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25 裏切り者の笑い

 アントンに連れられて、フレドリカは家を出た。


「今日、おまえが使用人全員に休みを出しているって聞いて、今しかないって思ったんだ。あいつら、元々は俺が雇ったんだけど今ではすっかりおまえにべったりだし、結託してシグルドを逃がされたりしたらたまらないからな」


 フレドリカを連れ出せてご機嫌なのかぺらぺらしゃべる男を、フレドリカは横目でにらんだ。


 このおきれいな顔を殴り飛ばしてやりたいが、彼の左手がフレドリカの腰に回されている。決していやらしい目的があるのではなくて、フレドリカを拘束し……その気になれば一瞬で、フレドリカが抱くシグルドの首に手を掛けられるからだ。


 庭の先には、馬車が停まっていた。だが、いつも世話になっている御者の馬車ではない。


「じゃ、乗ってくれ。おまえがおとなしくしていれば少なくとも、おまえが腹を痛めて産んだ息子は無事でいられるからな」

「外道……!」


 精一杯の憎しみを込めてにらんでやるがアントンはどこ吹く風で、フレドリカを馬車に乗せた。わざわざ紳士らしく手を差し伸べてくるのが、非常に腹立たしい。


 馬車は向かい合わせの座席だったが、アントンは隣に座ってきた。シグルドは泣き止んだがずっとアントンをにらんでおり、にらまれる彼は「怒った顔はエドガー似だなぁ」なんてつぶやいている。


「……私を呼んでいるのは、オットー・バックマン将軍?」


 半ばやけくそで問うと、アントンは手を叩いた。


「正解。……ってか、他に候補がないよな」

「この期に及んで私に敵対心を抱いているのは、あの人しかいないもの」


 ほとんど当てずっぽうだったのだが、予想は当たった。


 オットー・バックマン――彼はフレドリカが若い頃から難癖を付けていたらしく、フレドリカが部隊員集めをしている時期も「生意気な女」「養護院出身の孤児」と、事実ではあるがわざわざ広めなくてもいいことを言いふらしていた。エドガーに出会うまでの声掛けが全敗していたのは彼が原因だろうと、アントンも言っていた。


 そしてフレドリカが戻ってきてからも報告会などでいちいち文句を言ってくるのも、この男だった。


「アントン様は、オットー・バックマンと仲がよくないのだと思っていたけれど、そうでもないのね?」

「よくはないが、だからといって逆らえる立場でもない。俺は確かに将軍で、バックマンと同等だ。だが、俺は数年前に昇格したばかりのぺーぺー。何年も将軍の座に居座っているバックマンにおいそれと逆らえる立場じゃないっての、分かってくれるだろ?」

「同情を誘うような言い方はやめて。反吐が出そう」

「こらこら、シグルドの前で汚い言葉が使うな。覚えたらどうする」


 ごもっともなことを言ってフレドリカを黙らせようとしてくるのが、いちいち鬱陶しい。


 フレドリカが逆らえないと分かっていて余裕たっぷりに茶化してくるたびにふつふつと怒りが湧き、怒りを静めるために息子の顔を見下ろしてその額にキスをした。


「……それで? バックマン将軍はこんな出涸らしのような女を呼んでどうするつもり? もう、私から得られるものは何もないわ」

「得られるものが何もないうちに、どうにかしたいんだよ」

「……それは」

「ほい、到着。降りた降りた」


 案外、移動時間は短かった。行き先が城ではないからだろう。


(ここは……誰かの屋敷?)


 馬車の窓はカーテンが掛かっていたので、下車して初めてフレドリカは、自分たちが見知らぬ屋敷の前に来ていることに気づいた。王都の中ではあるはずだが、あたりの地理に見覚えはない。……そもそも、今のフレドリカは王都の内情がほとんど分からないのだが。


「はい、二名様ご案内ー。おっと、ここからはシグルドは俺が預かろうか」

「嫌っ、触らないで!」


 大きな手が伸びてきたので反射的に身をよじると、さしものアントンも傷ついたようで苦笑した。


「そんな汚いもの扱いしなくてもいいじゃないか……」

「裏切り者は、汚いわ。息子に触れないで」

「そんな裏切り者の腹の内に気づくことなくのうのうと俺の金で暮らしてきたってのに、いい度胸だな。俺が別宅を貸してやらなかったら下手すればおまえ、もっと早く捕まってシグルドを奪われていたかもしれないのに?」


 冷たく言い放たれて、フレドリカは言葉に詰まってしまう。その隙にアントンの手が迫り、フレドリカの腕の中からシグルドを奪い取った。


 いきなり嫌いな男に引っ張り上げられ、シグルドが泣き叫ぶ。


「やめて!」

「だから、おまえがおとなしくすれば手荒なことはしないっての。少しは俺を信用しろ」

「……それならせめて、抱え方を変えてあげて。それだと、苦しいの」


 シグルドを取り返そうともがいていたフレドリカは、アントンのサーコートを掴んで懇願する。


 エドガーと違い、アントンの抱え方はシグルドにとって苦しいばかりだ。近づいただけで泣くほど嫌いな男に掴まれただけでなく、抱き方まで雑だったらシグルドは嫌がるに決まっている。


 アントンは眉根を寄せたが、シグルドにずっと泣かれるのは困ると思ったのだろうか。ため息をつき、ぎこちないながらにシグルドの体を横抱きにした。


「これでいいだろ。さあ、中に入れ」

「……」


 空っぽになった腕の中を見下ろしてから、フレドリカは唇を噛んで歩き出した。


 もう、シグルドを連れて逃げることもできない。息子を守るためには、フレドリカが前を向かなければならない。


(もうすぐ、夕方……。今頃、御者が城に到着しているはず)


 不幸中の幸いだが、今日はエドガーが家に来ることになっている。時間通りに家に来たのに中がもぬけの殻だったら、異常に気づいてくれるはず。


 おそらくアントンは、今日エドガーが来てくれることを知らない。フレドリカが粘れば、いち早く気づいたエドガーが探しに来てくれるかもしれない。


 その可能性を、信じるしかなかった。

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