17 再訪問
その日は不安と後悔でよく眠れず、げっそりとした顔で部屋を出たフレドリカは、シグルドのことを子守メイドに任せた。
今のフレドリカがそばにいても、シグルドを不安にさせて悲しませるだけだからだ。
「おはようございます、お嬢様。先ほど、旦那様から連絡がございました」
「アントン様は、なんて!?」
朝食の席に降りたフレドリカが急いて問うと、メイドはフレドリカの肩をそっと押さえて椅子に座らせてくれた。
「旦那様はすぐに、エドガー殿を探されたようです。どうやらここから逃げた後すぐに王城の宿舎に戻っていたそうで、話はしてくださったとのことです。もちろん、口止めもなさったと」
「そ、それならよかったわ……」
エドガーが辺り構わず言いふらしているわけではないと分かり、フレドリカはまずほっとできた。
メイドは微笑み、温かいミルクを出してくれた。
「ただ、エドガー殿は今日一日お仕事を休まれるそうです。その理由は旦那様にも言わなかったそうですが……旦那様が言うに、今日はお嬢様もこちらで過ごされた方がよさそうとのことでした」
「……」
「もしかするといずれ、エドガー殿がお越しになるかもしれません」
フレドリカは、びくっと肩を震わせた。
アントンが言ってくれたのだから、エドガーはきちんと約束を守ってくれるだろう。だが、彼が家に来て……一体何を言うのか。
誰の子なのか、なぜ秘密なのか……そんな追及をされるのではないか。
(でも、アントン様がそのようにおっしゃるのだから、滅多なことは言わないよね)
アントンとしても、シグルドの存在は隠しておきたいそうだ。ならば将軍の権力をもってしてでもエドガーの口止めは徹底させるだろうし、エドガーだって不用意なことは言わないはずだ。
甘いミルクをこくっと飲んでから、フレドリカはうなずいた。
「……分かった。心の準備はしておくわ」
「かしこまりました。……そして、こちらですが」
そう言ってメイドがテーブルに置いたのは、小さな紙袋だ。
(あっ、これ、昨日エドガーが落としていった……)
昨日の遠征先でのお裾分けだとか言っていたか。
彼はお裾分けを持って帰り、それを昨日のうちにフレドリカのもとにも届けるために、カタリーナから聞いた「だいたいあの辺」というぼんやりとした情報のみを手がかりに、家を探し出したのだろう。
中を見ると、焼き菓子が入っていた。ライ麦たっぷりの素朴なクッキーは、残念ながら三つに割れている。彼が落としたときに砕けたのかもしれない。
フレドリカはそれを指先で摘まみ、軽くミルクに浸してからかじった。
甘い、懐かしい味がした。
エドガーが来た、とメイドが告げたのは、夕方のことだった。
(本当に来たのね……)
午前中は、来なかった。昼も、来なかった、ティータイムのときにも、来なかった。
もう来ないか……と思っていたら、夕方になっておとないがあった。
フレドリカはそのまま外に出ようとしたのだが、メイドが「エドガー殿は、正装してらっしゃいます」と言うので急ぎ、持っている服の中では一番上質なドレスに袖を通した。
(エドガーが、正装で来た……?)
なぜ、そんな、まさか、と髪にも櫛を通したフレドリカは、ベビーベッドに座るシグルドをちらっと見た。彼は母親と視線が合うとふにゃっと笑い、「ままー!」と抱っこをねだるように手を伸ばしてきた。
フレドリカはふっと笑ってシグルドを抱っこして額にキスをし、そのまま一階に降りてから子守メイドに渡した。まずは、シグルドのいないところでエドガーと会おうと思っている。
どき、どき、と理由が分からない緊張を抱えながら、フレドリカは玄関を出た。そこには夕日を顔の横から浴びて立つ、白い正装姿のエドガーがいた。
いつもは下ろしている前髪を横にまとめており、きれいな形の額とハシバミ色の目がよく見えた。
彼は持っていた小さな花束を下ろしてから、こほん、と咳払いをした。
「その……一日ぶりです、隊長」
「一日ぶりね。……中に、入る?」
「ありがとうございます」
フレドリカはエドガーを招き入れ、二階にあるリビングに通した。シグルドを抱えて一階に移動したのは、エドガーを二階のリビングに通すためだ。
椅子を勧めるとエドガーは恐縮して腰掛け、向かいに座ったフレドリカを見てさっと頭を下げた。
「……昨日は、申し訳ございませんでした。いきなりご自宅に押しかけた挙げ句、あなたの言葉を皆まで聞かず、返事もせずに飛び出すような真似をしてしまい……」
「いえ、その……アントン様からお話があったのでしょう? 誰にも言わないでいてくれたのなら、それでいいわ」
「もちろんです。誰にも口外しておりません」
顔を上げたエドガーがはっきりと宣言したので、この点については信頼できそうだとほっとできた。
……ほっとできない事案も、目の前に控えているが。
「その……昨日逃げ出したのは、ご子息の姿を見てしまったからでして」
「……ええ」
「……。……隊長、いえ、フレドリカ」
きゅ、と胸の奥がきしむ。
フレドリカ、と名前で呼ばれた。それも、呼び捨てで。
まるで、親しい間柄でもあるかのように……。
フレドリカが潤みそうな目を必死に見開いてエドガーを見ていると、数回深呼吸した後に彼はまっすぐフレドリカを見つめ返した。
「単刀直入に、申します。僕は……かつて、あなたとお付き合いしていました」
「っ……」
「シグルド――あなたのご子息の父親は……僕です」
――フレドリカの視界で、美しい青が、揺れた。