリカは見た。
(あれは、バックマン将軍!?)
滝の向こう側の崖上に、オットーの姿を認めた。
彼はフレドリカと視線が合うと、顔をしかめ――何かを投げつけてきた。
丸い、黒い物体。それが強烈な爆音と光を放つ。
(ごめんなさい。ごめんなさい、エド)
爆風に煽られながら、フレドリカは思う。
(あなたを愛していた。大切にしたかった。……でも、私はあなたを傷つけた)
こんな情けない上司、情けない恋人で、申し訳ない。
(こんなに、エドを傷つけるくらいなら……これまでのことも全部、夢だったらよかったのに)
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