18 エドガーの恋
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エドガーは、ラルセン王国でも有名な名門貴族・イェンソン家の長男として生まれた。
だが彼は嫡男として認められないどころか母親の不義を疑われ、十四歳の誕生日に母親もろとも家を追い出された。
幸いエドガーには魔法騎士の才能があったため、彼は心を病んでしまった母親を田舎にある実家に送り出してから、魔法騎士団の門を叩いた。
父親はエドガーを息子と認めなかったが最後の温情はあったようで、最低限の教育は施してくれていた。よって、入団試験も難なく突破できた。
だがエドガーは「名門イェンソン家の落ちこぼれ」とあざ笑われたし、年齢のわりに身長も低かった。
皆に馬鹿にされながらも必死に努力して十六歳のときに正騎士試験に合格したものの、そんな彼に割り振られる仕事はほとんどなかったし、彼を自分の部隊に引き入れようとする者もいなかった。
だが、そこにフレドリカが現れた。
当時二十歳だったフレドリカは、養護院出身の女騎士ということで軽んじられていた。彼女は自分だけの部隊を作りたいと思っていたが、彼女の声掛けに応じる騎士はいなかった。
フレドリカは、エドガーに声を掛けた。エドガーにとって初めて、自分を部隊に誘ってくれる人だった。
とても、素敵だった。
女なのに、孤児なのに、と指を差されながらも凜とするフレドリカが、格好よかった。
自分でよければ、とエドガーは申し出を受け入れた。そして彼女のために精力的に動いて、仲間集めを手伝った。
晴れて四人の仲間が見つかりフレドリカの隊が「第六部隊」として認められるようになったときには、二人でお祝いをした。彼女に副隊長に任命されて、嬉しかったし誇らしかった。
フレドリカのもとで働くようになってから、エドガーはめきめき成長した。魔法騎士としての才能もそうだし、身長も伸びた。
元々やや童顔だったが自分でもなかなか見栄えがすると思えるような顔立ちになったし、かつて自分を馬鹿にしていた者が悔しそうにこちらを見る眼差しが気持ちいいとさえ、感じていた。
あろうことか、「フレドリカの副隊長なんてやめて、うちに来ないか」と誘う者もいたが、冷笑してやった。
誰が、おまえなんかの部下になるか。
自分がこの忠誠と槍を捧げるのは、フレドリカだけだ。
自分は彼女のための、騎士なのだ。
やがてこの想いは、ただの敬愛では済ませられなくなった。
フレドリカの部下になって二年経った頃にはいよいよフレドリカから目を離せなくなり、いつも彼女のことを考えてしまった。
……もし同僚の男二人がフレドリカになれなれしかったらキレていたかもしれないので、二人がおっとりおどおどしているタイプでよかったと思っている。
だがこの想いをフレドリカに告げても、迷惑がられるに違いない。美しい初恋として大切にしまっておこう……と思いきやある日、夕食を一緒にした後でフレドリカに胸ぐらを掴まれた。
やや酒が入っていたフレドリカは、くだを巻き始めた。
曰く、エドガーの意味ありげな眼差しにはずっと気づいている。エドガーに好かれているのではないかと、ブリットやカタリーナにからかわれている。最近、アントンに「フレッドも恋の一つくらいしろよー」とからかわれて腹が立った、などなど。
いい加減腹を括れ、言いたいことがあるなら言え! と体を揺すぶられたエドガーは、「あなたのことが好きです」と告白した。
それを聞いたフレドリカは「だよね! 知ってた!」と笑って、泣いていた。
エドガーとフレドリカは、交際するようになった。だが、この関係は内緒にしようと二人で決めた。
騎士団での恋愛は自由だが、同じ部隊内での恋――特に隊長と部下の恋は、推奨されていなかった。おそらく、部隊内での規律の問題だろう。
ブリットたちならむしろ、交際を始めたことを教えると応援してくれそうだが、念のためだ。
二人は皆の前ではこれまで通り隊長と副隊長として接し、夜に食事に行くときやどちらかの部屋に行くときにだけ、互いのことを「エド」「リカ」と呼び、口づけを交わし、ふれあうようになった。
エドガーは、幸せだった。
ずっと好きだった人が、腕の中にいる。
ずっと好きだった人と唇を重ね、抱き合い、甘えた声で「エド」と呼んでもらえる。
これまでの人生で、一番幸せな時間だと思えた。
フレドリカさえいてくれるのならば、実家から絶縁されたことなんて可愛らしいものに思われた。
……ただしエドガーはフレドリカの恋人でいられることに満足していたため、彼女の気持ちに気づいていなかった。
今から二年前。
エドガーが十九歳の誕生日を迎えてしばらく経った、春の終わりのこと。
近頃フレドリカが何やら悩んでいるようだと、エドガーは気づいていた。
彼女と交際を始めて半年ほど経ったが、何か自分に不手際があっただろうか。ものすごい失態をしたわけではないはずだが。
そうしているとある夜、エドガーの部屋にフレドリカが押しかけてきた。
いつぞやを思い出させる据わった目をしたフレドリカはベッドにエドガーを押し倒して、いつぞやのようにくだを巻き始めた。
曰く、自分はもう二十二歳になった。養護院時代の友だちにはもう、子どもがいる。そろそろお腹の贅肉が気になるようになった。この前白髪を発見した、などなど。
わけも分からないままおとなしく話を聞いていたエドガーだが、最終的にフレドリカが言ったのは、「私はそこまで魅力がないの!? 抱きたいとは思わないの!?」ということだった。
そこでやっとエドガーは、フレドリカが何を自分に望んでいるのかに気づいた。自分一人だけがふわふわと幸せに浸っている場合ではなかったのだ、と激しく後悔した。
そして……自分も、フレドリカのことを女性として愛したいのだ、という欲望に気づいた。
その夜、エドガーはフレドリカを抱いた。
エドガーを押し倒してぎゃあぎゃあわめいていたときとは打って変わってフレドリカはしおらしくて愛らしく、エドガーはやっとフレドリカと身も心も結ばれ、彼女の気持ちに触れることができたと知った。
なお、彼女が気にしているらしいお腹の贅肉は気にならないどころか、大変魅力的な手触りであった、と告げると、殴られた。
その年の、夏。
第六部隊に、王国西部に出没した魔物の討伐命令が下った。
フレドリカは部下五人を連れて、遠征に出た。エドガーは、彼女の背中を守って戦えることを誇りに思っていた。
もうすぐ目的地、というところで、フレドリカが単独行動を取ると言い出した。気になる点があるので、一人で様子を見に行きたいそうだ。
そういうことなら、とエドガーたちは近くにキャンプを張ってフレドリカを待ったのだが、エドガーはどうにも嫌な予感がしていた。だから彼女の後を追ったエドガーは、フレドリカが当初の予定とは違う方向に行こうとしていることに気づいた。
フレドリカはエドガーが付いてきていることに気づくと、来るな、戻れ、と命じた。だがその表情からただならぬものを感じたエドガーが命令を拒むと、フレドリカは今にも泣きそうな顔になった。
「……下がれ、エドガー!」
「理由をご説明ください! 作戦の場所はこちらではありません! この先には滝があるだけで――」
言葉の途中で、エドガーは息を呑んだ。先を歩いていたフレドリカがずんずんと戻ってきて、エドガーのサーコートの胸元をがっと掴んで引き寄せたからだ。
身長差があるためエドガーは転ぶように前のめりになり……フレドリカからのキスを受けていた。
「……愛しているわ、エド。だから、さようなら」
ベッドの中でしか聞かせてくれないような甘い声でそう囁いたフレドリカは、エドガーが見せた隙を逃さず、腹に一撃を食らわせてきた。
いきなりの攻撃でうめいて倒れ込むエドガーを一瞥もせずにフレドリカは立ち去り、なんとか起き上がったエドガーが後を追った直後――すさまじい爆音が、響いた。
揺れる大地に足を取られながら、エドガーは走った。
まさか、そんな、と絶望の中でエドガーは走って森を抜け――滝の付近が丸焦げになっており、大量の魔物が死んだ跡である黒い水たまりが広がっていた。
ごうごうと唸る滝と水しぶきの中、エドガーは必死にフレドリカを探した。
爆音を聞いて駆け付けてきた仲間たちも協力してくれたが、結局どこにもフレドリカの姿は見つからず……夜近くになってやっと、焦げたサーコートの破片を見つけるだけだった。
フレドリカは大量の魔物を一人で引きつけて戦ったが、最後の魔物が放った爆発に巻き込まれて殉職したのではないか。
そのように、上層部は仮定した。
だが、エドガーたちはその説を否定した。彼らの手元にあるのは、手のひらに収まる程度の大きさのサーコートの破片だけ。
フレドリカの遺体が見つかったわけではない。彼女の死が確認されるまで、戦死とは認めない、と。
かなり揉めた上に、元々フレドリカを疎ましく思っていたオットー・バックマンなどは「今すぐ部隊解散だ!」など吠えたりした。
だがフレドリカの元同僚であるヴァルデゴート将軍もといアントンの取りなしがあったこともあり、「二年の間にフレドリカの生存が確認できない場合、殉職扱いとする」という折衷案で収まった。
エドガーは、フレドリカの――愛した女性の生を、信じていた。
あのキスを最後にしたりしない。絶対に再会する、と。
そうして残り時間が少なくなっていく中、エドガーは休憩時間にも街の警備に出てフレドリカの手がかりが見つからないか……と藁にもすがる思いでいた、あの冬の日。
職業紹介所の前で、エドガーは愛する女性を見つけたのだった。
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